こんばんは
雨の名残がありながら
気温は高い日でしたね。
街では恒例のハーフマラソンがあり、
よーーく存じている方で
参加される方がいらっしゃるので
気持ちの中で応援していました
走らない私も
昼間はベストでいけまして
こんな日はワンコと散歩
外が明るいうちに
散歩ができるのは
私にとっては貴重なので
ささっと用意をして出ました。
7月に保護犬を迎え入れ
3歳半だけど
イチから躾が必要なワンコ。
外の世界にはまだ慣れていないので
彼女のペースに合わせて
キャリーバッグに入れたり
トイトレや
散歩に少しずつ慣れさせる練習も
まだまだ継続中。
こうやって育てていると
やっぱり『育てる』ことって
根っこの部分は同じだな
と思うんですよ。
言葉が話せなくても
こちらが話す言葉は
なんとなーーーく分かってる。
垂れ耳をあげて
知っている単語かも
って思っているのか
一生懸命聴こうとしている姿を見て
こちらの教えたい欲が
増し増しになるのです
何事もそうですが
一生懸命な姿というものは
良いものですね。
例えば
字があまり上手ではない人から
お手紙をもらったとして
その字を見たら
一生懸命書いたか、
走り書きのように書いたか、
伝わってしまいます。
文字の形だけじゃなくて
文章を読めば
一生懸命考えて書いたのか、
ただ仕上げるために書いたのか、
伝わるんですよね。
普段一生懸命な人が
ただ仕上げるために書いてきたら
どうしたんだろう
何かに焦っているのかしら。
許容範囲を超えた何かが
起きているのかもしれない。
などと考えますが
一生懸命さが無い人が
更に同じことをしていたら
近くに居たくなくなります。
そう思うと
生きるものの集まりというものは
纏う空気に表れていて
それぞれが無意識のうちにも
受け取っているような気がします。
例え空回っている時があっても
投げやりよりは
一生懸命な方が良い。
そう思います。
感謝も賞賛も
言葉に表すことは必要なことですが
たくさんの感謝も
たくさんの賞賛も
ほんの少しの非言語の表れで
まるでリバーシみたいに
白から黒へと裏返ることを
人生の後輩たちには
伝えていきたいです。







