天気のいい日も、悪い日も、

それなりにいいところがある。


空模様の良し悪しを楽しむことは、

『人間万事塞翁が馬』

と捉えて暮らすことに、近しい気がしています。



まだ不調冷めやらぬ中、近くの森に散歩に行きました。


その日はどんよりした曇り空で、前日は雨。


カメラを持ってーけれどあまり期待しないで出かけたのですが、着いてみると森全体に曇りの日のしっとりした空気が漂っていて、落ち着いた雰囲気を楽しんでいる自分がいました。



カメラを構えて出かけると、

雨の日にしっとりしたいい写真が撮れたりする事は結構あります。


晴れの日もいい写真が撮れるけれど、

他のカメラ好きさんが集まりすぎていて私にはかえって写真が撮れない事もある。


そういう事は写真に限らず、

雨や晴れに限らず、

広く人生に言えるんじゃないかと思ったりして。


そういう時、『人間万事塞翁が馬』という言葉を思い出します。


メンタルを大いに崩しーおまけに吐き気も著しく。

家事も、勉強も、趣味もほとんど出来なかった一ヶ月。


でも、それをただの不幸と捉えないで、

「(気づいていない)いい事が起きてるーあるいは起きてくるのかもな。」

と考えられたらーなんて思うんです。


逆に体調芳しくなったのなら、

「ちょっと気を引き締めて気をつけないとな。」

と思いたい。


嵐の夜の風や雷鳴は怖いけれど、

稲光はとても綺麗だし、


雨の降った後の雲間から見えるお日様は、

世界を金色に照らしてくる。


けれど、お日様が照り続ければ、

大地が干上がってしまうかも。


 

一見いい事にも、

一見悪い事にも、

疲れてしまうほどに激しく浮かれたり悲しんだりする必要はない。

 

だって、どうなるかなんか、誰にもわからないんだもんな


そういう事を、一つ一つ気付かされるたび、

気づくような経験ができてよかった、と思ったりするんです。



『人間万事塞翁が馬』

『人生の幸不幸はその時点で簡単に予測できないという事。転じて幸不幸と決めつけて一喜一憂するなという教え。』


ここまで読んでくださってありがとうございます。

体調がすこぶる悪かった翌日。

 

しばらく前に人づてで聞いた、

『あなたが人生に絶望しようとも、人生はあなたに絶望していない。』

という言葉を思い出して、

 

「それじゃぁ、まぁーー弱音を吐いてばかりもいられないな。」

 

なんて、そんなことを思いました。

 

 

記事をあげるのにタイムラグがあるのですが、とにかく体調が悪い日が続きました。

そんなにストレスがかかると思えないイベントの後、急にがたついたように悪くなってしまい、

 

買い物ができない。

勉強ができない。

家事ができない。

 

幻聴が聞こえてくる。

 

場所も問わず、音量も次第に大きく、内容も異様な呈をなしー

 

びっくりするほど急激に悪くなる変化の中で、随分我慢したのですが、結局声を押し殺して主人にあたり、起きた次の日の朝。

 

 

いまだがやがやする頭の中で、フランクルの冒頭の言葉を思い出したりしていました。

ヴィクトール・フランクルはオーストリアの精神科医であり心理学者ですが、第二次世界大戦中アウシュビッツ収容所に収容され、また自分と妹以外の家族をすべて収容所で亡くしているそうです。

 

そういう人が、

 

『人生はあなたに絶望していない』

 

というのなら、

 

きっとその通りなのかも。

 

と思えてくる。

 

私は今日この記事を書くまで知らなかったのですが、この言葉には続きがあるそうで、

 

『あなたが人生に絶望しようとも、人生はあなたに絶望していない。

 何かや誰かのためにできることがきっとある。時があなたを待っている。』

 

と続くそうです。

 

『人生はあなたに絶望していない。何かや誰かのためにできることがきっとある。』

 

なんて、なんともー自分のような座礁しがちな人生を歩む人間にとっては、一筋の光のようなーお守り言葉になりそうです。

 

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と、ここまで書いて結局そのさらに翌日、主人に再びあたってしまった私です。


頭や気持ちで分かっていても、

すべてできるわけじゃないみたい。


けれど頭や気持ちに言い聞かせ続ければ、

道を外れてもきっと気づいて戻ってこれる。


戻ってこれるように、


どんな時でも人生に対する態度、逆境に対する姿勢だけは自分で選べる事を忘れないでいたい今日この頃です。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

相手からの評価が下がろうとも、

誰かから絶賛されようとも、

私の存在価値は変わらないーどんなときだって、満点だからか。

 

そんな事を、思ったりもする。

 

 

こう書いていても、私はいまでも、自分が0点のように感じる時があります。

ですが、主人が「満点」だと言って、そこから引き揚げてくれる。

 

主人に点数が聞けないときは、自分で、自分の中の怯えている子供の部分にこう言い聞かせます。

 

「生きているだけで十分、満点なんだよ。生きているだけで十分、すてきだよ。」

 

 

今はまだまだ難しいですが、

 

自身の存在に、どんなときも無意識に満点をつけられる人間になりたいと思っています。

 

今は到底無理ですが、

 

もし、もっと私が人として成長することが出来たなら、

他人の存在のベース部分に無意識に花丸を送れる人間になりたい、と思ったりするんです。

 

さらにいえば、こうしたことが無意識下できるようになったら、

常に私を批判し、攻撃するような私の被害妄想も収まるかもしれません。

 

 

そのために私が私にできることは、

自分が不安になった時、

自己否定の波にのまれそうになった時、

その都度、

ぎゅっと抱きしめるように自分自身に満点を与え続けることなのかもしれません。

 

地下水が深いところをめぐるみたいに、

 

じっくりと、ゆっくりと、

 

心の傷をいやしていけば、いつかきっと、今より生きやすい自分に出会えるはずーそんな思いを少し大事にしたい今日この頃です。

 

 

 『自分の価値を忘れてる人はおっても、価値がない人はおらへんのや』

 夢をかなえるゾウ4 ガネーシャの言葉より

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。