相手に伝えるべきは、怒りでなく悲しさだ

 

と、深く思います。

 

 

私は怒るとギャラドスになると言われます。

生来短気な一面があり、病気により拍車がかかって巨大ポケモンのようにキレ散らかす事が往々にしてある。

 

けれど平静に考えてみれば、

怒るという行為は本質から外れた表現にも思えます。

 

 

少なくとも私にとっては、

怒りは悲しみから派生した2次的な感情です。

 

どうしてわかってくれないの

と怒った時は、

 

わかってくれなくて悲しい

と強く思っており、

 

どうしてそんな事言ったの、許せない

と叫んだ時は、

 

そんな事いわれて悲しい

と傷ついている。

 

怒りの渦中ではなかなか私は気付けないけれど、

攻撃的な態度や言葉の裏には、傷ついた心からくる悲しさや寂しさがあり、

その一次的な感情の方が怒り狂う本人の本当の気持ちなのだと思います。

 

だから、本当のところ相手に伝えるべきは怒りではなく悲しさだと思う。

 

 

と思うけれど、なかなかそうもうまくできない。

 

例えば先日、私は主人と育児に関して大喧嘩しました。

 

産後私は実家に帰って育児中なのですが、私のメンタルの調子もあまりよくなく、思ったより手もかかる我が子。

そこで主人に育休取得を再度お願いしたのですが、やはり無理との返事をもらってから、

 

怒りのスイッチが徐々にはいり、

 

他の旦那さんはとったのにどうしてとれないの

◯◯の時だって休みが取れなかった

子供や私が心配じゃないのか

 

なんて凄まじい勢いで責め立てる。

さらにそこからは、売り言葉に買い言葉。

 

別れるかというワードも出るほどヒートアップした後、

和平への話し合いのさなか気づいた自分の一番の本音は、

 

あなたと毎日育児がしたかった

 

今は家と実家で離れていて、

あなたと育児ができなくて悲しい

 

でしたー私はその本音に気づくのに3時間言い合いし、その後丸一日かかったんです。

 

それくらい、私にとって、心のうちの本音に気付く事は難しい。

 

難しいけれど、

うまくできないままいると、いつか大切なものを失うような気もします。



続きます

門より入るものは家珍にあらず。

 

本当の宝になるものは自分自身から生ずるものであり、

自分自身で見つけたものだとか。

 

 

以前から心理学の勉強をしたり、メンタルの立て直し方の勉強をしてみたりをゆるいながらも続けています。

 

勉強していると、

 

あのときあの医者はどうしてこういうこと教えてくれなかったんだ

とか

あのときどうして誰も、こう諭してくれなかったんだ

 

なんて当時得られなかった知識や助言について悔しく思うことがままあります。

 

でも冷静になって考えれば、自分の力を過信し過ぎていた20代の自分が、

『もう少し病気を考慮して慎重に行動してみたら』

という助言を受入れられたかといえば、そのようにも思えない。

 

 

たとえどんなに素晴らしい事を勧められたとしても、

 

手に取るかどうかは本人次第。

本人がそれをした方がよいのだと自分で強く気づくしかないのだと、

 

と、そんな事を苦く思ったりしました。

 

 

素晴らしい考えや取り組み、教えも、他人から与えられたものは宝になりにくい。

 

自分でその必要性に気づいたり、

自分の経験から学んだりしたものでないと実になりにくいものだと、感じます。

 

人から学んだり、与えられた本を読んだりして深く身につく事もあるでしょうが、

 

それは本人がその事に気づくあるいは理解する一歩手前のところまで来ていて、

人や本がその一歩分を手助けしてくれたか、

 

本人がとりあえずやってみて行動し続けた結果、

自身の体感を伴った知識としてその良さを実感したから、

 

本人の経験と気づきありきでその人に深く身についたものなのだ、なんて思う。

 

 

自分で気がつくしかない。

 

自分で気がつくしかないけれど、出来ることならば気づきたい人のそばに、

 

見本となる人と

気づくきっかけとなる情報と言葉が添えられていて欲しい

ー気づかないまま苦しい失敗をしてしまう前に

 

そんな事を一片の悔しさとともに思い起こしたりしています。



最後まで読んでくださってありがとうございます。

*「統合失調症を抱えながら生きる上でやってみるとよいのではないか」と私個人が勝手に思っている事について、何回かにわけて語ります。

 

私は

いつか自分で、

自分自身が試した結果の症例報告ができれば、

 

というひそかな夢を持っています。

 

 

統合失調症は「脳の病気」だと言われることが多いと思います。

 

ドパミン系の神経伝達異常だとも、セロトニンもおかしいのだとか、いろいろに聞くけれど今の私にはカタカナ的な部分はよくわかりません。

 

けれども、自分の経験を振り返ってみると、少なくても私の場合は病前の自分のものの考え方や気質が病気の発症に影響していたように感じます。

 

そして私の不適切に屈曲した考え方やあり方は、今も自分を苦しめているようにも感じます。

 

 

年始に『精神の不調を少なくする』という抱負に沿って、

 

怒らない

瞑想する

何事も肯定的に捉える

あるものに目を向ける

感謝する

 

という5つの目標を立てました。

これらの目標は私がてひどい失敗をし続けた結果、自分に足りておらず、けれど病気と付き合って生きていくうえで必要と感じたことたちです。

 

これら五つに加えて、

 

客観的にものをみる

体力をつける

独りに、独りよがりにならない

 

ということも、以前から、ないしここ最近大事だと感じていることです。

 

これら8つについて、これから回数をわけてどうして私が大事がっているのか、自分の見聞きしたエピソードを交えながら書いていければと思います。

 

 

統合失調症については原因もいまだ詳しいことは分かっていませんし、症状も状態もひとそれぞれ。私がいま大事だと思っていることが全員にとっても同じだとは思いません。

 

だから、

これから読んでいく方に同じようにやれだの考えろだのというわけではなく、

 

こう考える物好きもいたのか

 

という程度に読んでくださればと思います。



以前から病気についての記事と、日常的な記事をどうにか分けれないかと考えていました。これから試しに、病気について語る記事を書いた際は水曜日に更新しようかと思っています。

少し難しいかもしれませんが、今までのような日常の記事をかけたときは今までどおり土曜日に更新するスタイルにしてみようかと思います。