TDSで愛されるダッフィー 予想以上の大ヒット…生みの親もビックリ
産経新聞 9月2日(日)8時25分配信
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| 東京ディズニーシー独自の人気キャラクター「ダッフィー」(写真:産経新聞) |
東京ディズニーシー(TDS)のテディベア(クマのぬいぐるみ)「ダッフィー」が、大ヒットを続けている。TDS内の専門店は並べられたダッフィーを真剣に見比べるゲスト(来園客)でにぎわい、お気に入りのコスチュームを着せたダッフィーを抱いて園内をめぐる姿も。平成16年の登場以来続く人気のかぎは、米ウォルト・ディズニー社の前例にない日本でのアレンジと、ファンに「自分だけのスペシャル感」をもたらす演出にあった。
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「ここまで大きな展開になるとは考えていませんでした」。ダッフィーの生みの親であるオリエンタルランド商品開発部の後藤達美マネジャー(43)は話す。ダッフィーは、TDS独自のキャラクター。ふわふわした柔らかい手触りで、手作りの縫製のため一体一体の表情が微妙に異なることが特徴だ。「目と目が合った」「連れて帰りたい」と言って買い求める人もいる。
TDS内のダッフィー商品の販売店は人が絶えない。当初は、販売店が限定されていたため、店にアトラクション並みの列ができた。ミッキーマウス、ミニーマウスにひけを取らない人気を誇り、米国側が「逆輸入」して紹介するほどだ。ダッフィー誕生のきっかけは、後藤さんの米国出張だった。15年2月、フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートで、クマのぬいぐるみが目にとまった。ミッキーのシルエットをさりげなくあしらった「ディズニーベア」。後藤さんは「コテコテでない」キャラクター表現に遊び心を感じ、ひかれた。「これで新商品開発にチャレンジしてみよう」。
帰国した後藤さんは、「TDSならではのキャラクターとして出したい」と提案したが、すんなりとは通らなかった。ディズニー社は、50年以上にわたって映画やアニメーションのキャラクターを商品化してきた。ウォルト・ディズニーの作った世界観を守り続けることは大きな柱の一つだ。ファンの多くもそう望んでいる。一方、13年9月開園のTDSは、東京ディズニーランド(TDL)よりも独自性を強く打ち出しており、新しい、TDSらしい、何かが必要だった。後藤さんは、粘り強く訴え商品開発にこぎ着けた。
米国では赤や緑など豊富なカラー展開をしていたのを、日本人が「クマ」をイメージする優しいブラウンに統一し、毛の長さも変更。中の綿の量も調整して抱き心地にこだわった。16年12月のクリスマスイベント。日本版ディズニーベアは、サンタ・クロース姿で店頭に並んだ。後藤さんには「日本のゲストに気に入ってもらえるはず」という自信があった。結果はクリスマス当日まで販売する予定が、数日で完売。「ここまでヒットするとは…」。後藤さんも予想できなかった。
入江教夫・商品本部長(現取締役専務執行役員)の感覚は少し違っていた。口をついて出たのは、スタッフへの慰労の言葉ではなく「まだ甘い」。戸惑いが広がる中、入江さんは指示した。「ミッキーたちみたいに、長く愛されるキャラクターに育てよう」。キャラクターを育てる、とはどういうことなのか-。検討を重ね「TDSならではのストーリー」をディズニーベアに与える、という従来のキャラクター商品開発から逆転した手法にたどり着いた。クリスマスイベントでの実績もあり、ライセンス契約を結んでいる米ディズニーは「日本側の意見や提案を尊重してくれた」という。
日米双方のスタッフが数カ月にわたる調整を経てまとめ上げたストーリーは、「航海に出るミッキーにミニーがプレゼントした手作りのテディベア」というもの。海、米国の漁村「ケープコッド」の街並みなどTDSの世界観を反映させた。
「ダッフィー」の名は米国スタッフのアイデアだった。「ミニーがダッフルバッグに入れてミッキーに渡す」からだという。安直に思えて猛反対した後藤さんだったが、徐々にそのシンプルな発想と名前に愛着がわき、今はもう「ダッフィーしかない」と思う。
