ブログで知り合った方の子どもさんが、中学校でいじめにあっている。彼女のブログで、その話を読んだのは、3ヶ月くらい前だったんじゃないかと思う。
私は、ずーっと気になって、経過を見守っている。だけど、いつも思うことは、決断が遅いという事。
子供達の世界も、大人たちの世界も、問題が長引けば長引くほど、状況は悪化する。タイミングを間違えると、火に油を注ぐ。
そうなってしまってからでは、収拾がつかない。子どもの居場所を追い詰めてしまったのは、紛れもなく、親の行動なのです。
私は、自分の子どもがいじめにあったとき、まず証拠集め、証言者集め、、客観的な状況証拠を集めた。
その上で、相手の子がどういうタイプの子であるか、そのこの親はどういう人かをリサーチする。
そして、どこから口火を切るか考えて、立ち向かう。
もちろん、その前に、わが子自身に、相手に対して、嫌な気分でいるということのアピールはするようにさせている。嫌だという事は、言葉で伝えなければ相手には、伝わらないからだ。その時点で、ごめん、悪かったとなれば、それはそれでいいと思うけれど。
それでもダメな時は、担任に、連絡帳とかで、こういう事実がありましたと、対処して下さいと。書いてみる。その時点で、いじめはないというような担任なら、証拠を持って、校長や、教頭に話して、担任を指導力不足だと、つるし上げます。ここでたいていの担任は、改心するのですが、ダメな場合、いじめがひどくなる兆しが見えた時点で、校長や教頭に報告したがさらに対応されないと判断して、すぐさま、上の教育委員会に証拠、、相談内容、求める対処法、などを文書にして、訴えます。
ここまでやるなら、もちろん、転校覚悟でやるわけですが、目の前の中学校に、そうやって戦って居座るだけの価値がある場所なのかというのも、その時同時に考えます。そして、教育委員会には、選択肢として、対応できる学校への転校を希望としてあげます。
いじめが対処できない学校なので転校しますということになれば、その中学校の教師の指導力がないということが、公然とさらされるわけで、できればそういう事態は避けたいということで、たいてい、担任とばしとか、その担任だけが悪いのだという結論で、対処という事になるわけですが。
そもそも、親のフォローが遅すぎて、相手が逆切れできるようなすきを作ってしまったら、この戦いは、すでに負け戦である。どんなにいじめられた方は悪くないといっても、どんなにこちらには非がないと正しい事を言っていても、まわりは聞いてはくれない。過保護なバカ親が、騒いで迷惑だとしかあつかわれないのだ。しかも、それが長引いてるとなれば、謝ったやん、しつこいな~と逆切れさえされるのは当然。
根本的にどうしたいのかが不明です。謝らせたいだけなのか、わが子を受け入れて欲しいのか、それとも、パシリで使われてもいいから仲良くしてもらいたいのか。
そんな状態で、その子どもが学校に行ったときの針のむしろ状態なんて、親にはリアルにはわからないだろうね。よほど強い子なら、それでも歯を食いしばってでもいくだろう。さらに、いじめにあって、やってもない罪を擦り付けられても、ハングリー精神があるなら、戦い抜いていくだろう。
それが出来る子は、もともといじめられて、泣き寝入りなどしないだろうけど。でも、たいていの子は、学校が自分の社会のすべてだと思っているから、そこにいられなければ自分が生きている価値を見いだせなくて、自殺という事を選ぶ子もいる。そこに追い詰めたのは、いじめた相手だけじゃなくて、何の戦略もなく、騒ぎ立てた親自身でもある。子どもが死んでから騒いだって、そのこの命は戻ってこない。
本当に大事なのは、わが子の心を守ることじゃないの?その子がどこにいれば一番その子らしくいられるのかってこと。親の見栄とか、体裁とか、感傷とか、恨みとか、そんなものはどうでもいい。そこまで追い詰められた子どもに、これ以上何をがんばれというのか?迷っているひまなどない。しかも、相手じゃないけど、子どもがいじめられていると、まわりが言ってくれた、メールとかの証拠まであるし、親まで、まわりから嫌がらせをいわれた事実もあって、名前もわかるし、証拠は揃っている。
戦うなら今しかないが、どう戦うかは、両刃の剣だと。たたかってもそこに居座るか、バカどもは相手にしないでわが子を避難させるのか。あくまで、相手の非を明らかにしてやった上で、いい場所を紹介してもらってもいい。ただ行った先では、いじめよりも、体の事を第一に対処してもらったクラス作りを担任にお願いするのは、言うまでもないけれど。あとはひたすら、自分が何をいわれても、気にしないことを貫くかぐらい。
私は3ヶ月前に、そう話したつもりです。3ヶ月かけて、同じ答えをまわりのブロガーから頂いていたみたいだけど、その間、お子さんががどんなにつらかったか、本当のところはわかってないのだろう。
そう書きながら、放って置けばいいのに、気になってしかたがない。わが子じゃないんだけど・・・。
私は、ハングリー精神がある子どもだった。大人になった今も、それはきっとかわらない。自分が動かなければ何もかわらない、誰も助けてはくれない。でも、ここさえ終われば、次の世界が待っていると、思える希望や夢は私にはあった。いつか、こんな封建的な田舎者の集団じゃなくて、もっと大きな世界に出て行ってやるって。(有名になるという意味じゃありません。)高校、大学、それからと、世界はどんどん変わったし視野もどんどん広がった。あんなちっぽけな世界で、苦しんでいた自分がおかしいと思えるほどだ。しょせん、小学校や中学校の世界なんて、社会に出てしまえば、ちっぽけなコミュニティでしかない。
日本は思ったより広い、求めれば、海外にだって、留学できる。帰国子女上等じゃん。フリースクールだってある。自分を追い詰めないで、自分の心を大事にして、あなたがあなたとして生まれてきたことには意味があるから。あなたにとってありのままでいられる居場所が必ずこの世界の中には存在しているから。自分自身のためにがんばってと、その子に伝えてあげたい。他に私にはなにも出来ないけどさ。
自分でも思う。おせっかいだなって。でもね、これが私の性分なのだ。自分のブログで話していたって、仕方ないことなんだけど、同じ様な状況で苦しんでいる誰かの為に参考になればいいなと思う。