それから約3年、浦安でお家を買う為にしたこと。 | 子育てというボランティア

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家を借りれる事になった私達は、早速1ヶ月で引越しを済ませて
賃貸ですが浦安生活が始まることになるのです。

それまでに、関西で仕事で稼いだお金を
東海の主人の実家の近所にたまたま収益物件として
建てられた平屋にそのままつぎ込んでキャッシュでお家を買って
そこに3年ほど住んでいたんですが
主人の親戚との揉め事やもやしっ子の我が子達への地区からのいじめとか
その他諸々あったので私もかなりのストレスから過食症に走っていました。

父が亡くなるその年の初夏にまた、家族でディズニーに行ってたんですが。
その時に泊まったのは家族6人がゆったり泊まれるエミオンで
それまでは、オフィシャルホテルを制覇する感じだったので
初めて新浦安地区のホテルに泊まったんですよ。

パークからエミオンまではシャトルバスだったので
初めて浦安の町並みを見ました。
飛び込んできたのは運動公園の遊具や
見明川団地、そしてホテルの多分8階の部屋の窓から見た町は
たくさんのマンションと整然と建ち並ぶつ戸建のお家。
ここに住む人達は毎日パークに行ってるのかな?とか
そんなことを思いながら眺めていましたね。
ちょうどイベント「スティッチのフリフリオハナバッシュ」がやっていました。
シーではディズニーベアからダッフィーに変わった辺りだったんじゃないでしょうか?
東海から旅行に来ていたので、3800円のベアを自分の為に買うのがもったいなくて
我慢したりしましたね。

その年の9月の終わりに父は他界しました。
上の弟はアメリカに研究に行っていたし。下の弟はまだ医学生で
妹は母の病院に付き添っていたので私が警察に父の確認を指示し
死亡の知らせを聞いてそのまま一睡もせずに山陰の実家まで
車を走らせ警察で冷蔵保存されていた父の遺体を引き取り
主人と二人で子ども4人とお葬式の事とか何もかもの段取りをしました。
その後で親戚や兄弟が駆けつけたので
駆け落ち同然で結婚した私達が取り仕切るのもおかしいからと
弟に喪主をお願いして、葬儀は無事終わりました。

父は弟二人を医者にしてもう少しで弟達が独立して楽な老後を迎えられるはずだったのに
人間の命なんて、いつ、ハイここで終わりって言われるか
わからないし、あっけないものだと思ったし。
すべてを取り仕切ってしまったがために泣く事も出来ずにいて。
その3ヵ月後でしょうね。やっぱり実感したのは。
後から悲しみってのは来るんですね。
それで、耐えられなくなったんですよ。その生活に。

夢も希望何も感じられなくて、どこにもやり場がなくて
こんな所で主人の親戚といがみ合って暮らすのか?
こんなちっぽけな田舎の地区でくだらない事でもめたりいじめられたり
もっと自分達がいるにふさわしい居場所はあるはずだって。
そこで思い出したのが、浦安で。
もう、そこからは舞浜駅の発車のベルを想い出して
フリフリのCD聞いては涙があふれて。
行くしかないんだって、思いました。
何も、保証はないけれどまず家を人に貸して
家賃代で浦安の家賃を払えばいいや。
仕事は最悪、デイズニーでバイトすればいいや
教員免許あるから児童館でも臨時教員でも私が働けばいい。
主人はネットの職安で仕事探してと大変でしたが。

まあ、なんとかなるって、貯金もその時たった20万しかなかったですから。
無謀っちゃ無謀でしたが、そこは、人生気合とはったりで
生きてきた私なので何も怖くはなかったですね。
現に臨時教員も登録したし。ただ、それ以上に主人が仕事見つけてきたので
それからは引っ越してきてすぐに買った家族全員の年パスだけが宝物みたいに
通いましたね。お家でご飯食べてから行くので
あまりお金をパーク内で落とさない貧乏な客でしたけど。

その時は1年もすれば家が買えるかな~なんて甘い事を考えていました。
まあ、その後、借りられる額と浦安の物件価格の差にビビリました。
プチバブルだったので当たり前です。
数社に声をかけるも、年収の低さから営業さんに馬鹿にされまくって
悔しかったです。

それでも、強気に強気に物件探して自分で勝手に査定して値切り交渉。
まあ、全敗でした。
お客としての扱い受けてなかったですから。
でも、中には買えなかったけれど
ひどい営業さんを言葉で打ち負かして勝ったなんて思っていたときもありました。
いつでも前にだけ進んで生きてるみたいでしょ。
それまでに買えそうな物件はどんなに困難でも探す努力をしていました。
そして何人もの営業さんを信じたのに裏切られたり放置されたりしましたが

やっと最後に私達の救世主にであったんですよ。
不動産屋の営業さんは浦安に五万といるけど
みんな横のつながりがあって、どこの馬の骨かわからない私達に
親身になってくれるはずもなかったんですが。

こんなことってあるんですね。いたんですね。こんな所に・・・。
逢った瞬間にこの人しか私達のお家を任せられないと思いました。
それまでの営業さんとは違うって思ったんですよね。
そんな営業さんにめぐりあえたのは本当に幸せだったなと思います。

浦安でお家を買うには絶対的に自分に味方してくれる営業さんは不可欠です。
ただでさえ、売主の方ばかり浦安の仲介業者って見てるから
そんな最強の味方が見つけられたらお家を取得する道は
案外見えてきますよ。
お家は笑顔で買うものだって本当に思います。