真夜中に携帯が鳴った時、母が入院している病院からだと直感でわかりました。

 

 

「今すぐ来れますか?」

 

 

病院に着いて母の姿を見た時、いたたまれない気持ちになったものの、すぐに落ち着いたのは不思議でした。

 

 

 

突然倒れて、病室のベッドの人となってしまってから、ちょうど2年の月日が経っていました。

 

当初、医師からオペをするにもオペの為の検査をする時間が無い為、できることは看取ってあげる事だけです。

 

としか言われなかったものの、なんとか峠を自力で踏ん張った母。

 

 

かろうじてオペまで漕ぎつけ、回復については天のみぞ知る、といった状況でした。

 

 

2年間もよく頑張ったと思いました。

 

 

息を引き取ってからの表情は、まるで生前の健康だった頃の表情に戻っていたのには驚かされました。なので素直に良かったと思いました。

 

 

母という人は、学校に通っていた頃、勉学は飛び抜けてできたらしいのですが、唯一体育だけは生まれながらの運動音痴で、常に5段階の1評価で苦手意識を超越していた人でした。

 

 

結婚し生まれてくる子供は、勉学はできなくてもいいから、体育だけは人並みにできる子になってくれたら、それだけで良いと言ってた事を私は覚えています。

 

 

ですので、中学や高校で部活の大会に行き、表彰状を持って帰って来た時には、もう、偉く喜んでおりました。

 

 

東北大震災があった年の春、生まれ育った大阪に転勤で戻ってきたワタシ。

 

 

その時は、もうデブデブで成人病まっしぐら状態。

 

 

そんな時に、ダイエットで始めたRUN。

 

 

お陰様で若かりし頃のシルエットに戻れそうな望みを持ちつつ、膝痛でゴロゴロする日々のイタチごっご状態でしたが、2013年2月、3度目のフルマラソンで4時間06分を記録したとき、

 

 

当時、マラソンをするタレントで東国原さんや、山中教授、鈴木宗男さん、宮根誠二さんらも総じて4時間くらいの記録だった事から、我が息子がこれらの著名人と張り合ってると勝手に誇らしくしてるのには、見てるワタシも横で可笑しく思えたものでした。

 

 

相当な運動トラウマの母でした。

 

 

ワタシは記録を狙うより、カメラ片手に季節の移り変わりを楽しむRUNの方が肌に合っているので期待はしてほしくないのですがね・・・。

 

 

ただ元気に走る姿だけは、これからも空高くから見ていてほしいと思うのであります。

 

 

『丈夫な体に産んでくれて有難う』

 

 

感謝してるで!!お母さんキラキラ