『いい言葉はいい人生をつくる』

 

精神科医の作家さんの言葉ですが、その通りだと思います。

 

 

私の症状は低空飛行を続けています。

 

産後、育児の疲れもあってか症状には波があり、被害妄想と被害念慮の間をいったりきたりしている気がします。

症状の波にのまれれば、私は、今こうして書いている私とまったく別の自分になってしまっているような、そんな気さえします。

 

不安になって、

怒って、

あたって、

自分や誰かをさげすんで。

 

先日、被害妄想により視野の見えない不幸の真っただ中のような心の状態になったとき、私をもとにもどしてくれたのは、『いい言葉』と題したスマホの中の写真フォルダの中の言葉でした。

 

 

いい言葉は、薬になります。

 

苦しい時に、その言葉が浮かんでくるかどうかで、人が前をむけるか決まってくることさえある気がする。

 

私は苦しい時に自分でその言葉を思い出せないので、

メモに書いたり、紙に書いてはったり、写真フォルダにアルバムとして残したりして、苦しい時に薬になる言葉がなるべくすぐに出てきてくれるよう試みたりしていますが、そこまでしても苦しい時はあたたかい言葉が自分に入ってこなかったりもします。

 

けれど、そうだとしても、

いい言葉を薬のように使うことは、一度でも人の言葉に救われたことがある人には、ぜひおすすめしたい気がするんです。

 

 

幸せとは心の状態の事

 

そう捉えると被害妄想のなさかでも、病気で困っている中でも、幸せな状態に戻ってくることができるー気がしています。

 

被害妄想で苦しい時、病気で辛いとき、

そのつらさはいまある幸せを思い出すことで晴れてくるときもあるのかもしれず、

 

その幸せに戻るきっかけの一つに『いい言葉』を使っていければ

 

そんなことを、思ったりしたんです。



最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

徹底的受容

 

それをしてくれる最良の友人が

自分自身であったなら

 

そんな事を思います。

 

 

ごはんは完璧主義なところがあるから

 

自分ではあまり自覚がなかったけれど、いくらか前に主人や家族からそう言われて、なんとなく納得していました。

 

完璧主義も実力が伴えば素晴らしいと思うのだけれど、私は出来もしないのに完璧を目指すからタチが悪い。

 

気付けばことあるごとに、

昔の同期と比べ、

昔思い描いた自分と比べ、

病気になってからは過去の自分と比べては落ち込んで。

 

症状に波がある自分にとっては、1日前、一年前の自分と比べても落ち込む可能性が高いので、なおタチが悪いように感じられます。

 

カニと裏寂しい海辺で戯れていたい

 

と何度思ったか。

 

 

そうやって落ち込んだ時は、最近は、そう思った状況と気持ちをまるまる肯定するように心がけています。

他人から聞いた話だけれど、それを「徹底的受容」というらしいです。

 

例えば、

 

昔はよどみなく読めていた本が今は読めなくて悔しい。

 

そんな時は、

 

読めない自分にいいよと言い、

悔しさにいいよと言い、

悔しさを感じる自分にもまたいいよと言う

 

比較してしまう自分、

その時の感情、状況、相手、諸々にとりあえず「いい」と言ってみる

 

するとどういうわけか、何かーたぶんストレスか何かーでぐっと凝り固まっていた頭と身体がふっと楽になる気がしています。

 

何というか、他人からに依存していた「いいよ」という台詞を、手当たり次第自分にかけていくと、

自分も救われるし、

依存していた相手も楽になるような、

そんな気がするんです。

 

もしかしたら浮かんでくる考えの中には、「いいよ」と言ってあげられないものもあるかもしれない。

その時は、いいよと言ってあげられない自分にも、そんな考えが浮かんでしまった自分にも、

 

いいよ

 

と言ってあげたい。

 

自分にとっての素晴らしい友人のひとりが自分自身であるように、

いいよと言いつつけることができればと思います。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

続きです

 

被害妄想時、自分が感じている世界から抜け出すためには、それが自身で作り出しているものだと気づくことが必要になってくるーと思っています。

気づくためには、暴走する主観の世界から一歩距離を置く力が必要になってくる。

 

これは被害妄想に陥った場合だけでなく、

不安でどうしようもないときも、怒りでどうしようもない時も同じだと思うんです。

 

意識を不安にのまれない

意識の焦点を不安からそらす

 

意識を怒りにのまれない

意識の焦点を怒りから離す

 

心をざわつかせている感覚、感情、思考から距離を置く。

意識は、感情や考えにのまれないようにする。

 

そのために、瞑想や呼吸法を練習してみたり、認知行動療法に手を付け始めた自分がいます。

 

これらは被害妄想時、傷つき、視野狭く激しく荒ぶる主観から、距離を置く助けをしてくれるーと思っているんです。

 

 

おかしいと気づいたら頓服に手を出せるし、

おかしいと気づいたら病院で相談できる。

 

けれど自分が感じている世界が病気の症状による幻想なのだと気づかないと、被害妄想はどんどん強化されてしまいます。

 

妄想の内容は強化され

世界との差異は日増しに濃くなり

2重の意味でひとりぼっちになってしまう

 

その負のループを早い段階で断ち切ってしまった方がいい。

 

 

荒ぶる心や考えに主眼をあてて書きましたが、客観性は平静な時にもとても大切なスキルのようにも感じます。

 

どんなときも自分の心と考えの主人は真の自分自身であるべきで、

真の自分というやつは、自身の心や考えに対するあたたかな観察者であり、適切な助言者であるべきなんじゃなかろうかーなんてしゃちほこばった事を思ったり。

(もちろんたまには我を忘れて、喜んだり楽しんだっていいと思います)

 

そういうことが出来たときー自分のあたたかな観察者になれたとき、

被害妄想でも、

日常でも、

すいぶんと生きやすくなって見える世界が変わってくる。

 

そんなことを私は期待して、ああでもないこうでもないと、進まない取り組みに臨んでいます。

 


最後までよんでくださってありがとうございます。