人でも物でも歴史でも、

それらを実際のところはわかっていないのだ、という事柄だけは、

 

わかっていたいように思います。

 

 

先日、同じ病気を持つ友人と互いの病気のはじまりの時期について話す機会がありました。

 

相手は以前から知っている友人だったのですが、話を聞いていると、

 

初発時の大変さと、それによって変わってしまった道のりへの悔しさと、

けれどもその後も今も、前向きに人生に向き合ってる様子とがゆるく線のようにつながってきて、

 

今の彼女しか知らなかった自分にはなんだかとても新鮮に感じました。

 

彼女について知っていたつもりで、

思っていたよりもわかっていなかったという事をようやく分かったような気がしました。

 

 

私は意外に好奇心旺盛な部分があるので、興味ある人や分野についてくらいは「わかっていたい」と思う部分があります。

この「わかっていたい」「理解していたい」という気持ちが、時々「わかったつもりでいる」というやっかいな状態を引き起こしてくることがある。

 

わかったつもりでいると、自信を持ててちょっといい気分にもなれますが、

一方で、身につけた知識や経験という、自分の偏ったメガネでものを見ることも増えてきてしまいます。

 

けれど、年を取るにつれ思うことは、

 

わかったつもりでいるよりも、

わかっていないという事を知っているほうが、ずっと素敵なことのようだ、という事だったり。

 

何事も、何人も、

どんなに時間を費やしても、どんなに一緒にいたとしても、

わかっていないことの方が多いのかもしれません。

 

だとしたら、相手の事を知っている気になって、あれやこれや自分の枠にはめて考えるより、

知っていないからー枠も先入観も取り払った、知らない楽しさに準じた付き合いをしたほうが、ずっと身軽で面白いように感じました。

 

分かっているという素晴らしさはもちろんあるけれど、

 

分からない事を知っている上で、

さらに知ることになる面白さや、知らないままでいる面白さも、世の中にはある。

 

分かっていない、ということをーその面白さを、ずっとわかっていたい

 

そんなことを感じられた、友人との会話でした。

 


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


 

よく言われることですが、

 

あるものに気が付くことってほんとうに素敵なことだなぁ

 

と、そんなことを思います。

 

 

秋口から無性に片付けがしたくなり、体調が良い合間を見計らって、ものを処分したりしていました。

ミニマリストには遠く及ばない部屋ですが、次第に整ってきた部屋にいるとなんだか嬉しい気持ちになって、

 

また少し掃除でもしようかな

 

という気になってくる。

 

部屋を整えながら、自分の気持ちまで整えているのかもしれません。

 

 

片付けをしていると、ないと思って買おうと思っていた品が発掘されたり、代用となるものが出てきたりすることがしょっちゅうありました。

他にも昔誰かにもらったお別れや元気づけのためのプレゼントなどもでてきたり。

 

もっていたのに、ないと思っていたもの

もっていたことすら忘れていたもの

 

そういったものに次々と遭遇する中で、

 

気付いていなかったけど、

気付いていなかっただけで、すでに私はいろいろなものを手にしていたんだなぁ

 

というような、何かが満たされてくるような気持ちも感じていました。

 

 

持っていたことに気付いたのは、ものだけの事にとどまらなかったのだと思います。

 

片付けの合間、プレゼントを手に取った時は昔元気づけてくれた相手の気持ちを感じましたし、

そんな好意をすっかり忘れていた自分に気が付きました。

 

ないと思っていたものをもっていたことによって、

あるものが見えていなかった自分に気付きました。

 

見えていなかったのは持ち物だけでなく、過去の喜び、今の状況のありがたい側面ー周りの人、環境、健康、時間ーそういう当たり前になっている、ありとあらゆる私を支えてくれているものたちかもしれないな、と思ったり。

 

ついつい「ないもの」に目を向けてしまいがちな私ですが、

 

あるものに気付くー気付いているって本当に素敵なことだなぁ

 

と、少し満たされた気持ちでしみじみと感じる今日この頃です。



最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

内面の美しさというのは、

たとえその姿が網膜に映ることがなくても、

暗がりで見た光のように目に焼き付いて離れないもののような気がします。

 

 

時々文章を読んでいると、

「綺麗な人だなぁ」

としみじみ思わされることがあります。

 

逆境時の対応、周囲の人や人生に対する姿勢、苦しい時ですら垣間見えるユーモアと好調時の謙虚さ。

 

上手く言えないけれど、私が今一番欲しいものは、お金や肩書きなどよりも、そういうとても見えにくいものたちなのかもしれません。

 

欲しいとなると、そういうものを持っている人に気付きやすくなるようで、

そんな文章を目にするたびに、

 

どのようにしてこの人は、こんな素敵な考えができるようになったんだろう

 

と、手を止めて考えてしまうこともあり。

 

 

今年一番ネット上で手を止め考えさせられたのは、

 

おそらく30代のがん患者さんのブログで、

ユーモアも含みながらポジティブに闘病されつつも、自身の死後、家族が困らないように手続きや申請すればもらえるお金などについてノートにまとめている様子を読んだ時でした。

 

妊娠の吐き気や被害妄想などで、苦しめばすぐに深く落ち込んだり、家族に当たり散らしてしまうような自分からすると、

 

人としての内面に関して、

彼女と私では、月とすっぽん、いや、月とすっぽんのすむ池の底の汚泥くらいの隔たりがあるように感じて、

 

どうして同じ人間なのにここまで違うのか

 

と深く考えてしまいました。

 

 

内面の綺麗な人というのは、どんな見た目をしていても、気付いた人の心を惹く美しさがある気がします。

一方でどれだけ素敵な外面をしていても、その内側で輝くものがなければ、その人は苦しい思いをするようになるーあるいは今まさに苦しんでいるのかもしれない、なんて思うんです。

 

今の私の内面が、すっぽんほどのものならば、

遠くで輝く月をみあげながらゆっくりと内側を磨いていくしかないのだろう、とそんなことを思ったりしていて。

 

大事なのは、

月を見上げ続けること、月が見えないときは目を閉じて瞼に焼き付けた輝きを忘れないでいることー月のように感じた誰かの人柄へのあこがれを忘れないでいること。

 

そんなことを思う私は、ようやく月への長い道のりのスタートラインにたったばかりなのかもしれません。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。