パンツの形あれこれと昔のファッション | 子育てというボランティア

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最近GUで見た、知らない名前のパンツ 



パレルレッグジーンズ、、、

これって、この形って、いわゆる

私達が中学の頃は学生服のズボンで言うと

ボンタンってやつではないですか?

これは全体的に形が膨らんでいる感じ。



で、このワイドパンツというやつが、学生服で

言うと、ツータックとかで。


さすがにドカンみたいな服は一般的には

最近の流行のパンツでは履かれていない様な

気がします。


学生時代の話で、中学生の頃

もちろん、女子だったのでセーラー服着てましたが

文化祭とかで、超目立ちたがり屋だったので

女の子3人とか2人で一緒に、当時の流行りの

歌謡曲を体育館の舞台で、全校生徒の前で

歌ってました!


その当時、流行っていたのは欽ちゃんのどーん

とやってみよう、、、だったと思ういわゆる

欽ドンのいも欽トリオのハイスクール・ララバイ

とか。



いや、友達が長江けんじくんのファンだったので、

私は脇役の悪い子役やったりで、

決してセンターでは無いんですけど。

「こんなに好きやのにつれないなぁ、なー」

って言いたかったっす!!言えなかったけど。


それで、みんな、お兄ちゃんの学生服とか

借りて来て、それを着て内側にカラーTシャツ

着て歌って踊るわけです。


ところが、私、お兄ちゃんとかいなかったので

仕方ないから、友達の幼馴染の先輩から

学生服を借りまして、ステージで歌って踊る

わけですが、友達の幼馴染っていうのが

その中学で3代(3年)続いた3兄弟の末っ子の

番長の人で、私だけ、学ランの袖は玉虫色に、

制服の裏には裏ボタンにツータックのボンタン

に当時はやった紫のエナメルのベルト。


ハイ、ステージ上で、観客の男子学生の誰よりも

バリバリヤンキー服で・・・。

多分そこから、私はヤンキー認定されていたかも。

まぁ、先生方は女子が着ている学生服なんで

お咎めはありませんでしたが。

その学生服はクリーニングちゃんとして先輩に

お返ししましたけど。



次の年は女の子2人で、あみんの待つわを歌ったので

当時流行っていた松本伊代ちゃんみたいな



ふわふわのレースのブラウスに🟥赤のジャンバー

スカートと🟣紫のジャンバースカートの姉妹コーデ

で吹奏楽部の伴奏バックに歌ってました。

頭にリボン🎀カチューシャしてました。


卒業年度が、シブがき隊のZOKKN命だったかな。



その時は、いとこから、卒業したから着ない制服

を譲ってもらって着て行きましたが。

またそれが、前にもまして派手な学生服で

袖玉虫に裏が虎と鳳凰の刺繍が金とかで

入ってて、裏ボタンも派手な色だった様な

パンツも2タックのボンタンでしたから、

ステージ終わった後で男子にその学生服どうしたん?

と聞かれまくりで、いや、いとこの学生服で

と言ったら、ヤバいヤツがあいつのバックにはいる

と噂されて、中学の本物のヤンキー達から

一目置かれていました。


いや〜誤解なんですけどね。当時、いとこは

まさにドラマ不良少女と呼ばれて、そっくりの

ビジュアルで、





いとこの写真見たら、みんな

後ろに暴走族がいると勘違いされました。

でも、多分、都会の学校は本当に荒れてたし

私が当時住んでた田舎では、そこまで見た目

派手なヤンキーは男子はいなかったからかな。


でも、女子はヤンキーの子達は髪はオキシドール

とかで脱色していたり、茶髪に染めてたり

して、聖子ちゃんカットや明菜ちゃんカットに

パーマ当てていた子が多かったですが。

私は普通に黒髪のセミロングで、コテでセット

する事もなく、普通にサラサラヘアでしたから。

ヤンキーじゃないですけどね。

まぁ、当時セーラー服の胸当てが無かったので

Vラインの制服の下着が、中学2年位に売り出され

でも、セーラー服のVラインにかぶってダサいので

丸襟のブラウスを胸元ギリギリまで折って

着ていたのは、ヤンキーっぼい着こなしだったかも。

セーラー服のリボンを出来るだけチビ結びにするのも流行ってました。

夏はブラウスに棒タイになるんですけど

それもまた、ブラウスを第二ボタンまで

開襟にしてリボンを小さく紐を長くするのが流行ってました。


時代によってファッションは移り変わりますが

でも、その中で、本当に私が着たかったのは

実は、ロリータ服だったんです。



あのフリフリのレースやフリルで可愛い伝統的な

柄のロングドレス。ロングでなくても良いけど。

当時は、お金持ちのお嬢様位しか着ていなかったから。父の知り合いの開業医の娘さんのお下がりをもらった時はすごく嬉しくて、写真にまで残してました。

緑のベルベットのジャンバースカートに茶色のタートルネックの刺繍いりのカットソー。


それ以外は、ほとんど母の作った安い端切れのゴムスカートか、綿のズボンやデニムの短いジャンバースカートの下に体育のブルマをはいてました。

まさにちびまる子ちゃんスタイルです。

でもたまにおばあちゃんが買ってくれた

なんか刺繍が入ったおばさんみたいな紫🟣色の

長Tシャツにデニムパンツやペパーミント

色のサロペット、それからおばあちゃんの履いてた

紺色のブーツに父の着ていた紺色のコートを

着たりして、お金はないけどなんとかおしゃれ

しようと頑張ってましたね。


大きくなってからアルバイトしても、買えるのは

当時流行っていたのはボディコンの安いスーツばかりで、DCブランドのフリフリの服のマヌカンになろうと思ったんですが、PINK HOUSEとかINGEBORGE

とかATUKI ONISHIではなく、カジュアルブランドに

配属になったので、すぐに辞退して、一般事務の仕事に就きましたけどね。マヌカンのアルバイトは内定決まってから半年以上してましたけどね。

好きな服じゃない服を毎月10万とか買えないって!


今は4人も子どもを産んで、甲状腺の病気にもなり

太って、好きな洋服が着られないのが悲しいけど

その分、娘達に可愛い服を着せているので満足

してるかな。だから、あまり自分の写真を撮らないので年賀状にのせる写真がなくて困りますけど。


まぁ、好きな服が着られると言うのはそれだけで

幸せだな—って思います。

だから、娘達には若いうちに好きな服をきなよー

って言ってます。

人生半ばにもなるとやっぱり、年齢関係なく

好きな色を着ることは出来ても、好きなシルエットのファッションを着るのはやっぱり人目は気になるし

着ても自分で似合ってるって思えない事もあるしね。

だから、ロリータ服を着続けている青木美沙子

さんはすごいなーって思います。



私も若い時から着てみたかったなぁ。