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知り合いがシェアしてたこのサイトを見て涙が止まらない。
父が亡くなって もうすぐ6年。
友達と沖縄旅行に行って帰ってきたら 父が寝込んでて肺炎が悪化して入院、その後 肺炎は治ったものの そのまま入院中に肝不全で亡くなった。
現役の頃は中南米で単身の長期出張ばかりしてて、海外にいることが苦じゃない感じだった。
日本勤務になって徐々に自律神経のバランスを崩してたころに
父方の祖母や 叔母の旦那さんが亡くなったり心にかかる負担が大きかったみたいで
どんどん体調を崩して 通勤途中で帰ってきたりすることもあった。
しばらくして退職して、病院でパーキンソンと診断されて、投薬と通院が始まった。
現役の頃よりかなり痩せて 元々無口だったけどパーキンソンのオフ状態が来ると全く違う人みたいになった。
それでもオンの時は いつもみたく人に伝わりづらい冗談を言ったりして、私は父が好きで似てるとこもあるのか父と通じてる気がしてた。
だんだんと自分のことができないことも増えて、母や私が手伝うことが増えた。
プライドは高いほうだったと思うから、妻や娘に介助されるの最初はすごく抵抗あったんじゃないかと思う。
毎日毎日思うように動けず前とは変わってしまった父を看るのはつらかった。でも本人はもっと辛い。
自立には見守りが大事だって分かってても、父のペースに合わせて待つのは大変で、ついつい口調もきつくなるので母と愚痴を言いあってためないようにした。
私は外で仕事をしてる分、リセットする時間もあって 父と母の中間にいたから切り替える場がない母よりはマシだったんだと思う。
ずっと行きたかった留学を決めた時も、自分がいなくなったらどうなってしまうのか不安だった。
留学から帰って見た父は、びっくりする位老いていて 母の口調きつくなって悲しくなった。看守と囚人のよう。
しばらくは元に戻さなきゃとがんばったけど、そのうち働き始めて、残業して夜中に疲れて帰ったら廊下で父がオフになって固まってたり、ダイニングで着替える途中でオフになって冷え切った体でいたり
父をパジャマに着替えさせて、トイレに連れて行って、ベッドに寝かせて、それからご飯を食べてお風呂入って寝るっていう生活がつらくなってきて、私もたまになんで出来ないの?とか本当は出来るのにやらないんじゃないの?とか本人もどうしようもできないのに言ってしまうことがあった。
終わりの見えない介護って本当につらくてこわい。ほんとに。
父が亡くなる前の二ヶ月間、病院に入院していたおかげで母も私も穏やかな気持ちで父に接することができて、それは本当に良かったと思う。
父がオフになっても自分がやらなきゃいけないことを中断する必要もないし、
父の気持ちや状態に寄り添った時間が過ごせたと思う。
肺炎が治るころには 帰りにアスタマナーナとかいう時もあって このまま元気なって家に帰れると思ったのに。
呼吸がしやすいように喉に穴を開けて管をいれたら話せなくなって、もう目に見えてどんどん具合が悪くなっていって
いつその時が来てもいいようにある程度覚悟をしなきゃと思ってた。
仕事をしてたら 母から 状態が悪くて呼吸器をつけたってメールが来た。延命治療はしたくないって言ってた母が、いざとなったらしないって言えなかったんだと思ったら 色んな思いが溢れてきて電車の中で人に気づかれないように泣いた。
病院に着いて 呼吸器を着けてる父を見たらとても悲しかった。もう近いんだなって思った。
その日 母は病院に泊まると言ったので暗い気持ちで一人で家に帰った。
夜中電話がなって、父がもう危ないって。
すごい大雨の中、タクシーで急いで病院に行って病室で父に会えた。
手を握って話しかけてたら 一度手を握り返してくれたような気がした。
そのあと心電図を見ながら好きなものをあ
聞くと心拍が上がるらしいとか言いながら、家族の名前を言ったりアイスとかチョコレートとか父の好きな食べ物を言ったり、悲しいけどなぜかみんな明るかった。
しばらくして心電図の動きが止まって、亡くなったってお医者さんに言われたけどなんだか良くわからない気持ち。
悲しいのと 父におつかれさまっていうのと もう会えないっていうのと 介護しなくていいっていうのと。
葬儀屋の手配がバタバタと進んで、私はなぜかものすごく冷静に、終わらせなきゃいけない仕事があるって朝だけ会社に行って片付けて、当時の上司に明日からお休みするって伝えて家に帰った。
帰ったら親戚が集まり始めてて、もうその後の段取りが決まってて なんだかやることが沢山で賑やかになった。
夜は一人でお線香の番をして 父のことを思い出して心の中で話しかけて泣いてた。
お葬式ではよく歌ってたべサメムーチョを流して 悲しい歌じゃないのに涙が止まらなかった。
父のことすごく好きだった。
もう父の体を洗うことはないし
湯船にしずまないようにお風呂場の外で待ってることもないし
夜中に仕事から帰っても ヨダレダラダラたらして固まってる父はいないし
エプロンしてご飯食べながらうとうとしてる父もいないし
大きな目でいたずらっぽく目配せする父もいないし
コタツで寝てる私を心配してくれる父もいない
私を必要としてる人がいない。
仕事に戻っても、他の人に同情も心配もされたくなくて 何もなかったからのように平然といつも通り仕事して帰って、
仕事に没頭することで自分の中の喪失感
を埋めてたんだと思う。
何のために自分がいるのかわからなくて何をしたらいいのかわからなくて
日々変わりなく過ごしてるのに空虚な感じ。
結婚したの喜んでるかな。旦那さんにも会ってほしかったな。子供できたら見せたかったな。
実家に帰っても父はいないしもう会えないの本当にさみしい。
前に守護霊みれるって人に占いしてもらって父のことを聞いてみた。
テレビを見てるみたいに たまに私のスイッチを入れて私のことも見守ってますよ、と言われて 気持ちが救われた。
もしかしたら家族のことはそっちのけで居心地良さそうだった海外にいるかもしれない。
今日知り合いがシェアしてたサイトをみて、久しぶりに自分の記憶を遡った。
想像する父は 辛そうじゃなくて楽しそう。
悔いはたくさん残るけど、それでも最後に穏やかに過ごせた二ヶ月があって最期は良かったと思う。



















