2032 11 18 撮り鉄 小湊鉄道 キハ40と気動車の思い出

 

こんにちは。

ここ何か月か小湊鉄道や久留里線、いすみ鉄道をぶらぶらしていて、多くの気動車を撮影したり実際に乗車する等しました。

自分が写真を撮影し始めた1970年代には客車列車から気動車への置き換え等で何枚か画像が残っています。

 

小湊鉄道では数年前にキハ40系が導入されて、キハ200系の何両かが休車、廃車となっています。

 

キハ40は1970年代半ばに新車導入し、全国に配備されました。

私が暮らしていた京都、山陰本線にも導入されて、キハ17,20,26等と置き換えされていきました。

その頃の画像を何枚か紹介します。

まずはキハ17です。梅小路蒸気機関車館横に停止していたものです。

 

キハ17とキハ26の2両編成。ちょっと撮影場所の記憶はありませんが、前後の画像から山陰本線嵯峨野~保津峡と思います。

 

キハ47デビュー前は客車列車から気動車への置き換えが徐々に進められていました。

キハ20とキハ17(3両目)の各駅停車。山陰本線 二条駅~花園駅間

 

小湊鉄道キハ200は、キハ20と少し見た目は異なりますが二卵性双生児みたいなほぼ同機種です。キハ20 多分舞鶴線で撮影したものと思います。

 

キハ40,47がデビューする前にキハ65とキハ66,67がデビューしています。

キハ65,66,67では大出力のエンジンが搭載されていました。

キハ66&67 下関駅

 

その後1977年頃と思いますが、山陰本線でキハ47が導入されました。先のキハ66,67と外観は似ていますが、エンジンの出力を経済的なものとして、塗色は当時の普通気動車標準の朱色とされました。キハ47 山陰本線京都駅付近

 

キハ47と同じ頃に両運転台のキハ40がデビューしました。

つまり小湊鉄道のキハ40は、40年以上の年齢の車両です。

最近では、非電化区間の減少や近代的な気動車への置き換え等で活躍の場が減ったキハ40,47ですが、廃車等もある中、新たな生き方として、車内改造等がされて、観光イベント列車としての再スタート等華やかな余生を送っている車両も多くあります。

 

そんな中、小湊鉄道では地味に一般車両として使用されていますが、小湊塗色に変更された1両を除いて、東北地区で活躍していた頃の塗色そのままで見ることができます。

東北地方の鉄道ファンの方は懐かしい思いをされるかもしれません。

 

ここからは小湊鉄道で活躍するキハ40の画像を掲載します。

小湊鉄道色 キハ40 1

 

東北本社色 キハ40 2  小湊鉄道に導入された初期の画像しかありませんでした。

 

キハ40 3はあいにくまだ撮影したことがありません。

男鹿線色 キハ40 4

 

JR気動車朱色 キハ40 5

 

観光用でトロッコ列車の撮影は人気があり、多くの撮り鉄が来ますが、何年か後にキハ200がさよなら運転される日もくるでしょう。その日になって一生懸命撮影するのでなく、普段から当たり前の画像を残していきたいとおもいます。

少し心の思い入れがあったので、長い記事になりましたが、最後まで御覧いただきありがとうございました。