17年のクリスマスイベント後に、ディズニーベアから生まれ変わったダッフィー。18年3月に単体のキャラクターとして初めて専用ホームページを開設。「自分ならではのスペシャル感」を持ってもらうため、着せ替え用のコスチュームを用意した。19年からは、TDS内の各所にダッフィーを置いて一緒に記念撮影ができる専用の台座を設置。22年に「ダッフィーのお友だち」として、ピンクの毛並みに大きなリボンが特徴の新キャラクター「シェリーメイ」を投入した。ダッフィーは、TDSに欠かせない存在になった。それでも後藤さんは、「まだ知名度は全国区とはいえない」とさらに大きく育てるつもりだ。(杉侑里香)
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「ここまで大きな展開になるとは考えていませんでした」。ダッフィーの生みの親であるオリエンタルランド商品開発部の後藤達美マネジャー(43)は話す。ダッフィーは、TDS独自のキャラクター。ふわふわした柔らかい手触りで、手作りの縫製のため一体一体の表情が微妙に異なることが特徴だ。「目と目が合った」「連れて帰りたい」と言って買い求める人もいる。
TDS内のダッフィー商品の販売店は人が絶えない。当初は、販売店が限定されていたため、店にアトラクション並みの列ができた。ミッキーマウス、ミニーマウスにひけを取らない人気を誇り、米国側が「逆輸入」して紹介するほどだ。ダッフィー誕生のきっかけは、後藤さんの米国出張だった。15年2月、フロリダ州のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートで、クマのぬいぐるみが目にとまった。ミッキーのシルエットをさりげなくあしらった「ディズニーベア」。後藤さんは「コテコテでない」キャラクター表現に遊び心を感じ、ひかれた。「これで新商品開発にチャレンジしてみよう」。
帰国した後藤さんは、「TDSならではのキャラクターとして出したい」と提案したが、すんなりとは通らなかった。ディズニー社は、50年以上にわたって映画やアニメーションのキャラクターを商品化してきた。ウォルト・ディズニーの作った世界観を守り続けることは大きな柱の一つだ。ファンの多くもそう望んでいる。一方、13年9月開園のTDSは、東京ディズニーランド(TDL)よりも独自性を強く打ち出しており、新しい、TDSらしい、何かが必要だった。後藤さんは、粘り強く訴え商品開発にこぎ着けた。
米国では赤や緑など豊富なカラー展開をしていたのを、日本人が「クマ」をイメージする優しいブラウンに統一し、毛の長さも変更。中の綿の量も調整して抱き心地にこだわった。16年12月のクリスマスイベント。日本版ディズニーベアは、サンタ・クロース姿で店頭に並んだ。後藤さんには「日本のゲストに気に入ってもらえるはず」という自信があった。結果はクリスマス当日まで販売する予定が、数日で完売。「ここまでヒットするとは…」。後藤さんも予想できなかった。
入江教夫・商品本部長(現取締役専務執行役員)の感覚は少し違っていた。口をついて出たのは、スタッフへの慰労の言葉ではなく「まだ甘い」。戸惑いが広がる中、入江さんは指示した。「ミッキーたちみたいに、長く愛されるキャラクターに育てよう」。キャラクターを育てる、とはどういうことなのか-。検討を重ね「TDSならではのストーリー」をディズニーベアに与える、という従来のキャラクター商品開発から逆転した手法にたどり着いた。クリスマスイベントでの実績もあり、ライセンス契約を結んでいる米ディズニーは「日本側の意見や提案を尊重してくれた」という。
日米双方のスタッフが数カ月にわたる調整を経てまとめ上げたストーリーは、「航海に出るミッキーにミニーがプレゼントした手作りのテディベア」というもの。海、米国の漁村「ケープコッド」の街並みなどTDSの世界観を反映させた。
「ダッフィー」の名は米国スタッフのアイデアだった。「ミニーがダッフルバッグに入れてミッキーに渡す」からだという。安直に思えて猛反対した後藤さんだったが、徐々にそのシンプルな発想と名前に愛着がわき、今はもう「ダッフィーしかない」と思う。
17年のクリスマスイベント後に、ディズニーベアから生まれ変わったダッフィー。18年3月に単体のキャラクターとして初めて専用ホームページを開設。「自分ならではのスペシャル感」を持ってもらうため、着せ替え用のコスチュームを用意した。19年からは、TDS内の各所にダッフィーを置いて一緒に記念撮影ができる専用の台座を設置。22年に「ダッフィーのお友だち」として、ピンクの毛並みに大きなリボンが特徴の新キャラクター「シェリーメイ」を投入した。ダッフィーは、TDSに欠かせない存在になった。それでも後藤さんは、「まだ知名度は全国区とはいえない」とさらに大きく育てるつもりだ。(杉侑里香)
う~ん。こういう販売する側のネタばらし的な、ニュースって、どこに意図があるんでしょう?
