かつてoshoが聖書読むくらいだったらドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読め、などと言っていたのは有名な話である。
かと思いきやかの野口晴哉先生は旧約聖書を
読むことで整体操法におけるクライアントとの唯一無比の間合いを見出した。
グルジェフが現代の芸術は排泄物だ、と言いつつワークに マーク・トウェインの「人間とは何か」を使っていたのも面白い話だし
クリシュナムルティが現代思想なんて全部カス、とか言いながら推理小説読む事で思考センターに磨きをかけていたというのもそう。
やはり妙に凝り固まって原理主義者になるのはつまらない。
マスターみたいな人は全然原理主義者じゃないのに信奉者は凝り固まっていくのは何故なんだろう。
あの手の人達はショックを与えるためにいろんな人にいろんな事を言うのでそれを一々信じていたら馬鹿を見るだけだとよく思います。