つねきさんの会見を見ました。
つねきさんは恐らく総会で、この会見のような語り口調と内容で真意を話したと推察します。
命の選別という言葉が聞く耳を持ってはもらえないほど、れいわ新撰組のメンバーには受け入れがたいワードだったのでしょう。
会見を全て聞いて山本太郎との決定的な違いと共通点がよくわかりました。
太郎ちゃんは皆が生きててよかったと思える社会を作りたい。
つねきさんは生きる長さより、どう生きたか、満足度の高い生き方ができてこそ幸せな死を迎えられるという考え。
そうなんです
太郎ちゃんとつねきさんは一周まわって考え方が同じなんです。
ただつねきさんは、これから増える高齢者と少子化が加速するいびつな人口バランスにおいて、果たして全部の高齢者を救えるだけの医療従事者の人材が整えられるかはわからない、そうなった時には政治判断が強いられる局面も考えなければならないと言っています。
わからなくもないです。ある意味正論。
この説明をもっと丁寧にしていたら状況は変わっていたかもしれません。
今のれいわ新撰組の政策や理念は私は好きです。でもつねきさんのように不都合な真実に目を向けることも大切ではないでしょうか。
現実に目を向けないと全員を救おうとして誰一人救えないということもありえるからです。
会見をみてハッキリわかったことは、つねきさんは優生勢思想ではありませんでした。
まぎれもなく死生観の話でした。生きる執着を緩和させ死への覚悟に対して悟りが開けている方なので、命についてあっさり語ってしまった事が反感を呼んだのでしょう。
コロナウイルスに関してとったスウェーデンの政策にもも触れていました。
死者が多いから駄目だではなく、その国の人々が幸せな生涯だったのかどうかの方が大切と言っていました。
幸せな死を意識して今を生きる。こんな考え方したことありませんでした。
なんだかこの言葉を聞いて、日々色んなことをダラダラと思い悩むことはとてもミクロのように思えてきました(笑)
大西つねきは人の命を軽んじてる人ではありません、誰よりも命について考え続けている人のように思います。
つねきさんと太郎ちゃんは袂を分かつことになりましたが、強い志しをもつ二人がやがて何らかの形でまた手を取り合えますように。
つねきさんは恐らく総会で、この会見のような語り口調と内容で真意を話したと推察します。
命の選別という言葉が聞く耳を持ってはもらえないほど、れいわ新撰組のメンバーには受け入れがたいワードだったのでしょう。
会見を全て聞いて山本太郎との決定的な違いと共通点がよくわかりました。
太郎ちゃんは皆が生きててよかったと思える社会を作りたい。
つねきさんは生きる長さより、どう生きたか、満足度の高い生き方ができてこそ幸せな死を迎えられるという考え。
そうなんです
太郎ちゃんとつねきさんは一周まわって考え方が同じなんです。
ただつねきさんは、これから増える高齢者と少子化が加速するいびつな人口バランスにおいて、果たして全部の高齢者を救えるだけの医療従事者の人材が整えられるかはわからない、そうなった時には政治判断が強いられる局面も考えなければならないと言っています。
わからなくもないです。ある意味正論。
この説明をもっと丁寧にしていたら状況は変わっていたかもしれません。
今のれいわ新撰組の政策や理念は私は好きです。でもつねきさんのように不都合な真実に目を向けることも大切ではないでしょうか。
現実に目を向けないと全員を救おうとして誰一人救えないということもありえるからです。
会見をみてハッキリわかったことは、つねきさんは優生勢思想ではありませんでした。
まぎれもなく死生観の話でした。生きる執着を緩和させ死への覚悟に対して悟りが開けている方なので、命についてあっさり語ってしまった事が反感を呼んだのでしょう。
コロナウイルスに関してとったスウェーデンの政策にもも触れていました。
死者が多いから駄目だではなく、その国の人々が幸せな生涯だったのかどうかの方が大切と言っていました。
幸せな死を意識して今を生きる。こんな考え方したことありませんでした。
なんだかこの言葉を聞いて、日々色んなことをダラダラと思い悩むことはとてもミクロのように思えてきました(笑)
大西つねきは人の命を軽んじてる人ではありません、誰よりも命について考え続けている人のように思います。
つねきさんと太郎ちゃんは袂を分かつことになりましたが、強い志しをもつ二人がやがて何らかの形でまた手を取り合えますように。