今日で二年。まだ悲しみは癒えぬ。どうしたものか。
想像以上に存在が大きすぎたようだ
しっかりしなくては。
興味本位で誘導瞑想なるものを初めてやってみた。
浮かんだ景色の中には今の私と5歳の私が郵便局の前に立っていた。

私は5歳の私を塾に行かせたくなかった。だから話しかけてみた。しかし5歳の私の返事は『遊ぼう』

涙が出た。あなたはもっと遊びたかったんだよね。


あなたは大人の都合で褒めて持ち上げられたり、さんざんにこけおとされたり、結果を出さないと叱られてきたね


本当は自分は自分のままで生きてていいはずなのに、いつも優秀な何者かになるために人と競わされてきたね


なぜ私は私のまま生きててはいけないのか?


そんな生き方が許せないまま大人になってしまった。


私の中に生きている5歳の自分はまだ成仏できていないらしい。


時折に年甲斐もない幼児性が出てしまうのは満たされなかった5歳の私の叫びでもあるのだろう。


私の中に生きている5歳の私をまぶたの裏で抱き締めてみた。

先日私のお客さんが子猫の里親になった。怯える子猫を冷静に優しく抱きしめたら次第に子猫は落ち着いて眠ったといっていた。


人間と同じなんだね。

安らぎが命を素直にさせる
死を選ぶまでに相当期間、猛烈に悩みもがく。

ある時にその悩みの現況は解決不能なものであるという回答を自分の中で下してしまう。


解決策を探すことを諦めたのち、ささくれ立った心の波立ちが適度に和らいでいく。


この矛盾した落ち着きのようなものが周囲には『亡くなる前日は普通通り明るく仕事をこなしていた』と思われてしまうゆえんだろう。


その『明るさ』というのはもう苦しまない世界に行けるという絶望感が一周した恍惚感なのか。


実際のところはわからないが、誰に気兼ねなく心底から休むことが許される場所に行きたかったのだろう。


この世で自分が生きたまま休むと沢山の人の期待を裏切り、迷惑がかかることを考えたら休むことができなくなる。


どうすれば休むことが許されるか…それを考え続けていたのではないだろうか。

生きて休むことが許されないという選択肢の切り捨てが命を畳む原因になるとはあまりにも切ない。

私は事務所が出した『彼の魂は永遠に輝き続ける』という綺麗事なことばに違和感があった。


精魂尽き果て彼は死を選んだ。輝きとは対局にある凍えた魂を誰も救えなかったことを美談にしてもらいたくない。


映像の中の彼は確かに輝いていた。それは彼が命を少しずつ削りながら生み出した作品だったことを私たちは知る由もなく勇気や元気を貰っていた。


彼には感謝しかない。

どうか今度生まれ変わったら自分の好きなことをしてください。


真面目なんかでなくていい、人の期待に応える必要などない、水が低き方に流れるように心から自然体なありようで楽に生きて下さい。


それまでしばし自分を許して魂を休めて下さい。


本当に今までありがとうございました。