こんばんは![]()
雨の名残がありながら
気温は高い日でしたね。
街では恒例のハーフマラソンがあり、
よーーく存じている方で
参加される方がいらっしゃるので
気持ちの中で応援していました![]()
走らない私も
昼間はベストでいけまして
こんな日はワンコと散歩![]()
外が明るいうちに
散歩ができるのは
私にとっては貴重なので
ささっと用意をして出ました。
7月に保護犬を迎え入れ
3歳半だけど
イチから躾が必要なワンコ。
外の世界にはまだ慣れていないので
彼女のペースに合わせて
キャリーバッグに入れたり
トイトレや
散歩に少しずつ慣れさせる練習も
まだまだ継続中。
こうやって育てていると
やっぱり『育てる』ことって
根っこの部分は同じだな
と思うんですよ。
言葉が話せなくても
こちらが話す言葉は
なんとなーーーく分かってる。
垂れ耳をあげて
知っている単語かも![]()
って思っているのか
一生懸命聴こうとしている姿を見て
こちらの教えたい欲が
増し増しになるのです![]()
何事もそうですが
一生懸命な姿というものは
良いものですね。
例えば
字があまり上手ではない人から
お手紙をもらったとして
その字を見たら
一生懸命書いたか、
走り書きのように書いたか、
伝わってしまいます。
文字の形だけじゃなくて
文章を読めば
一生懸命考えて書いたのか、
ただ仕上げるために書いたのか、
伝わるんですよね。
普段一生懸命な人が
ただ仕上げるために書いてきたら
どうしたんだろう![]()
何かに焦っているのかしら。
許容範囲を超えた何かが
起きているのかもしれない。
などと考えますが
一生懸命さが無い人が
更に同じことをしていたら
近くに居たくなくなります。
そう思うと
生きるものの集まりというものは
纏う空気に表れていて
それぞれが無意識のうちにも
受け取っているような気がします。
例え空回っている時があっても
投げやりよりは
一生懸命な方が良い。
そう思います。
感謝も賞賛も
言葉に表すことは必要なことですが
たくさんの感謝も
たくさんの賞賛も
ほんの少しの非言語の表れで
まるでリバーシみたいに
白から黒へと裏返ることを
人生の後輩たちには
伝えていきたいです。


