あたしがずっと持っていた◯◯してほしい
あたし、よくね、
「いい子育てしてそう」
とか
「保育士さんぽい」
とか
「怒らなさそう」
とか
そんないいお母さんしてそうな印象をもってもらうことが多め。
やけどね。
自分では思うんだー。
全然違う!!って。
だってね、
赤ちゃんの頃も、お腹すいたら自分が1番にご飯食べたし、なんやったら抱っこしたまんまでも、おんぶしながら立ってでも、食べてた(笑)めっちゃ食い意地はっとるやろw
あたしは思う。
「あたしは、いいお母さんじゃない」
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ここから内なる声※口悪いデス
【だーかーらー!!!いいお母さんってなんなんやて!!
あたしはあたしやろが!!◯◼︎▲◎〜】←もう覚えてないくらいめっちゃ早口で口悪いあたしがいた。
あたしは《いいお母さん》になるつもりはない。
《お母さんの時間もある》あたしでいたいから。
だけど《いいお母さん》じゃないことに罪悪感すらでてくる。
くそーーーー、あたしはあたしでいたいのに。
なんなんだよ、いいお母さんって。
誰のことだよーーーー(>人<;)
ヤキモキしちゃって、ゆまりに聞いたんだ。
母「ママさ、いいお母さんになれないんだよ。ママは2人のことが大好きなんだけど、2人(子供)だけで寝てほしいって思うし、一緒に寝ずにママだけの時間がほしいって思うんだよ。ごめんね。こんなママなんだけど、どう思う?」
ゆ「ママはいいママだよ。」
なんて会話したあとに思った。
あたし、許してもらおうとしたんだ。って。
前にね、あたし、恋愛がしたくって、旦那氏に「好きな人作ってもいい?」って聞いたことがあって。はいバカですんません。
そのあとも、たびたび話すと
「許してもらいたいようにしか聞こえんよ」って言われたのを思い出した。
あ、あたし
【許してもらいたい=自分で責任とりたくない】
って思ってるんやなーって認識した時に、ほんっとゲスやわと思った。
なのに、子供にもやっとるし。
名付けて許してちょんまげ儀式。
ゆまりにママはこのままでいいよね、許してくれるよね、ゆまりがいいって言ったんだから、いーよね。いいママじゃないのをゆまりが許してくれたんだから
的な。
まぢゲスだ。
だからもっかい話したの。
母「ママはゆまりに許してもらおうとしてたよね、ずるいよねごめんね。」
ゆ「軽い気持ちで言ったんじゃないのわかってるよ。ママもたくさん考えて言ったんでしょ」
涙。
結局あたしはゆまりに大きく受け入れてもらってしまったのだ。包まれた。
あたしよりも大きな愛をもったゆまり。母、完敗。
思い返せば、ほんと、あたしはいつも責任を放棄してたかも。
誰かがそう言ったから。
だからあたしはそうした。
あーーーーなんてずるい人間なんや。
自分はどうしたいのか。
そんなの、考えたことあんまりなかったかもしれん。
だから自分と向き合うようになっていっぱい気付きが起こってる。
でも、そうなんだ。
あたしはずっと”誰か”の許可をもらって生きていたかった。
「あたしは悪くない」を貫くために。
やけど、もう、良いも悪いもない世界にいる。
自分の価値観を大切にして生きていきたいって叫ぶ私がいる。
それは誰かに許してもらうこと?
違うよね、自分が自分に許すことやよね、
「自分で選ぶ」=「自分を生きる」
誰の人生でもない自分の人生を。
ずっとずっとずーーっと羨ましかった。
自分の意見を言える人。
自分の思いのまま行動してる人。
許そう。
私が私のまんまでいることを。