以前、
『車椅子レストラン』という記事を
取り上げたことがあります。
多数派が標準になるのは
よくある話です
英語を話す人が多いから
公用語になりますし、
東京の人口が多いから
標準語になります。
多くの人が出来ることは
多くの人が出来ることは
『普通』『一般的』と言われて
生活に溶け込んでいるんですね。
今の『普通』は
割合から導かれたものであって
少数の割合を度外視するものではない。
自分自身のことを
多数派であり『普通』だと思っていても
それは自分が思う自分像であって
他者から見たら多数派から
外れているかもしれない。
だとしたら
『普通』ってアテになりませんね。
少しの配慮があったら
悲しい思いをする場面が
自分の周りから減るのであれば
そこから始めれば良い
そう思いました。