早春の激しい雨の日である。最近の私の心に似つかわしい。 

 

とても長い間、アメブロを更新していなかった。ツィッターと5チャンネルには大量に書いた。

 

 

 母が1月12日に亡くなって二ヶ月が経った。精神的なダメージは心の奥底にまだ残っているし、

 

インターネット上ではずっとたぶん警視庁公安部のものと思われるハッキングが続いて、落ち込みが

 

増幅される日々が続いた。母の遺影と位牌を見ると、91年間生きてきた母の台所に立つ姿、洗濯を

 

する姿、掃除をする姿、書道を書く姿、祈る姿などが何重にも重なり、押し寄せてくる。

 

 遺影の母は楽しそうに笑っている。母はユーモラスなところがあった。鷹揚で度量のある性格だっ

 

た。私は過保護なくらい愛されたと思う。まだ若かった頃の母の姿が脳裏に浮かぶ。いつも胸を張っ

 

てどっしりと堂々と歩く母。

 

 岩手の和賀郡湯田町という豪雪地帯に生まれ、小学校まで深い雪の中を何キロも歩いて育った母だ

 

ったからさすがに根性があった。私はある意味出来のいい子供で成績は非常に良かったから、母には

 

自慢だったかもしれない。未だに母の恩に報いるような業績をあげていないことをただ申し訳なく思

 

うばかりだ。母は看護学校を卒業した高学歴の人間ではなかったけれど、物の道理は分かった人間で

 

直観力が鋭く、ズバリと本質的なことをいう人間だった。私の直観力の鋭さは母から受け継いだもの

 

だと思う。決して教養のある人間ではなかったが、宗教性と人間の許容力があったし、馬鹿正直な人

 

の好さがあった。

 

 

 脳梗塞になってからは家で介護されていた。介護施設に入るのは絶対に嫌だと頑なにいうので家

 

族で介護をしたが認知症もわずらい、わけのわからないことを言ったり、赤ちゃんみたいに家の中を

 

ハイハイしたりして手がかかって本当に大変だったが、どこかいつもかわいいところを残していた母

 

だった。変に強運なところがあって、葬式の日も四十九日の法要も信じられないくらい暖かくいい天

 

気になって、家族で「運のいい人だ」とみんなで感心した。都会的な洗練からは程遠い母だったが、

 

奇妙に教養ある人からは信頼された。

 

 

 「運は天にあり、といわれている。運を天にまかせて生きる。まかせただけでよいか。運命は天に

 

支配されて、人間はどうすることも出来ないものか。そうではない。運命の種は自分がまくのであ

 

る。芽生えは自然が許すが、原因はこちらにある。だから、種をまきかえる。原因をつくりかえる。

 

これが運命をかえる力となる」。

 

 母がよく読んでいた、中心社を主宰する常岡一郎氏の「運命をかえる」という文章である。

 

平明で単純だが言ってることは奥が深い。母は徳のある人間だった。

 

安らかに眠れ・・・・。