私は大人になりきれていない母だとは思いますが。 | 子育てというボランティア

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昨今の多発している我が子を殺傷する事件のように
我が子を殴り殺そうとか放置したり、刺し殺した母親達(40代多いよね~)
のように手にかけようと思ったことはないな~。
 
世間の基準が何が正しい大人で何が正しい親なのか
そこはわかりませんが。
自分的に、結構小さな事で頭にきていたり
きっと、冷静な大人なら、こう対応するだろうという
世間体重視の行動はあまり自分自身従っていないなあと思います。
そこの部分が、あきらめて大人の対応をするという事が
なかなか出来ない性質なのかもしれません。
 
疑問に思ったことは、こんなこと聞いたら、馬鹿にされるかな?と
先回りしてあきらめるのではなく、聞きたいことはストレートに聞く。
だから、オブラートにくるんで聞けるのが大人かもと思うんですが。
 
そして、歴史の背景や世の中の流れを知らないのに
自分の思ったことが、正しいと思ってしまうこと。
それは多分、正論だろうけどそれでは、問題を解決できず
自分の我を張っているだけだということに
たまに気がつかないことがある。
後になって気づいて、悪かったかなって思うんだけど。
 
でも、自分自身が、まだまだ未熟で、無知で世の中のことを知らないと
気づけることが、大人になりきれていない自分を自覚していることが
何もわからないくせに体だけ大人になって
自分の意に沿わない者をすべて切り捨て
判った気になっている裸の王様よりましじゃないのか?って思う。
 
また、不安だし、わからないから人に聞く
だから、一人で思い込んで暴走して、絶望して
我が子と一緒に心中とかにならなくて済んでると思うんだけど。
 
でも、たまに過去のことを思い出すと
たとえようもない人を恨む気持ちが湧き上がってくることがある。
過去は過去もう、手放して、完全な忘却の彼方に
葬り去ってしまわなければならないのだけど。
そして、それについて、今不幸の渦中にあるわけでもなく
もう終わったことなのである。
 
嫌な記憶は忘れてしまった方が良い。
何十年前のことであれ、昨日の事であれ、過去は過去。
今日とは違うのです。
昔の嫌な事を思い出すことほどくだらないことはない。
だけど、原点を思い出し、今立っている足元の安全と
小さな幸せは、再確認できるかもしれない。
 
あの頃のままの自分でなくて良かったと。
この怒りや憎しみは、あの頃の自分の亡霊の感情であって、
決して今の自分の体に宿る魂の心情ではないのだということが
わかるだけで、前向きに歩いてきたとその時間と
誰も褒めてはくれないが、生きてきた道を確認して
ここからまた頑張ろうと思えるかなとは思う。
 
ただ、子どもの頃、大人や他人にされて嫌だと思ったことを
憶えているからこそ、それが自分の良心の指針になっているのではないか?と
思うのです。
そこをお金の為に割り切って、原発再稼動とか
病気の子どもや障害者を切り捨て、
営利活動だけを優先しお金持ちだけが権力を握れるのだという社会なら
この国で生きてる価値ないな~とかたまに思いますけどね。
 
知ったかぶりした大人にはなりたくない。
いつもそう、私は心の片隅で思い続けているのかもしれません。