六月九日(火)曇り。
野村先生の追想記を連載するに際して、もう一度先生の著書を読み直そうとして、まずは「獄中日記・千葉編」を再読している。その日記は、先生が三十一歳の時、すなわち昭和四十一年から出獄の年、昭和五十年の三月までの千葉刑務所での日々の事が綴られている。しかし残念ながら昭和四十三年から四十五年までの三年間が抜けている。その後、ご子息の所に二年間分の日記があることが分かったが、いわゆる三島事件の年、昭和四十五年のものがどうしても見つからない。
先生が、三十代を全て獄中で過ごし、出獄した時は四十歳。その千葉刑務所時代に、野村秋介という人の思想が確立されたと言っても過言ではない。その日記は、私のこのブログのように単なる備忘録などではなく、先生の「絶叫」を記した、己との戦いの記録である。久し振りに読み始めて、改めて野村秋介という人の偉大さ、己を律することの厳しさ、というものに触れて居住まいを正さざるを得ない。昭和四十一年二月十二日、日曜日の日記には、こうある。この日は雪のち晴れ。
「今日もまた法悦(注・仏法を聴き、また味わって起こる、この上ない喜び)に随喜なす。この十三年ぶりという大雪の獄にあって、一人法悦を悟るこの喜びは誰に何と語るべきか、言葉もない。『南無妙法蓮華経』『南無妙法蓮華経』を口中に唱えながら吾は夢中になって今日も便所を洗うなり。この便所掃除は人の分までたのんでやらして貰っている。人のためにではない、己の徳を積ませてもらうためにである。懸命というより便所の床にひざまずいて、自分の顔をこすりつけるようにごしごしと洗う。『南無妙法蓮華経』『南無妙法蓮華経』・・・そこにあるものは浄も不浄もない仏の世界である。一切が流れてとどまらぬ『無』の世界を観じ、しかも吾が尊き生命のあることを知る時とどめなく流れ来るものは法悦の涙のみである」
三十一歳の野村先生の「苦悩」と「探求」の姿勢に胸を打たれる。今日、あらためて師を想い、自身の未熟さを恥ずかしく思った。
夜は、恒例の「蜷川会」を野毛の「弥平」で開催。欠席者多し。終了後、後輩のS君を誘って関内に転戦。帰宅後は、先生の本と向き合う。頑張らなくては。