自分自身が親になって分かったことの

   もう一つが祖母の父への思いです。

 



 しんのう家は父は幼い頃から重度の

    心臓病を患っていました。


   (詳しくは「父との思い出」の過去記事へ)

 

 

 小学生までは運動が得意な活発な

    男の子だった父

 

 小学生の時の健診で不整脈が見つかり、

 その後の手術による感染症で

 心不全となってしまいました。

 


 障害者手帳1級を持つほどの病状。

 

 



 その時、父は当時の医師から

 「20歳まで生きられないでしょう」

    宣告されました。

 


 「好きなものを食べさせてあげて」


 

 「好きなことをさせてあげてください」

 


 医師から父の余命宣告を受けた祖母は

 


 「私が手術を受けさせなかったら」

 

 「あの病院を選ばなかったら」

 

 その後悔の念を、認知症になるまで

 何度も私に話してくれました。

 



 

 私も息子をもつ母となり

 当時の祖母の気持ちが悲しいくらい

 分かります。

 

 


 

 父は術後の感染症から原因不明の

 心不全で中学生まで自宅で寝たきりの

 生活をしていていました。

 

 現在の医療で言う「セカンドオピニオン」

   として別の病院にかかった時に、

   当時まだ若かった医師が原因を見つけて

   くれたそうです。

 

 

 父の心臓に起きている問題を取り除く

 手術を受けたとこで、

 軽作業であれば仕事ができるほどに

 回復することができました。

 

 


 その時に出会ったのが私の母です。

 

 

 父と結婚し、私たち姉妹を授かった時

 本家は自営業をしていたので、

 父は跡を継ぐことはできなかったけど

 「息子が生まれたら」と考えていた両親。

 

 

 しかし、しんのう家は女の子を

    二人授かりました。

 

 

 母が祖母に

 「跡継ぎを産めなくてすみません」と

 話したことがあったそうです。

 

 

 祖母が母にかけた言葉が今でも

   忘れられません。

 

 

 「枯れかけた木にきれいな花が

       2つも咲いたじゃない。

  そんな幸せなことはないよ。」

 


  母にそう伝えたそうです。

 





 

 母はその言葉を聞いて嬉しく思いました。

 

 

 

 同じように、大きくなってから

 その話を聞いて笑顔になったのは

 私たち姉妹も。

 

 



 「あなたが男だったら」

 


 そんな言葉をかけられて育っていたら、

 自分の存在を否定しながら

 生きてきたかもしれない

 


 

 「ありのままでいいんだよ」

 

 「あなたが生ただまれてきてくれたことで

  こんなにもたくさんの人が幸せに

        なったんだよ」

 



 そのことを伝えるのが性教育です。

 

 



 「自分は愛されているんだ」

 そう感じながら生きてこれたことは、

 祖母と父が他界した今でも

 私の生きる糧になっています。

 

 

 

 父は祖母が亡くなった3ヵ月後に

    他界しました。

 



 祖母のお葬式の後、

 「親に死に目をみせないことが

        唯一できた親孝行かな。

     自分でもよくがんばってきたと思う。」

 


 父がそうポツリと話していたことが

 今でも鮮明に記憶に残っています。

 


 

 そうだよね、父さんは本当によくがんばって

 きたと思う。

 

 きっと父は祖母を見送れて

    安心できたんだろうなと

    父との日々をふと思い出しました。



 

 続き 父との思い出 #5

 ▶︎両親からの愛が守ったもの

 




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