この物語は、火の七日間と言う世界中を焼き尽くした巨神兵の戦いで(核戦争)
大地が焼き尽くされ、毒を吐き出す腐海という森に覆われて、人のほとんど住めなくなった
1000年後の世界を舞台に繰り広げられる物語で、たくさんの人々の感動を呼んだ
宮崎駿監督のアニメーション映画です。

王蟲の怒りをしずめる冒頭のシーンからはじまって、いたるところで人間とは敵対する世界にすむ蟲たちと対話するナウシカは私たちの心に強く残ります。腐海を焼き払う大国トルメキアの道ではなく、大海嘯の先頭にたつ王蟲たちと心を開きあい、「自然との共存」をイメージさせます。人間にとって敵対的とさえみえる蟲や腐海が実は世界を浄化する作用をうみだしているのです。
人間のつくりだしたいちばん愚かしいもの=巨神兵(核兵器をイメージさせます)は、自然=王蟲と対決して、けっきょく敗れます。
平和な谷への侵略者(トルメキア)やその残虐な行為についてもナウシカは一つひとつに怒りをもやし、たたかいます。そして、殺戮を憎み悲しみ、たとえば、トルメキアに滅ぼされた小国ペジテの復讐(アスベル)にたいしても──この復讐には一見道理があるようにみえますが──殺戮をやめるように呼びかけます。
多くの人にとって、こうしたナウシカの一つひとつの行動が共感を集めたのではないでしょうか。自然と人間との共存、愚かしい人間の破壊や殺戮への批判が、かたぐるしい説教でなく、いきいきとしたSFの形で語られています。
→風の谷のナウシカ批判と言うブログより、あらすじ転載させていただきました。
人間のつくりだしたいちばん愚かしいもの=巨神兵(核兵器をイメージさせます)は、自然=王蟲と対決して、けっきょく敗れます。
平和な谷への侵略者(トルメキア)やその残虐な行為についてもナウシカは一つひとつに怒りをもやし、たたかいます。そして、殺戮を憎み悲しみ、たとえば、トルメキアに滅ぼされた小国ペジテの復讐(アスベル)にたいしても──この復讐には一見道理があるようにみえますが──殺戮をやめるように呼びかけます。
多くの人にとって、こうしたナウシカの一つひとつの行動が共感を集めたのではないでしょうか。自然と人間との共存、愚かしい人間の破壊や殺戮への批判が、かたぐるしい説教でなく、いきいきとしたSFの形で語られています。
→風の谷のナウシカ批判と言うブログより、あらすじ転載させていただきました。
この映画が公開された当時は、安田成美が歌う風の谷のナウシカのテーマ曲や
ヒロインのナウシカの美しさや使われている楽曲の素晴らしさが前面に
押し出されていたような感じで、私には、あまりピンと来なかった映画で
まだ、天空の城ラピュタとかもののけ姫とか千と千尋の神隠しとかの方が、
楽しく、冒険ファンタジーもあり頭に入ってきやすい内容だったと思います。
それでも、何回か、テレビのロードショーなどで放送をされ、観ているうちに
この物語の裏にある本当のテーマに脅威を覚えていました。
私なりの解釈では、トルメキアは巨神兵(核)を戦争の為に使うが、
ペジテは腐海を焼き払う為巨神兵(核)を平和利用するのだといい、
二つの国が巨神兵を求めて戦争と殺戮を繰り返している。
そこにナウシカの守る風の谷の住人は、トルメキアに人命を守るため服従しながらも、
森や自然との共存、風の力(自然のエネルギー)が大事だと解き、
純粋無垢なナウシカや子ども達の存在と水や空気や大地が綺麗なこととそこに生きる命が
この世界では一番大事なのだと本当は言いたかったんじゃないかな?と思いました。
でも、それは映画配給の為、スポンサーの事を考えると核エネルギー反対などと声を大にしたら、
業界で抹殺される今のマスコミや報道を思えば、オームと言う蟲(自然との共存)のテーマで
止めざるをえなかったのかなと思うんですよね。
原作のマンガは、また違う結末を描かれているそうなんですがね。

公開されてずいぶんの年月が経ち、まさか、この日本が人間には操れない核の火に襲われて
放射能汚染が起こり、大地や水や子どもたちまで被曝するような事態になり
この映画の予知した時代が来てしまったのかと絶望的に思いましたが。
今こそ本当に原発(核エネルギー利用)を止めて
自然と共存できる自然エネルギーを作り出し、みんな贅沢をせず電力を減らし
質素に暮らし綺麗な水や空気や大地を守らなければ
本当に世界が終わってしまうと思います。
この世界を救う素晴らしい知恵を持ち人間的に清く正しい指導者が、
この日本に現れてくれることを願って止みません。