私は出来の悪い人間です。
けれどそういう人間が良くなろうとする様は、
そう悪いものじゃない
なんて思います。
中学生か、高校生くらいのころ。
秋山仁という数学者の先生が、学校に来て講演してくれたことがありました。
何を話されたのかほとんど覚えていないけれど、話の中で面白かったエピソードを一つ覚えています。
秋山さんが高校生の頃、彼は数学が壊滅的に出来なかったのだとか。
どれくらい出来なかったかというと、対数(log)を扱った授業で先生から、
「黒板に書かれていることで分からないことがあるか。一つでいいから聞いてみろ。」
と言われ、
秋山さんは「log」の字を指して、
「先生、黒板に書かれている10g(10グラム)ってなんですか。」
と聞いたそう。
クラス中から大いに笑われてしまったそうですが、その後先生は、数学をたくさん勉強して、数学者にもなったしカリスマ的な数学の先生にもなっている。
私にはいま、出来ないことがたくさんあります。
数学は未だわからないし、
この年になっても今後の立ち回り方がわからない。
被害妄想にのまれれば、
何が現実に起きていたことなのか、認知が歪んでしまってわかりません。
けれどー引き合いに出せばおこがましいかもしれませんがー
不得手から学者にまでなった秋山先生の話は、
今の私に少しだけ勇気と希望をくれます。
思うに、最初からうまい具合で出来る人よりも、
苦労した人の方が、それについてうまい具合で説明できることがあるー気がする。
天才型の人の説明は、
ときどき『AからE』へ飛んでしまうけれど、
試行錯誤の末ようよう出来るようになった人の説明は、
『A→A´→A´´→B→…E』というマニュアルにない工程までも、深く表現される気がしますから。
できないことがあれば、人よりもたいへんだけれども。
たとえば、私が改善を経て自分の症状とうまく付き合えるようになったら、
なにか悩む人に対し、カウンセラーや医師、セラピスト、何かサポートする仕事の方とは違う側面から、ゴールまでの道の進み方を提示できるかもしれません。
前向きに考えれば、
出来ないこと、苦手なことは、ある意味チャンスになる。
深い部分で理解し、深い部分から人に伝えられるようになるチャンスーかもしれません。
ほんとうに自分に馴染むくらいの深い部分でその事柄を身につけたとき、
出来なかった苦しみや劣等感、
出来るようになった喜びと優越の感情は、じっくりと癒えてきて、
そうなった時ようやくいい具合に、体得した事柄の本当の良さを言外の姿勢でもってして示せるようになる気がしています。
数学未だわからず、
三十にして未だ立たず、
けれど、自分が本当に出来るようになりたいことは、
できないところからの道のりをよく感じながら、できるようになるよう勤めたい。
上手くいかなければいかないほど、最後に深くわかるから。
そんなことを考えたりしながら、メンタルヘルスの改善に向け、試行錯誤したりもしています。
少し試行錯誤したことについても今後書ければと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


