大晦日に監視社会について書いて終わるのも癪だし、朝の記事を書いたら、またYou tubeを

再生したときに右側に並んでいる動画の再生ができなくなる操作をされて不愉快なので、30日

に突然お亡くなりになった大瀧詠一さんの音楽をかけて今年の最後とする。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131231-00000311-oric-ent

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131231-00000031-dal-ent



大瀧詠一さんが生まれた、現奥州市の江刺区梁川で私は生まれ、三歳までいた。その家は今は

無くなってしまったのだけれど、小学校の教員をしていた祖母がずっと一人で住んでいた。家の

すぐ下には小川が流れて、遠くから水音が聞こえてくる、とても美しい場所である。小学生や中

学生の時、三歳まで過ごしたこの家に夏休みに遊びに行って、もし、父の仕事の関係で茨城に

引っ越さないで、ずっと江刺の梁川で暮らしていたら、ずっと感性が研ぎ澄まされていただろう

と子供ながらに思ったものである。


 私の精神的な原郷はこの梁川にある。ここは土地そのものがポエジーを持っているような場所

だ。ここから到着すると何かの衝動が内面に沸きあがってくる。それは極めて詩的なもので、歌

に近い。そういうものを呼び起こすような何かをこの梁川という場所は持っている。奈良の明日

香のようなものだ。今は美しい小川も河川工事で見る影もなくなり、住む人はどんどん減ってい

る。岩手県内にいたとしてもここからは離れただろうけど、私の心の奥底に梁川の風景は焼きつ

いている。


 大瀧詠一さんのような都会的なポップスを作る土壌はこの場所にはないように思われるので、

ああいう音楽を作る感性をどうやって養ったのか、私には良くわからない。勇壮な鹿踊りのよう

な土俗的な感覚なら養えるのだが、細野晴臣らのはっぴいえんどで才能を開花させるようなプロ

セスは、ちょっと私にはわからない。ただ岩手は田舎のようで非常にモダンな感覚を持った才能

が出る場所ではある。


私は大瀧さんの音楽を良く聞いた人間ではないが、あの梁川という小さな美しい場所で少年時

代を過ごしたことを想像すると、何ともいえない気持ちになる。



ご冥福をお祈りいたします。
 



では、皆さま、良いお年を!









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