続きです。


競馬で「人馬一体となって…」なんて言うセリフを聞くとけれど、

私は人間自身が、心や頭という乗り物に乗って日々を過ごしているように感じたりします。

 

頭や心というものはじゃじゃ馬なんだと思っていて。

 

気分屋で、暴れ馬。

道草をはんだり、雌馬に気を取られて夢中になったり。

雷鳴に怯えたり。

 

人間というのはー人間の本当の真の部分みたいなものは、

その馬にのり、

馬とともに旅をする主人だと思います。

 

馬が恐怖を感じたら、何故恐怖を感じているか判断し、なだめ、安全な場所へ避難させる。

馬がエサに気を取られ、危ない道を走っていこうとしたら、ちょっとおちつこうかと手綱を引く。

 

馬(心)と一緒になって怖がらない

馬(心や思考)と一緒になって視野を狭めない

 

そのために、真の自分がいて、

そこに立ちかえるために、

瞑想や呼吸法、認知行動療法があると思う。

 

馬というのは賢すぎてなかなか扱いずらい動物ですが、

うまく制御する事ができれば、

馬は名馬になって主人と旅を共にする素晴らしいパートナーになるーなんて思っていて。

 

心や思考の主人は常に私であり、あなたでもある。

そこに病気であるとか、そうでないとかは関係ないのかもしれません。

 

常に手綱をしっかりとにぎり、

心や思考という乗り物とともに、穏やかに人生を歩んでいきたいと、そんなことを思ったりして、

呼吸法や瞑想をちょこちょことやってみたりしています。



締まりのない記事になりましたが、

最後まで読んでくださってありがとうございます。

我を忘れて怒ったとき、

不安や恐怖にのまれたとき、

 

深い呼吸一つに意識を向けるだけでも、

気持ちが落ち着いてくることがある

 

 

✳︎下書きのままにしてあった記事をあげます


実のところ、私は長時間の瞑想はさぼりがちで、主に気づいたときに呼吸法をやる程度です。

けれども、瞑想や呼吸法の良さを、記事にしておきたいと思います。

 

私は何かあったとき、気持ちの切り替えが苦手です。

メンタルヘルスを抱えている方の中には同じ悩みを持っている方もいるのではないでしょうか。

 

日常、私が不快な幻聴や嫌なこと、不安、怒りから気をそらせないでいるのを見てとると、主人は私の顔をみつめながら大きな身振りで深呼吸して見せます。

すると、私も気が付いて、大きく深呼吸する。

 

4秒吸って

6秒吐き出す

4秒吸って

6秒吐き出す

 

これを繰り返すだけで、怒りの感情から意識がゆーっくりとそれてくる(上手くいかないこともありますがね^^;)。

吐き出す息に意識が向くからです。

 

 

不安を感じた時、怒りを感じた時、怖い時、

その感情に意識をのまれずに、

その感情と意識の距離を作ってあげるー意識を感情からひきはなす。

距離をとった上で、感情を意識的に観察していく。

 

これが、瞑想や呼吸法の目指すところーのような気がしており、その点でいうと呼吸法や瞑想は本当に感情の制御に役立つものに感じます。

 

これは―全く根拠はないのですが、心というのは私とともに旅をしてくれるお馬さんみたいだなって思うことがあるんです。



続きます

 

 

今感じていること

考えていること

思ったこと

 

それらをそう長くないうちに忘れてしまう自分が、

少し不思議に感じられる

 

 

0歳の娘の納得できない習性の一つに、眠りぐずり、というのがあります。

 

ネットの記事によると赤ちゃんの3大泣きの一つらしく、

眠くなってくると上手く寝れないのか、機嫌が悪くなり、時に大泣きされます。

 

赤ちゃんというのは寝たり起きたりを繰り返すので、日に何度も、

 

「眠い――!!!泣」

 

という理由で泣かれ、ひどい時だと1時間近くあやしたことも。

 

なぜ、すっと寝れないのかー解せない。

 

でも、もし0歳児が話せたのなら、そして0歳児が一堂に会する機会があったなら、

 

「私さ、眠い時って毎回泣いちゃうんだよね」

「分かる分かる、泣くよねー。」

 

みたいな会話が繰り広げられるのだと思い、

同時に、実際娘がそんな会話ができる年齢まで大きくなると、どうして泣いてたのか分からなくなるんだろうとも思いました。

 

そういうことは、私にもあるんです。

 

 

例えば病気の症状が軽くなってくると、私は病気の時のつらさを徐々に忘れていくように思います。

 

忘れてしまうから、たとえ経験していても、自身と同じ病気で苦しんでいる人の症状のつらさやできないことの苦しみの気持ちを、低く見積もってしまうことがある気がする。

あるいは経験しているから、少しわかったような気持ちになって、自分の考えを正解のように押し付けてしまうことがある気がしています。

 

自身の知識や体験を踏まえ、誰かを助けたいと思う状況で、

 

自分がその苦しみを忘れてしまっているかもしれないこと

自分の苦しみと相手の苦しみは違うかもしれないこと

 

これを理解していないと、助けたい側と助けられる側にひずみが生じてしまう気がしたりして。

 

 

全ての症例は個別のケース

辛さや葛藤の気持ちをむしろこちらが学ぶような気持ちで、いつか誰かをサポートするような仕事が出来ればと、

そんなことを考えながらすすまない勉強をすすめています。



 

最後まで読んでくださってありがとうございます。