日本保育園との違いシリーズ、第3段。



日本の保育士密着動画をまだまだ見る日々。どれも毎回興味深い。


そして、私は  ハッ!  とした。

動画の中で保育士達は、"⚫︎⚫︎せんせい"、と呼ばれ紹介されるのだ。

"⚫︎⚫︎先生、今日は撮影よろしくお願いします!"


そして、

"せんせい、おはよう♪
 みなさん、おはよう♪
 お花もニコニコ笑っています♪"
  

"せんせい、おはようございます
 みなさん、おはようございます"





えっ?


先生、、?!




ああっ!!!!!!!!  これだ!!!!





これは、物凄く根本的で、大きな違いだ。

ここの国での保育士達、私達は、"先生"じゃない。

全く "せんせい" じゃない。

その意識なんて微塵もない。


では、何なのか?




"大きなともだち" だ。


親戚の姉ちゃんや叔母ちゃんに近い感じもある。



言葉と文字って面白いんだよな。これまでも、上下関係と丁寧語/タメ口でもつくづく面白いと思ったりもしてきたが、今回もそうだ。

日本では、"先生"という敬称が保育士にあることで、子供達、親達、そして世間的にも、保育士は"先生"としてカテゴライズされ、"先生"として、一般的には敬われる対象であると無意識に区分、認知されるのだ。
(実際どうかはさておき)

同じ保育士でも、"先生"と"先生じゃない"という違いは大きいように思う。

"先生"。つまり、教える人、"指導者"である。


私達は、若干そのような側面もないことはないが、それは、子供達にはできない事が当然多すぎる故の、日常最低限の教えであり、基本的には誰も私達保育士達を "指導者" なんて風には思っていない。

この国で敬称を使うのは、教授/プロフェッサーか、医者/ドクターくらいである。学校の先生に対しては名を呼び捨てする。

だから、私達保育士は、子供達、親達から、

"ジャパ子、おはよう!"

"ドン、今日のピアス素敵だね!"

"マイ、綺麗な色の服じゃん"

"タニ、ネイル可愛いね"

てな感じで、呼び捨てだ。



私は、日本にいた頃、時に "先生" と呼ばれることがあった。先生業に就いていた訳ではないのだが、たまに自分の得意分野について教える機会があり、その際は、"先生"と紹介され、"先生"と呼ばれた。私としては、別にそんな大したもんでもないがと、こそばゆい呼称だったが、

"何かを学びたい人達" がおり、

"その何かを教えられる人(先生)" がおり、

自分の経験が誰かの助けになれている、という喜びを感じるのであった。

それは、"先生"という敬称の有無に本来全く関係のない出来事である。しかし、そこに"教える人"、"敬われる対象"としての敬称として、"先生"と呼ばれることに嬉しさを感じたのも事実だった。

なぜなら、誰しもが"先生"と呼ばれる訳ではないからだろう。"先生"という敬称に相応しいものを提供できるからこそ、そういう呼ばれ方を持ち得る訳だ。


何にせよ、自分のスキルで相手を助けらることは、双方の喜びとなれる。


保育士 = 先生、については色んな意見があるようだが、少なくとも日本の保育士達は、この国の保育士達よりも遥かに多くの "教育、指導" をしていると思う。

その分、保育士達の負担も増えるのだろう。そして、一部の親達は、子の教育、指導を保育園任せにしてしまうのだろう。


この国での私達保育士は、子供達にとっては"大きなともだち"であり、親達にとっては"我が子が懐いている保育者"であり、それ以上以下でもない。

親達は、私達保育士に、"子への教育、指導"を求めてこない。

保育園で、教育、指導をすることがほぼない為、"⚫︎⚫︎をしなきゃ、⚫︎⚫︎をできるようにさせなきゃ"なんて事がなく、子供達は只々わんぱくに園で過ごし、保育士達も子供達に只々愛情をもって楽しく遊んで関われる。


