流れがうまくいかないなぁ~と思います。
運気は低迷かもしれません。
私は「おかえしもうす」ですね。
ねじれていたのです。どうしてもねじれを直さないといけない。
最後生駒山の宝山寺般若窟に往き終わりだと思います。
白蛇弁財天にも挨拶に行きます。
いや、六甲の事を何度も言われていたので、、
確かに私は六甲を調べていましたけどね。
有難いですね。
急に流れが変わったかもしれないのは、、三輪山と石上神宮の玉の緒の記事を見てからですね。
ご飯でも炊いて、ゆっくりしましょう。
阿蘇と豊後水道の地震気になりますね。
昨晩、友人からmessage
があり、埼玉の般若山法性寺の様子ですが、、
その動画はぬるっとした感じで、、
神霊界の何かが動いているようです。
関東の白へびさんが動いているようです。
私の謂う、白蛇さんの発端は「美具久留御霊」の白雲宮なのですが、、
昨日は、和邇宮のことを調べていました。
今思うと、白雲宮って、雲、なんですよ。
蜘蛛塚、土蜘蛛族のことかと思います。
般若山法性寺の赤ちゃんもいて、、、岩雲弁財天の宝珠からです
何となく、おわったと思いたいのですが、、これからまた何か始まるのかもしれないです。
私は、今朝から肩が重くて、、、
比叡山常行堂と青龍弁財天の御祭りで、肩をはらってもらったのですけど。
5月12日までに、蛇付き彼女の動きが無ければ、終わりにしたいと思います。
あの人、執念深いし、離れないのよね。
私のところに何か訴えにきたのなら、、それはそれで対処します。
市内の宮町に鎮座している、式内社(平安時代に編さんされた延喜式に記載されている古社)である美具久留御魂神社の東方には、粟ヶ池と呼ぶ南北400m、東西200mの灌漑用水池があります。
この池は人工の池で、日本書紀の仁徳天皇の条にある和邇池にあたると言われ、古くからあったことが想像されます。
また、池の東方向には桜井町を中心とした桜井遺跡、中野町を中心に中野北遺跡が広がっています。これらの遺跡からは弥生時代の遺物、遺構が確認されている所もあり、弥生時代にはすでにこの辺りが開発されていたと推定されます。日本書紀に桜井屯倉として桜井の地名がみられます。屯倉は、大和朝廷の直轄地から収穫した米を蓄積した倉をさし、富田林市の桜井がこれに当たるとの説もあります。
さて、今回発掘調査を行った場所は粟ヶ池の東側を南北方向に走る旧170号線沿いにあり、桜井遺跡の範囲にあたります。
発掘調査の結果、古墳時代後期から平安時代の遺構、遺物が見つかりました。部分的な調査のため、確認できる事が限られていましたが、興味深い遺物が出土しました。それは、甑と呼ばれる、食べ物を蒸すための道具です。この土器は底部に穴がある深鉢形の土器です。この穴は蒸気が通るためのもので、穴が一つのものと、複数のものとがあります。今回、集落跡に伴う遺構から出土した甑は穴が一つでした。この甑は、古墳時代後期の須恵器とともに出土しており、その時期のものと思われます。
その後、平安時代後期には、この調査区が耕作地として使用され続けていたことがわかりました。おそらく、耕作地は粟ヶ池の水を利用して多くの実りを得ていたと思われます。また、近くにある美具久留御魂神社は別名、下水分神社とも呼ばれており、この地域がいかに水との関係が深いかが想像されます。
甑ですか・・
甑島 甑島の焼酎を愛飲していますが、、
甑岩神社。六甲の越木岩神社と関係しますかね。
美具久留の神様は水神で、和邇、丸になった蛇神、ウロボロス。
ワカヒルメです・・
一陽来復があるので、一言主とも関係しますよね。
狭山池女龍 粟が池男龍
狭山池に住むのは、善女竜王
平成に入ってからの狭山池のダム化工事の際、この龍神淵の底から壺が見つかったという。しかし、地域の人々の要望でこの壺は開封されずに、工事後、龍神淵の底に戻されたという。善女龍王のご神体が入っているかもしれないともいわれた。
龍の夫婦は住んでいるのでしょうか…。「後にできた伝説です。近世の文献には全く出てきていません。いろんな村々で口頭で語り継いできた民話でしょう」
おおーーーーこれは知らなかったです。
善女龍王は狭山池にもいらっしゃったのですか・・・
これが、近々行ってみたいと思います。
粟が池のみぐくるんの玉も女子っぽい感じですけどね。
男性なのは本当か??瀧口明神。
竜口明神は住吉神らしいけど、、