商品開発部の人が凄腕だって、言いたいの?
それとも、乗せられているダッフィーヲタがおバカって言いたいの?
いやいや、ただのアメリカの熊のぬいぐるみをここまでキャラクターにのし上げた
営業戦略がすごいでしょ?ってこと?
どっちにしても、夢の国の住人にとっては、確かにアニメ先行ではなかったけどストーリーより何より
癒されるぬいぐるみには違いないし、グリーティングができるシーのキャラクターになってからは
他のどのキャラクターとも変わらない、一つの生き物と同じで
決して、中に人が入ってて、オリエンタルランドの営業戦略にのっとった着ぐるみじゃないのよ。
そもそも、幼児性の表れと言われれば仕方がないけど既存にテディベアを愛するテディベア市場があり
テディベアに自身を投影している人はいっぱいいると思うし、それだけが唯一自分の気持ちを
投影し、確かめ、慰められる対象であったりするものだ。
それは、ダッフィーに限らずミッキーのぬいぐるみだって、ミニーのぬいぐるみだって同じである。
田舎の子どもはテレビでディズニーチャンネルとか見ていなかったら、
ただの大きなねずみのぬいぐるみで、パークに来て見たら可愛いいと思うけど
そこまで、ネズミ好きか?と言われるとそうでもないと思う。
でも、その遊園地で楽しかった思い出を胸に改めてディズニー映画を見て
その根底にある、愛とか勇気とか、夢を心に描く力に感動して
どんどんウォルト・ディズニーの世界にはまっていくのだ。
自分だけの思い出と、感動を心にとどめて、それをまた我が子にも伝えて・・・。
ダッフィーグッズ買ってるヲタも、コレクションとか収集だけで満足してるわけではないし
棚に並べられたダッフィーに我が子のような思い入れを抱いて手にとって買って連れて帰るわけである。
確かにダッフィーは人気のわりに公表されているストーリーも薄っぺらいし、
キャラクターとしての年月が浅いとは思うけど、まだストーリーがうやむやな
ディズニーベアだったシー開園当初からこのテディベアに思いを寄せた人間がいることも忘れないでほしい。
シーが開園した当初はじめて見たまだ名前のないディズニーベアを買いたいと思いながら、
あの頃、結構生活が苦しくて、何年もお金を貯めて、関西から初めて子どもを連れて
それまで仕事に追われて、無表情の様だった我が子達に少しでも、笑顔を与えてやりたいと思って
ホテル代、入園料と、パークの中での食事代と子供達のおやつになるささやかなお菓子のお土産。
それだけが精一杯で、いつかこのテディベアを自分の為のご褒美に買いたいなと
昔、子どもの頃持っていて、いじめられた時も慰めてくれた心の友達だった
大人になるときに整理された私のテディベアの代わりとして。
次に来た時、やっと手に入れました。それからダッフィーヲタになったわけですが。
そんな想いを抱いているダッフィーヲタだっているんだって事忘れてほしくないな。
今のダッフィーだって、グリーティングで優しく抱きしめてくれたダッフィーに癒しを感じたり、
手を振ってくれたダッフィーに元気をもらったり、それはミッキーマウスだって同じでしょ。
ただ、若い子が流行りで持ってるクマのぬいぐるみアクセサリーってわけじゃないんだよ。
そこには想いがあるってことを忘れないでほしい。
営業戦略とか全国規模の知名度とかそういうのを目的にぬいぐるみを売ってるつもりなら
ダッフィーはただの遊園地のキャラクター商品としてしか浸透しないと思う。
ファンのそれぞれのディズニーキャラクターやダッフィー対しての深い想いを
もっと大事にして記事にしてほしいなと思う。
サンタ服のダッフィー 娘も持ってます。だけどね。
子供達は後藤さんが着せてくれたサンタ服だとは思ってないよ。
ダッフィーがサンタになって来てくれた。そう思う子もいるんだよ。
夢が叶う場所なんだろ。夢を壊すんじゃないっ!!