2011年3月11日(金)、東日本で巨大地震が発生しました。
被災された皆さまに心からお見舞いを申し上げます。
そして、お亡くなりになりました皆さまに心よりお悔やみ申しあげます。
≪奥久慈男体山≫は、
茨城県の最北端に位置する大子町(だいごまち)にあります。
北側の斜面は緩やかですが、南側と西側は切り立った崖になっています。
3月11日、奥久慈男体山から袋田の滝まで縦走するツアーに参加しました。
続きです。 後編(最終回)です。
木々がざわざわと揺れ、地震が発生しました。
皆、しゃがんで木などに掴まりました。
長く揺れました。
周りに地割れやがけ崩れはありませんでした。
これ1回だけの揺れかと思っていました。
時計をみると、14時49分でした。
ドキドキしながらも、歩きだしました。
皆で、こんな地鳴りがする地震は初めてと話しました。
ところが・・・・・
きゃ~~ぁ、 また、地震です。
一面雪の斜面でした。
木の根につかまりました。



何もなかったように歩きだしましたが、
足はガクガクしています。
男体山山頂では晴れていた空が
どんよりとして重い雲に覆われていました。
「水根」分岐を通過しました。
「第2展望台」ですが寄りません。先を急ぎ、通過です。
はらはらと雪が舞っています。
このあたりは岩が多い場所です。
きゃ~~、_____また揺れました。15時17分。
しゃがみました。落ちないように石につかまりました。
下る時、お尻をおとして歩きました。
心臓がバクバクです。
ガイドさんが携帯電話で東京に連絡を取っています。
繋がらないと何度も掛けていました。
「第1展望台」に到着です。
やっと添乗員さんが東京と連絡が取れました。
東京も大きな地震で、避難している人もいるということでした。
震源は宮城県沖。震度が8を越えていました。(震度は後日、訂正でした)
予定を変更して、「袋田の滝」へは行かないことになりました。
急いで下山しましょうと。
屋根のある休憩所でしたが、
揺れて屋根がおちるといけないので中には入りません。
この第2展望台のある山が「鍋転山(423m)でした。
この頃、海岸に大津波が押し寄せていたとは・・・・。
急ぎ足で先へ進みました。
そして、
ここは「月居城跡」です。
私も自宅に携帯電話をかけましたが全く繋がりません。
メールは送れそうでしたので「大地震でしたが、私は無事です」と送りました。
家族と連絡が取れず、逆に心配になりました。
急斜面を下ります。
雪が残った急斜面、ロープにつかまり下ります。
さっきまで雪が舞っていた空から陽が射していました。
そして、この分岐で
エスケープルートに入りました。
「袋田の滝」は右ですが、左の「袋田駅」方向へ。
道が・・・崩れて塞がっていました。
月居観音堂の下の斜面が崖崩れでした。
道端の木を踏みしめて通過。
大きな岩が・・・・ゴロン~~
地盤が緩いらしく岩が多く転がっていました。
登山道から車道にでました。
月居古道入口でした。
我慢していたトイレが、ここにありました。
ほっ。少し落ち着きました。
でも、舗装道路を歩きだしてみると・・・・・
こちらも崖崩れが凄いです。
落石防止のネットがずたずたに壊れていました。
倒れた木を踏みしめて先へ。
地割れが・・・。
バスが待つ駐車場まで、早歩きしています。

山の中腹に月居観音堂の建物が夕日にあたっていました。
橋を渡り、袋田駅方面に近づいてきました。
所々、崖崩れ。車は通っていません。
17時30分。駐車場で待っていたバスに乗り、
やっと、やっと無事下山。ほっとしました。
ここから、東京・上野に帰ったのですが、
バスの運転手さんが2人いました。ラッキーでした。
寝ずに夜中も運転をしてくれました。
_____広域停電。信号が消えていました。
道路までブロック塀倒壊が多数。
海沿いに向かう道路は通行止め。
救急車両の通過やガス欠の車が立ち往生等々_____
観光バスのテレビでニュースを見ました。
愕然としました。
巨大地震が東日本を襲っていました。
家族と連絡メールが届いたのは、翌日の朝6時頃でした。
家族全員無事に、やっと眠ろうと思いました。