祖母は強い人だった。
・・・というより、強くいないと生きていけない人生を生きていた。

戦争で両親を亡くし、
まだ幼かった祖母は、1人生き抜くために病院にたどり着き、
そこでとにかく自分にできることと掃除を一生懸命していた。

その働く姿に「看護婦(師)になりなさい」と言われ、
時を経て専門学校に通い看護師として全てを注いできた人だった。





小さな頃から戦争の生々しいお話を祖母から聞いていた。
だけどその中で祖母の両親の話をするときは全開の笑顔で・・・
そして昨日のことのように思い出を語ってくれた。



小さいながらに私は胸が何だかギュっとなっていたのを
今でも鮮明に覚えています。


その祖母は、自分で選択する人だった。
決断するのも、覚悟を決めるのも、本当に芯があり、かっこよかった。


看護婦長(看護師長)で厳しくもみんなから頼りにされていて、
言葉には出さなかったけれど、それが心から嬉しそうでした。

大きな病院から定年後、引き抜きで診療所の婦長をして、
60歳を過ぎても頼りにされ、70歳前くらいに定年退職をした記憶があります。


そして驚くことに、数ヶ月経ったある日
「仕事するから!遊びにおいでね」と一本の電話が笑。

何と、デパートのお掃除のパートをし始めていたのです!
その時はまだ私も10代で祖母の活力は感じていたものの、
自分が社会人として働き始めた時に、
ふと感じたことは・・・祖母は本当にすごいな、でした。(下手くそな表現ですが)


看護婦長をしていた祖母が、
お掃除のパートを「仕事があるのは幸せなこと!お掃除は得意だからね!」と
笑いながら楽しそうに職場のおトイレ掃除をしながら言っていた姿、
ゼロから何かをしている背中に本当に本当に感動しました。





・・・と言っても本人、いたって普通なのですけど笑。


そして「お掃除が看護婦(看護師)という仕事に導いてくれたからね。
お掃除はきちんとしないとバチが当たるからね笑」といつも言っていました。


本当に綺麗好きでした笑。


お掃除ではいつの間にかリーダーになり笑、
フルタイムで働いていました。
そしてそこも定年退職になり笑・・・

そこから、パソコン教室・ギター・カラオケ教室など、
「ボケるから脳みそを動かしておかないと!」と次々習い事をしていました。

そんな祖母がある日、足が痛いと言い整形外科に通い始めました。
仕事ではない日は車で送り迎えをしていたのですが、
ある日あまりに気になって「レントゲンは大丈夫だったの?」と聞いたら、
「小さな塊が写っていたけれど、それは関係ないと言われたから大丈夫」と言われました。

私は小さな頃から感じやすく、
病院に行く前から、その時の祖母の体に違和感を感じていたのを隠しきれず、
「癌だったらどうするの!ちゃんと見てもらおう!」と言ってしまいました。

だけど祖母は「心配しすぎ大丈夫、ありがとう」と笑っていました。

「歳をとると色々あるもの。自分で生活できるだけでもありがたい」

何回言っても頑なに検査を拒む祖母を何となく無理やりはダメな気がして、
彼女をただ病院に送り迎えすることが彼女が求めるたった1つのことでした。





そこから家族内で色々と変化があり、
私の両親は離婚していたのですがパパさんが再婚をしたきっかけで、
なかなか祖母に会いにいきづらい雰囲気になっていました。
(父の母だったので)


そしてそうこう言っている間に、
私も起業をし仕事ばかりしていて、
色んなことが重なり、前のように中々会いに行けなくなっていました。



そんな時、ふと祖母に呼ばれた気がして、
電話をかけたのです。

普段なら電話に出ない祖母が電話に出て、
私からの電話に物凄く喜んでくれて、
「今まだ動けないけれど、やっとまた少しずつ歩けるようになったから、またご飯行こう!」と無邪気な声で本当に嬉しそうに色んな私の近況なども話しながら、落ち着いたら会いに行こう!と思っていました。



その矢先、祖母は帰らぬ人となりました。



どうして会いに行かなかったのだろう・・・
今でも心残りで思い出すだけで胸が締め付けられて苦しくて、
私の最大の後悔でもあります。


そして、祖母が亡くなって解剖の結果、
脳に転移したと思われる癌が見つかりました。
体中が本当は癌だったようでした。


その時、思い出したのです。


彼女は知っていた。
自分の病気を。







「もうこの年齢で手術はしたくないからね。死ぬならこのまま自然にでいいの」

彼女が私にいつも言っていた言葉。

そう彼女は、知っていたのです。
10数年という月日をかけて自分の体を蝕む病を感じながら、
彼女は自分の人生を選択し、人に迷惑かけたくないと1時間かけて自力でお手洗いにも、
何か取るにも自分でしていた。


甘え下手は遺伝かも笑。


だけどどんな気持ちだったのだろう。
いつも何かあっても自分の心の中にしまい、
自分で決めて動いてきた祖母。

自分の体がだんだん思うように動かず、
かなりの痛さに耐えていたはず。
亡くなった後の祖母の家にあった痛み止めの量を見るとわかる。


あなたは偉大だ。


84年という人生を自分らしく生き抜き、
最後まであなたらしかった。


そして、人それぞれに自分の選択がある。


ガンを化学療法で治療するか、
自然な形がいいのか、
何が正解とかはない。

そしてきっと何を選択しても、
自分自身の中で格闘するものでもある。


それなら自分で決めることは大切。
選べるものがあったり、自分の好きな方法は人それぞれに何かしらあるものだ。
わからなければ知ればいいだけ。固執しないで知ればいいだけ。


美容も健康も食も習慣も私はそうだと確信しています。


だから、固執しない教え方、
きちんと1つの視点からではない学び方、
そして何より「心」を大切に扱える心ある成長の仕方。


科学的なことも自然的なことも、
相手の心に合わせて固執しない伝え方が本当だと思います。


日本心理美容カウンセリングアカデミーを創設したのも、
自分のために、誰かのために・・・
本物のプロフェッショナルの人材を育てたいから。


本物とは「心と愛を込められる人」


知識は学んでいけばいいだけ。
だけど心と愛は、あなたの中にすでにあるもの。
そのあり方を成長させていくこと。


さていよいよ東京入りです!




世界中を溢れる愛で包み込む💐



谷本由希





残席4名様
2012年からスタートしたメンタルキャリアアップスクール、
基礎育成認定講師の講座・・・次回で20期生。

今ではアカデミーで学んだ講師の方が育ち、
私自身も講演会やセミナーの依頼で地方を飛び回ることが多くなり、
認定講師講座は10月からで最後の講師とさせていただきます。

直接授業をしてきた生徒さんたちが今では講師として活躍していて、
最近では全国からのお問い合わせで生徒さん自身に生徒さんがどんどん増えている。

私も今回、決断と覚悟です。

大切に創り上げてきた授業を次世代にバトンタッチするってドキドキ笑。
だけど6年間も伝え続けられたことにも感謝。

そして私もまた新たなステップアップをしなければいけないので、
信頼できる仲間と共に出陣です!(どこへだ笑)

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全ての想いを込めて。























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小学生の時、祖母と作ったおにぎりを思い出します♪



あの時は三角にできなかった笑。
その私に俵の握り方を教えてくれました・・・笑。

今では握れますよー





ということで本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

いつも嬉しいです💐


世界中が愛と平和で結ばれますように♡

心に溢れる愛を込めて。