・・・結果、良かったと思える事。
3番目の子の担任を、当時私は全く理解できなかったのだけど
正しくは、そんなわかりやすい行動をする先生ではなかったという事ですが。
子どもにとっては、素晴らしい人だったという事。
子供自身が、「先生は、私を成長させてくれた人だった。」
何も押し付けがましいアドバイスはしなかったけど、
「考えてごらん、本当にそうなのか?」
・・・そんなふうに、いつも、つかず離れず見守ってくれたから
自分は頑張れたと今も言っている。
それから、卒業した後、春休み中、いつでも、あのクラスに戻りたい。・・・と。
本当に良いクラスだったと、話していた。
・・・きっと、それは少し違っていて、先生が、そういう意識を
子ども達の間に作ってくれた空間だったという事。
2年まえにブログで担任のお手並み拝見と書いた。
結果は、素晴らしいお手並みでしたとここで書いておきます。
受験にしても、紆余曲折あったけれど、先生がうちの子に
「どんなことが起こっても、決して希望を投げ出すな。
絶対にあきらめないで、もういいって放り投げずにがんばれ。」
その真意はわからなかった。むしろ、何無責任なこと言っているのだと
成績が下がった時には、頑張っているのになぜなのか?
わからなくて、親子で途方に暮れた。
学校の補習に出る事が大事だった意味も分かったし。
先生も人間だという事だから、目の前で頑張る子を邪険にはできないから。
結局、それでは足りないと判断して、健康面、学力面の不安を自分で解消した。
担当医だけではだめだと関西の元の主治医に受診し
新薬の指示を仰いだ結果、発作が治まった。
勉強は、集団の塾をやめ、お金はかかったけど
個別に換えて短期集中で学力を上げて、基準にまで追いついた。
他の職員が、高望みをするなと進路集会で言っていたけれども、
上の子の学力を思えば決して高望みではないと思ったし・・・。
条件を揃えてきた私達に対して、滑り止めの枠なのか、単願の枠なのか
取り合いになった時に、上から障害のある子は切り捨てろとの圧力に
身を挺して、守ってくれたんだなと違う方面から話を聞いて、
推測するとそこに辿り着いた。
子どもが話していたとおり、説明とか、想いをうまく伝えることが、
下手なだけで、子ども達を何とかしたいと思う気持ちは
担任の先生と同じだったのだなと少し時間がたって、今は思う。
個性的だった部活の顧問の先生も、厳しかったけれども、
最後は、この子の個性を推して下さっていたこと、受験の時に知った。
私は、直接その御礼の言葉は先生達に言えなかった。
あまりにも、いろんな人たちの感情が入り乱れていて、
感謝の気持ちはもってはいても、純粋に公に口にすることはできなかった。
いつも、卒業式には、涙で御礼の言葉を述べるのだけど
状況が私を許さなかったから。
別の勢力に、結局締め付けられたからだ。
涙を流したら、また、おかしな噂をたてられるし。
だから、泣かない私にその人達は、私に感謝が足りないと
間接的に言葉を投げつけた。
でも、仮面はかぶっていただろうけど、最後の最後まで、親達から
仲間外れをされても、そつなく役を全うすることで、
先生にはわかってもらえたであろうと思う。
人の気持ちのわからない人達には、あえて伝える必要もない。
最後の一日に、事実をごまかすよりも、残った人達には、噂ではない、
本当の誠実さを持って次年度に臨んで欲しいし。
新しい子供達を迎えて、そこに愛があるならば、
きっと真実の誠実さなら届くだろうと思う。
最終的には、また、スケープゴートにされてしまったけれども、
少なくとも、5年前よりは、中学校はずっと改善されたのではないだろうか。
同じ物の見方では、きっと変わらなかったはずだし・・・。
いじめを見てみぬふりをしてきた人達には耳が痛いだろうけども、
ここでぼやいたことが、体裁上かもしれないが、改善されたのは間違いない。
それが、夢の中で「忘れないでほしい」と私の心に言葉を伝えてきた、
彼の本当の目的だったから。
うるさいモンスターペアレントは卒業してしまったので
もう彼の想いを代弁することはできないけど、
これからさらに良くなっていくのか、また後退してしまうのかは
きっと今、中にいる親や教師の頑張り次第なのだと思う。