少し時間が空いてしまいました。

「私と姉の関係」の続きです。



2年前の「宗教勧誘」から以降、

夫のガンが発覚したので、

私は東京へ足繁く行けなくなり、

娘は東京に行く用事があっても、

姉のところには寄らなくなった。


姉はもともと自分から

コンタクトを取る性格の人では

なかったし、

「私が悩んでいる時、

誰も助けてくれなかった。」

というのが口癖。


それを聞くのが、

辛かった私は、生前の夫に相談すると、

「では、自分から相談してきたの?」

「何をどうしたいのか、

本人がわからなければ、

どうすることも出来ないよね。」

「自分の都合が悪い話になると、

すぐ席を外すでしょ。」と。


その言葉で、

私にある姉に対する

罪悪感は楽になりました。

私と姉は同じ環境に

育ちながらも、違う道を

選択しているのだから、

羨ましがられる事も、

妬まれる事もないのだから。


今回の両親の墓仕舞いで、

東京に行った時のこと。


体調が優れないのに、

団体の行事には参加すると

いうし(手かざしがあるから?)、

ボランティアで農作業を

手伝ったりするらしい…。


数年前、風邪を放置して、

咳喘息を起こし、

今もかなりの咳をしているし、

逆流性食道炎だというが、

「薬を飲んではいけない」という、

教義を頑なに守っている。


「薬に頼る必要はないけれど、

「手かざし」で治ったの?

もし、悪くなっているのなら、

それに、具合が悪くても

行かなきゃいけないのは、

カ◯ト宗教だよ。」と、

言ってしまった。


すると、

「うるさい!あなたの話は聞かない!」

と、一言。

災害に対するヒントなども、

私の意見は聞かないの一点張り。

「助からなくても良い。」と

言う。


「友人がいるから、

辞められない。」というのは、

ただ依存しているだけなのに。

ボランティアという行いは、

そういうことではないはず。

毎日、道路のゴミを人知れず

拾うことの方が良い気がする。


何故、気が付かないのか?


母が生きている頃、

「◯子(姉)や◯男(甥っ子)のことを、

助けてあげてね。」と、

私に口すっぱく言っていたけれど、

それを現実的に守ることは、

出来ないかもしれないと

思った瞬間だ。


今も、心配はしている。

影で祈ることしか出来ない。

姉の毎日が「楽しい」のなら、

それも認めるしかない。


見方を変えれば、

私も姉が「鏡」なのかな?と、

思ったりする。

人の意見を聞く姿勢、

もしも、間違った事をしていたら、

聞く耳を持たないといけない。

私が育った家族が、

反面教師ばかりが集まった家族

かもしれないから…。


私の回りで起きていること

ひとつひとつに一喜一憂せず、

流れのまま

「神様の言うとおり!」で

歩んでいこうと

気持ちを新たにした。