タイムリープもの | snow's blog

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This blog is writing simple feelings of snow.

気付いたら、GWも終わってました・・・snowです。

とても気持ちの良い五月晴れの日もあれば、梅雨を思わせるような雨の日も多くなってきましたね。

皆さん、体調を崩したりされていませんか?

 

ほんとはGWにBlogを書こうと思っていたのですが、バタバタしていて書けなかったので、今書いています。

 

昨年NETFLIXに加入したsnowなのですが、Amazonのプライムビデオ、TVer、NETFLIXなど、最近は見逃したドラマや映画を自宅でいつでも見ることができるようになって とても嬉しいです。

 

中々ドラマを全話、リアタイで見るのは難しいので、録画をしてみたりはしているのですが、観たいドラマや番組に限って、曜日や時間帯が重なっていることも多く、録画を見るのが追いつかないという悩みがありました。

ですが、最近はネットで観れるので、一番みたいものだけ録画してあとはネットで観たり、オンタイムで観れなくて、後で面白かったという評判を聞いて、ああ観たかったなと思っていたものを ネットで一気見することも増えました。

 

最近、話題になったドラマって色々ありますが、1つの特徴としてタイムリープものがあるように思います。

1つは ちょっと前に放送された「ブラッシュアップライフ」

もう1つは 「不適切にもほどがある!」

どちらもタイムリープものですが、日本が元気だった頃を描いていたり、人生の生きなおしを楽しく描いていたりします。

 

まず、「ブラッシュアップライフ」

これは、バカリズムさん脚本のドラマで、昨年の1月期のドラマ。

主人公を安藤サクラさん演じる近藤麻美ことあーちんが不慮の事故で亡くなり、あの世の受付に行って来世を聞き、もう一度同じ人生を生きなおすことを選択するということを繰り返すというドラマ。

 

バカリズムさんの脚本は いつも 私たちが一度は想像したことがあるようなことを脚本にされていることが多いですが、この話も、そうだなと思います。私たちも一度は死んだらその後どうなるかを明確に話せる人は今のところいませんが、来世というものがあるんだろうか、人生をもう一度やり直せたりしないのかな、とかって考えたことあるんじゃないかなと思うんですよね。

私は少なくても、幼い頃から、よく、もしかしたら、私は 大富豪の娘で 今は修行のために 身分を隠して、今の家族に預けられているのかも とか 前世や来世は どこかその経験値をもったまま 生きていたり、来世に誕生するのかもなんて 想像していました。もちろん あくまで 子どもの妄想ですが。

 

ま、私の話はおいておいて・・・このドラマのおもしろいところは、前回の人生の記憶をそのままに次の人生を生きなおすところと、主人公だけではなく、人間が皆同じように、何週目かの人生を歩んでいること。徳をつまないとなかなか人間には生まれないということです。

 

確かに、世の中に、とても出来た人間っていますよね。

子どもでも神童と呼ばれる、品行方正で勉強もできるような子どもっていたりします。

そういう人がもしも2周目、3周目の人生だったら・・・と思うと、面白いなと思います。

そして、徳をつまないと 来世がもしも 人間じゃなくて、植物や昆虫とかかもって想像すると、今の私は来世は人間は難しいかもなって思ったりして。

 

なんだか、想像することで、何倍にも楽しめる作品だなと思いました。

 

次に、「不適切にもほどがある!」

こちらは、宮藤官九郎さん脚本で、阿部サダヲさん主演のドラマ。今年の1月期のドラマ。

こちらは、純粋にタイムリープもののドラマです。

現代と昭和の一番日本が元気だった1985年を主人公の阿部さん演じる学校教師の小川が、ひょんなことから行き来するようになるという話。

 

このドラマの面白いところは、今だと コンプラなどで完全アウトであろうことが、1985年当時は、全然OKでTV番組ひとつとっても、日常生活でも、昔はOKだったことが、ずいぶん制約が厳しくなったなと思います。

例えば、たばこを吸うのも 昔は公共交通機関でも 喫煙できたけれど、今、喫煙できる場所の方が少ない。また、ドラマの恋愛シーンでも、今より昔はもっといろんな描写ができていたけど、今は あまり細かい描写はNGだったり。

そう考えると、現代は昔に比べて、本当に生きやすいのだろうかと 考えさせられてしまいます。

 

確かにこれだけ現代が制約だらけになるには 経緯があって、たばこひとつとっても、吸わない人にとっては、受動喫煙というリスクを何故享受しないといけないのか、職場でのハラスメントについても、昔は 上司や男性社員から 女性社員がちゃんづけで呼ばれてもOKだったのが、今や NGだったり・・・そのなった理由には、それで 心を痛め、ストレスに感じて、働きづらかったり、生活しにくいという意見が多くなったからだと思います。

 

私個人はあまり他人の事は気にならないタチなのですが、先日も知人と久しぶりに食事をしたときに、通勤の電車の中での他人のふるまいにストレスを感じるという人がいました。

例えば、雨の日に濡れた傘が足にあたっても何も気づかないとか、混んでいる社内でスマホを見ている人がいるのがストレスとか・・・

個人的には、確かに まぁ 公共の交通機関なので、他人に出来る限り迷惑をかけないようにすることはマナーだとは思いますが、裏を返せば、誰もが同じようにお金を払ってその機関を利用しているということから、自由に乗る権利を有しているのも事実だと思うんですよね。

なので、自分がストレスを感じるから 他人が悪いということは自由ですが、もしかしたら、その人の立場になってみたら、そんな細かいことでイライラする人が同じ車両に乗っていることがストレスだからそんなにイライラするならその人が乗らなきゃいいのにっていうことかもしれないんですよね。今の時代、電車ではない 手段は いくらでもあるのだから。

ま、これは極論ではありますが、解釈の仕方で、現代は 昔に比べて制限だらけになってしまって、もしかしたら、とても生きづらいのかもしれないなと思うわけです。

もちろんものには限度というものはありますけどね。

 

もう少し、何でも制限して、なんでもイライラして 個々が感情を振りかざさなかったら、現代ももっと自由で1985年当時のように面白かったかもなと想像しちゃうわけです。

 

「不適切にもほどがある!」は、1985年を知っている人には、懐かしいドラマでもあり、知らない世代からしたら、ええーそんなことがTVでやってもよかったの?とかバスや電車でそんなことが許されてたの?とちょっぴり衝撃をうけるかもしれないです。そういう着眼点が宮藤さんらしいなぁと思う ドラマです。

 

最近、1クールに1作品 タイムリープものがあるのは、もしかしたら、制約だらけの日常に昔はもっと自由だったよねと回想させたいからかなと思ってみたりしています。

 

皆さんは、もっと緩い世の中だった 昭和か現代を選べるとしたら・・・また 自分の人生2周目があるとしたら・・・何をしますか?

 

ちょっとそんなことを妄想すると 楽しいなと思う 今日このごろのsnowです。