寄付をして、お金を循環する方法を得て、情報が入ってくるようになりました。

もうすぐ、鹿児島県まで出向く予定ですが、、、課題が終わってからでないと次に進めないため。

初めて、夫はどのあたりを予約したのかなぁと調べますと、、

火御碕、妙見神社が沢山あり、火の神ロードとかでてきます。

私はここに行くのが良いのです。直感ニコニコ

長崎県諫早にも導かれるように出向いて、、目的は知らないですよ。

結局

まぼろしの邪馬台国、卑弥呼に出会ったのです。

そこで、長崎の卑弥呼伝説を勉強するのですが、、

 

時間探偵様より

長崎の原風景(4) 航海・漁業の守護神「娘媽(ノーマ)」が野母崎の語源 | 時間探偵 (artworks-inter.net)

 

古代の彼杵郡は、現在の佐世保市一帯から大村湾を取り囲む地域、それに長崎半島に至る広い範囲であり、その中には四郷があった。すなわち彼杵郷、大村郷、浮穴郷、周賀郷である。彼杵郷は佐世保から彼杵に至る地域、大村郷は大村市一帯、浮穴、周賀の二郷は所在不明であるが、ただ周賀郷は野母崎付近とする説が有力である。
(『長崎県史』古代・中世編)

そして、肥前風土記には、郡の北にある郡の浮穴(うきあな)の郷に、土蜘蛛の「浮穴沫媛」がいて、天皇に刃向かったので誅したとある。

浮穴(うきあな)の郷が何処であるか不明だが、彼杵郡である。

そして、この地に反大和勢がいたことは間違いない。

長崎の彼杵郡には反大和勢力の地域なので、調査できなかったというのが本当のようである。

 

しかし、神功皇后の伝説は長崎市内付近まである。神功皇后は三韓征伐をしたという女傑である。彼女の伝説は日本中にあるが、長崎の彼杵郡にも多い。

神功皇后自体が伝説といわれているので、何の確証もないのだが、野母崎半島にだけ伝説がないというのも気になる。

伝説はあったけど、なくなったのか、もともと野母崎半島に人がいなかったのか。

しかし、この章にも書いたが、野母崎には熊野から流れ着いた漁民が住み着いたとある。

 

長崎名勝図絵(江戸時代初期に書かれたもの)に肥の御崎(野母崎)に警固所が有ったことが記されている。

長崎名勝図絵 巻之二下   南邊之部 164海門山(文献叢書 142~146頁  所在地 長崎市野母町) 長崎の南七里 野母浦の高山。他の山に接せず、これだけが高く聳えているので、登って見ると、周囲が果てしなく見渡せる。

権現山、日の山、火の山とも称する。山上の木立ちの中に、火山権現の祠がある。夜になると、山の頂に燈火が現れその光は尋常のものではない。人皆これを霊異とした。外国の船が入津するに当たって、この燈火を目印にした。

野母崎は、霊異の現れる場所だったのである。

野母崎は、ただの西の果てではない。

長崎の野母崎に流れ着いたのは漁師ではなく、役小角(修験道)一派だったのではないだろうか。

野母崎には熊野神社が二つもあり、さらに中老の葛城の言い伝えもある。

その一族が、朝廷に捕らわれている役小角の母のことを想い、熊野の母の御崎、すなわち「野母崎」と名付けたのではないだろうかと推測される。

媽祖(まそ)

鹿児島県野間岬の野間岳、長崎県野母崎の権現山、海の女神を祀る。

娘媽神女であるニャンマとかニャンニャン、ロウマともいう。 媽祖(まそ)は、航海、漁業の神で、台湾、福健省など華南地方海岸一帯で信仰されている。 「娘媽神」「媽祖」「天妃」「天后」などいろいろな呼び方がある。ロウマが訛って野間になったといわれる。

 

http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-1e63.html

海辺の民「蚤民族」(アタ族)が祀りすがった神が「にゃんにゃん」である。

正式には「媽祖(まそ)」または「娘媽神女」で、別名「天后」「天妃」ともいう。

この神は、海を放浪するアタ族のために、自ら海中に身を投げて航海の安全を祈ったという伝承を持ち、南は海南島からマカオ、台湾、沖縄に至るまで、広く祀られている。

この神の溺死体が漂着したところが南さつま市の野間岬である。

野間岳の中腹にある「野間神社」の由緒書きには「娘媽」の死体が野間岬に漂着し たのでこれを野間岳に祀ったと記されている。

「娘媽」は「ノーマ」または「ニャンマ」と読む。

媽祖(まそ)は、現在の長崎ではランタンフェスティバルに媽祖行列という行事が誕生している。

中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神である。

媽祖と呼ぶのは福建方言で母親の意である。風浪危急のときは媽祖と呼べば神がざんばら神のまま駆けつけてすぐ救ってくれる。もし天妃と呼べば冠をきちんとかぶって現れるので間に合わない恐れがある。したがって船乗りは媽祖と呼ぶのが常であったとも言われる。

媽祖老媽(のうま)・娘媽・菩薩(ぼさ)・天妃・媽祖菩薩、天上聖母などと、いろいろの名で呼ばれている。

媽祖に母親の意味もある。

媽祖は「ノウマ」と呼ばれている。そして媽祖は母親の意がある。

「ノウマ」の母

「野母」の地名にぴったりである。

無人の野っ原に老母が住居を構え村落をなしたので、この老母の功績を後世に伝えようと、“野の母”で野母と名付けられたという由来にもぴったり当てはまる。

 

ここに最後、、出雲の日御碕神社と、鹿児島の火の神ロード火の神と繋がるのだろうか・・・

火の神はいつのまにか、日の神と昇格され、火の神は消されてしまった。

火の神は、饒速日命となったのだろうか。

そのことを私に伝えてきているようだ。

記紀はそのように神話になっているので、、私だけが知ればよいみたいですね。

あえて、否定はしないで・・

阿蘇噴火マグマと島原半島はつながっているようです。

私の先祖からの伝言だということです。