聞き間違えてはならない | 地球に来てよかったな「お多福」のゴキゲン研究録

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スピリチュアル好き、健康オタク、脱ガマン、ワガママとご機嫌に生きることが地球貢献につながるのではと勝手に思っていたり、好き勝手なことを記録をしています。

どうも、おかげさまで幸せに過ごさせていただいております。

 

さて、わしは難聴でヒーリングでどげんかならんかと試行錯誤している人間なのですが(だって耳鼻科行っても補聴器なんだもん。補聴器に関する愚痴は過去の記録にありますが、見なくていいです)。

 

耳を悪くする人って「聞きたくない」という思考があるあるだと言われるのですが、ふとその下にある感情って何だっけ?と思ったとです。

 

東洋医学では耳―腎ー驚(恐怖)でつながっているってどっかで見ましたが。

 

だいぶ改善されているはずなのですが、怒られるのがわしには割と恐怖なところはありますし。

 

そんなんをつらつら思っていたら、久しぶりにお題(ワークしべき潜在意識の思考)が来まして。

 

「私は聞き間違えてはいけない」

 

うわ~…あせる

 

よくそんな思考をもって今まで難聴看護婦やってきてたなぁ。すげーなぁわし。

 

看護学校の時に聴力検査で引っかかって以来のお付き合いですから。病院勤務の頃までは幸い自覚症状がなかったので、最後にお勤めした地獄病院のときに「あなたナースコール聞こえてないじゃない」言われるまでは普通に仕事してたんですけど。

 

病院辞めてから行った訪問入浴の時に電話対応が困難になってきているのに気づき(しかし移動中の車の中から電話させられるのも大変って難聴あるあるかな?)。施設在職中はコール対応はPHSだったからよかったけど?、だんだん在宅医への電話報告や往診対応にかなりエネルギーを取られるようになっちゃって。

 

「聞き間違えるといけない」から何度も聞きなおして確認しないといけない訳。

 

聞き間違いのせいで事故やら利用者に不利益を起こしてもいけないしねぇ。かといって在宅医の時間やエネルギーを取らせるのも申し訳ない…というか「え?何この人?」思われるのが嫌だった?…いやそこからクレームになってすったもんだしてまわりにご迷惑をかけるのが怖いし嫌だった。けどまあ1回往診に来た在宅医の話が全然聞こえてなくて怒られたことがあって、その時はもう死にそうになってヒーリングのセッションを依頼したもんな(記録あるはず)。それで40を余裕で過ぎてまさかのわし繊細人間(HSP言いなさい)が発覚したわけだけど。

 

そしてそれまで別に難聴を隠していたつもりはなかったけど、いちいち誰彼構わず言って回るのも面倒なので(愚痴は誰彼構わず言って回ってたのに)わかるようにしないとアカンわと思って難聴バッジを見つけてつけるようになりました。

 

ともかく、そんな思考があると、まあ電話苦手…というか、かけたくないよねぇ。「聞き間違えるといけない」から。「聞き間違えるといけない」から確認するのはともかく、しつこいのもねぇ絶望

 

で、その思い込みがシータヒーリングで言うところの歴史レベル(過去世がらみ)にあって、王侯貴族?に使える侍女っぽい感じの人で聞き間違いを伝言してお仕えしている人を怒らせて殺されたっぽい感じのイメージが来たので成仏させました(←言い方。だけど書くと長くなっちゃう)。

 

恐怖ではなく、ハートから悲しみが出てきたのが不思議と言えば不思議でしたね…。

 

あいまいにうやむやにごまかしたいけど(多分うお座あるある)、きちんと確認する癖をつけるという意味では役に立ってたのかもしれませんが…。

 

しんどい思い込みに気づいて解放できたことの方に安堵しております。