テーマ【雷魚釣りとは】
たまにはこういうの書きたいなと思う出来事がありましたので、ちょっと認めます。
暗黙の掟
雷魚釣りには古くから語り継がれる暗黙のルールがあります。
ハードなベジテーションエリアでの釣りなので、確実に取れる強いタックルを使わなくてはいけない。
中空フロッグを使ったトップウォーターの釣りをしなくてはいけない。
ネストの雷魚を狙ってはいけない。
取った魚は確実に生かしてフィールドへ返さなくてはいけない。
フィールドを明かしてはいけない。
おおまかにこれくらいでしょうか。
知るかよそんなもん!個人の自由だろ?ナイロンラインでも全然余裕!ネスト?釣れる魚釣って何が悪い!アンダー打った方が釣れる!
とかとか。
多様性を認めなくちゃいけないなんて世の中になっちゃったもんだから変な事言う人多くなってやしませんか?
野球、サッカーなどスポーツにはルールがあって成り立っています。格闘技にだってルールはあります。
キャッチアンドリリースを前提とした釣りは広くスポーツフィッシングと呼ばれ、食べる事を前提とした漁とは異なる扱いになります。
ではなぜスポーツにはルールがあってそれが成立し、スポーツフィッシングにはルールがあるにも関わらずそれが守られないのか?
それはスポーツフィッシングは人対魚、スポーツは人対人だから。
人対人だとルールを守らないとスポーツは成立しないから皆んなルールを守るんです。でも釣りは魚に対してルールを守らなくても釣るという行為は成立してしまうんですね。
それでは守らない人もいる事でしょう。
しかしながら、同じく魚を対象に食べる事を目的とした漁にもルールは存在します。漁獲量の制限や禁漁区、禁漁期間などがそれに当たります。
これは対象である魚を「資源」として捉えているからなんですね。
たまに目にする「雷魚が可哀想」
気持ちは分からなくはないけど、それはちょっと違うかなと私は思います。雷魚釣りは雷魚に対して一定の可哀想な事をする行為です。可哀想を主張するなら釣り人を辞めた方が良い。
もうお分かりでしょう。暗黙の掟が存在する理由。
資源の保全。
一過性のブームで雷魚釣りをする人には分からない事でしょう。
私のようにライフワークとして雷魚釣りをする人には分かりすぎる事実。
ただ魚を釣るためだけにやるなら雷魚釣りはやめた方が良い。オシャレじゃないし、玄人にはバカにされるし、女の子にもモテない。
雷魚釣りしたいなら暗黙の掟に従ってみな。
本当の雷魚釣りは暗黙の掟の中にある。
誰かが作った非公式ルールブック。
その掟に従ってこそ本当の雷魚の魅力が分かるってものですよ。
届かない、出ない、乗らない、バレる。
それが雷魚釣りのスタート。
そんなもん全然釣れなくてつまんないでしょ?
だったら遊園地の釣り堀へどうぞ。
届かない所へどうやって届かせるのか?
リール?フロッグ?ウェーディング?
出ない雷魚をどうやって出すのか?
ポイント?時間?フロッグ?アクション?
乗らない雷魚をどうやって乗せるのか?
合わせ?フックセット?竿?食わせ方?
バレる雷魚をどうやってキャッチするのか?
食わせ方?巻き方?竿?
これら無限にある要素を1つ1つ考えて考えてトライしてトライして研究して1本の雷魚を釣り上げるまでの「プロセス」を楽しむのが雷魚釣りです。ビジネス用語で言う所のPDCAを回すってヤツです。思考が備われば仕事がデキる人にもなれますよ。
「ナゼ?」を追求して答えを導いていく遊びなんです。
やり込めばこの意味が必ず分かります。
その1本の価値を、その1本の喜びを、自らの思考を持って最大限に高めて行く。
そのプロセスを楽しめる人こそ雷魚マンであり、それが雷魚釣りなのです。
だから雷魚釣りは面白い。
さぁ雷魚釣りに行きたくなったぞ(^^)