寂しい老後が嫌ならば① | 地球に来てよかったな「お多福」のゴキゲン研究録

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スピリチュアル好き、健康オタク、脱ガマン、ワガママとご機嫌に生きることが地球貢献につながるのではと勝手に思っていたり、好き勝手なことを記録をしています。

どうも、おかげさまで元気にさせていただいております。

 

4日勤+遅出で少々くたびれましたが。

 

職場(法律上は居宅の高齢者施設なんすけど)の人手不足で少々気が立っているのか、今日は毒出しをば。

 

一つはわしが仕事をしていて常々思っていること。

 

「日本の医療や介護に関する法律は、その人が抱えた寂しさをケアするようにはできていない」

 

ので、それを医療や介護のサービスを行う業者やスタッフに求められても対応するのは現時点では非常に困難だということ。

 

病気や老化で介護を必要な状態というのは食事やトイレ、お風呂など日常生活に支障をきたしてなんらかのお手伝いが必要ということなので、それらに対応するようにはできているのだけれども…。

 

「寂しい、構ってほしい、誰かに常にそばにいてほしい」というものには基本対応できるようにはできていないんですよねぇ。

 

むしろ、看護師や介護士を寂しさをどうにかしてくれる人としてとらえない方がいいというか、とらえて欲しくないとわしは思う。

 

サービスの結果、少々寂しさがまぎれるということはあるかもしれないけれども、寂しさをどうにかするためにサービスを組まれることはまずないし。

 

そもそも「この人寂しがり屋でかまってちゃんなので、24時間365日支給限度額いっぱいまでとにかく構ってください」なんて介護保険のケアプランとかこないしな爆弾(多分組めないそんなプラン。むしろあったら教えてほしい)。

 

サービスの時間内なら多少は配慮できるかもだけれども、時間内にやるべきこと満載だと、どうしてもそちらを優先せざるを得ませんし(寂しい~よりトイレ行きたい!とかおむつ替えてがどうしても優先されます…。そういや寂しがりやさんって口で寂しいとはほとんど言いませんね…

 

なので、頻コールなんかホント辞めてほしいチーン

 

今の職場はコール対応は施設サービスとしてやっているのだけれども、あくまでも緊急通報装置なんだよねぇ(なのでよその施設ではコール対応そのものを有料制にしているところもあるらしい)

 

現場仕事いっぱい、待ってるお客さんたくさんいる、人(スタッフ)いない。寂しい人を構って差し上げる時間は正直ない。

 

なので…じゃないけど。

 

元気なうちから自分の中の寂しさをケアする方法を編み出しとくというか、寂しさと付き合う方法を見つけとく必要があるんでないかと勝手に思う次第。

 

と言っても、わしも自分の中の寂しさをどうすればいいのかは今のところ分かっていないのだけれども。

 

 

 

 

以前ヒーリングのセミナーに行ったときに自分の中に寂しさがあることに気づいたけど(記録は多分コレ)、その時は「誰かと電話するとか会って話す」とか言われたけど…、わしの場合どうにもピンと来なくてうーん。それに、その時だけはいいかもしれないけど…と思う自分もおる。

 

これからの研究課題ですね…。

 

あれ?毒を出すはずが脱幻想系かなコレ?

 

いや、毒もあるんだけど…長くなったので次回。