上位意識という言葉を使いますが、上から何か降りてくるような下から湧き上がってくるような感覚です。

上位意識の指示に従い歩いているのですが、、

常識を飛び越えなければいけない案件もでてくるのですが、、
自己防衛、線引はあって、、踏みとどまる努力をするか違うやり方に回避するか、常軌を逸しない真っ当な手段を選びます。
言い換えますと、むちゃな言い分は、物凄く悩んで、時間をかけて潜在意識に問うて解を得るのです。

そうしなければ、発狂するか、破綻するか、破れる感覚があるのです。守破離。
九十九神、付喪神に憑りつかれる。
線・千を越えた本人は気が付かないでしょうが、端から見ると、こちらの世界には戻ってこれないのだろうなと思うからです。
付喪神(京都大学附属図書館所蔵)様より

挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第5話 付喪神(つくもがみ) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ (kyoto-u.ac.jp)

線、境界線の事を言っているのですが、、

破れる、避ける、裂ける、

境界を越えた世界(変化)は魑魅魍魎が跋扈する暗黒の世で、そこで生きることを選んだ者たちがいるわけで、、

それを、改心させるには、護法童子が必要

 

※このことから、大蛇が境界線を越えた産物として避けた尾、八岐大蛇霊と想像されたのだろうか

①人が恨みを持つ心、悪想念に支配される

②行動が鬼のようになり、生成り(鬼なり)⇒般若(大蛇)⇒真蛇(しんじゃ、深沙大王)

鬼神⇒般若⇒真蛇・歯が金色眉毛なし(八岐大蛇霊)

③八岐大蛇を霊刀で斬る⇒尾にあるのは刀¥劔¥、草なぎの剣(鉄の威力で、豊穣と戦争)これを封印。慰霊慰撫。

④天皇祭祀における剣、三種の神器、弥栄の邇勾玉、草なぎの剣、八咫鏡、
八坂はイヤサカの事で、八坂神社祇園には素戔嗚命(牛頭天王)が祀られる

➄田油津姫は吾平津姫でない。阿比良姫と吾平津姫(田油津姫)を一緒に考えていたので、紐解けなかった。

鵜戸神宮の近く油津の洞窟に入る、祇園神社、八岐大蛇を祭祀する巫女田油津姫で、縄文の八岐大蛇は神龍八大龍王神へと護法童子を得て変化しなければならない。

産霊。結びの神へと変化。白山姫のことかもしれない。

護法童子を得ることができるかどうかが、鍵。秘鍵となる。

 

悪想念(欲望)は豊穣と戦争を産む。

それを恕の精神で和らげるのが、、良いのだろうと感じますが、、

蔵王権現の本質。

人類意識集合体という、アカシックレコードなるものが

宇宙に存在するらしいが、、

このアカシックレコードに記憶させることが出来る人物が何人か過去の地球上に出現している

それは宗教の開祖などとなっていると思う

 

阿頼耶識、八識 コトバンク参照

阿梨耶識とも書き,無没識(むもつしき)・蔵識(ぞうしき)と訳す。唯識説では第八識で,宇宙万有の展開の根元であり,万有発生の種子でもある。人間から仏へ悟りを開く時,阿頼耶識が大円鏡智に転換するとも説く。

阿摩羅識、九識

ウィキペディア参照

唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿頼耶識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。

これらの思想を止揚するため、天台宗や華厳宗は、この阿摩羅識を加えて新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。

なお、法相宗では玄奘がこの説に対し摂論を釈して、第八の阿摩羅識のみを立てて、それは阿頼耶識の果上に至りし時の名称であり、また阿頼耶識が無垢になったものであるとするので九識を別に分けて立てない。

天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。日蓮は日向記で「究竟即(くきょうそく)とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり」、「此の九識法性とは、如何なる所の法界を指すや。法界とは十界なり。十界即諸法なり、此の諸法の当体、本有の妙法蓮華経なり。此の重に迷う衆生のために一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出するなり。さて終に本の九識に引入する。それを法華経とは云うなり」、また日女御前返事でも「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱なうる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べている。