それというのも、三番目の子の発作が、完全にはおさまっていないので、やっぱりフルタイムで共働きだと、倒れて、救急車で運ばれるとか、そうでなくても、熱でお迎えお願いしますと言われたら、困るという理由からなんですが。
主人も、また仕事の面接に行くみたいだし、今度は希望に近い仕事みたいなので、それが決まれば、一日8時間から9時間労働になるので、家事のや子育てに協力させるのは、主人もへとへとで大変だから、しっかり、家庭を守るべきなのかなと思ったんですよね。
今日江原さんの特別番組がやっていて、途中からしか見てなかったんだけど、障害のある子どもをどう育てていいかわからないというご夫婦のシーンで、江原さんが言っていた言葉で、「子どもは親を選んで生まれてくるのだ」という話があったと思うのですが。
それを考えていたら、私はまだまだ我が子に、愛情をそそぎきれてないな~とか、笑顔が足りないな~とか、反省することも多くて、ちょっと、身につまされちゃいました。お金がないからといって、子どもを犠牲にしちゃいけないって、3年前に、学んだとこなのに、また同じ過ちをしようとしているんじゃないかな~って、思えてきたんです。
私は、実家の父が、去年亡くなって、母は、癌で余命3年。主人の父や母は、仕事をしているし、そうでなくても、主人の兄にも子どもが4人いるし、姉にも子どもが2人いて、どう考えてみても、うちの子が倒れても、助けに手伝いに来てくれる、人はいないのです。頼れる人はいないといったほうが良いかな。だから、夫婦で、4人の子どもを育てていくには、やっぱり、共働きは、無理かなって、思うんですよね。主人に働いていてもらう方が、一番いいかなって、思うし。病気の時の母親の感は、父親ではカバーできないようなので。
私達の子を、私達が、愛しんで、育てなくて、誰かがあの子達に、愛情を注いでくれるわけじゃないので。今でも、私は、二番目の子が、愛せない時があって、それは、出来が悪いとかだけじゃなく、1歳半から、保育園に預けて、仕事をしなければ、食べていけなかったから、その時のつらさと、寂しそうなあの子の顔が重なって、それを抱きしめてやれるだけの余裕がなかった自分を思いだしてしまって、今でも素直に甘えさせてやれないのかもしれません。なくした時間は、なかなか取り戻せないのだと、痛感しています。だからこそ、ここでは、子ども達に、楽しい笑顔をあたえてやりたいって思うんですよね。やっぱり、人のお子様の面倒見るより、まず家庭を、我が子を優先しろって神様は私に言っているのかな?仕事が、決定しないってことは、そういうことなのかな。前世では、私のやり残した事は、子育てだったのかな?