さて、これもどちらが良い悪いの話ではない、
が。少し気になるのは、やはり日本保育士達の負担だ。

前にも書いたが、この国ではサービス提供側(会社側)が客に対してなかなかに強いのだ。

恐ろしく客に媚びない。

客は神様どころか、"私がアンタにサービスを提供してあげてんのよ"、という姿勢が常にある。

■仕事はテキト〜に
私はこの関係が好きだ。何故なら、実際そうだからだ。いつ何時も客の方が強い訳がない。

だからこそ、客がつけ上がりにくいし、客も学ばざるを得ない。

日本は文化故に仕方がないが、客に甘過ぎる傾向があり、それによって客がつけ上がり、勘違いが増大し、感謝を忘れ、サービス提供側への理不尽な細かい要求が益々高まる。



そういや、こんな事があった。

以前、夏にサーキュレーターを買ったのだが、私が誤ってネジパーツを捨ててしまったのか、元から入ってなかったのか、とにかくネジがなく困った。

販売店に連絡すると、
"ウチではパーツ販売はしていないから、メーカーに連絡してくれ"

メーカーに連絡すると、
"パーツ販売はしていないから、販売店に連絡して"

再度、販売店に連絡すると、
"いや、ウチでは対応できない"

再度、メーカーに連絡すると、
"じゃあ近くの修理代理店に行って。ここで全てが解決するわ!"

(遂に!やったー!!)



修理代理店に行くと、
"ウチは修理仲介だから、故障してないものは扱えないよ。販売店に相談しな"

"え、販売元とメーカーに相談して、ウチを紹介されたって?"

"ガッハッハ!これがこの国だよ!!

 ようこそ!!この国へ!!(握手)"

 ハッハ〜!!!"


そのオジちゃんと大笑いした。

そして、私はもうネジパーツを諦めた。

このやり取りは1ヶ月間くらいかかり、そして誰一人として、"申し訳ありません"とか、"ご迷惑をおかけしております"とか、謝ったり詫びたりしない。

誰も、1ミリも"自分が悪いかも"なんて思っていないからだ。

幸いサーキュレーターは角度調整はできないものの、使えている。


こうやって客は諦めたり、学んだりするのだ。

"まあ、、いっか。大した事じゃねーわ"、と。


そうやって、求め過ぎなくなる。柔軟になってくる。テキト〜になってくる。心に余裕ができてくる。相手を責めなくなってくる。許せるようになってくる。


私は日本にいた頃より、随分とユルい人間になったと思う。

"まあ、いっか"

本気でそう思えてしまうこと。これって結構大事な精神なのである。


敬称などあってもなくても、只々、なるべくいい人間であろうと思う。

私は先生じゃない、"只の仕事上の保育者"だ。

そして、その前に、只の人間だ。

うむ。面白い。
学生時代にいくつかのバイトをしたが、どこも月単位のシフトだった。それが普通だと思っていた。

今の保育園では、シフトが週単位だ。週末の休みに加え、平日1日の休みを取る。その平日は大体固定だが、たまに変更したい時も出てくる。

その場合、週初めにボス園長リリーに連絡をして、翌週に希望通りの休みを取れる、という感じだ。

週単位のシフト、これがなかなか良くて好きである。

先々の予定を考えなくて済むし、急な予定が入っても調整がききやすい。平日2日休みや連休も、希望すればなるべく対応してくれる。

上下関係がないので、休み希望にあたり先輩保育士の休みを気にしたり、とかそういうのは一切ない。
※そもそも、先輩/後輩の概念がない



相変わらず日本保育士の動画をよく見る日々なのだが、ある日見た動画に ゾッ とした。

私は日本が好きだが、女のグループが苦手だ。嫌いだ。群れたり、噂話をしたり、マウントを取ったり。そういう女性の集まりが、心から大嫌いだ。集団行動がそもそも好きでないというのもある。

その動画では、10年以上経験のあるという保育士達が登場しており、私がもう長年離れ、忘れかけていた、女同士の群れ、お局、上下関係、妙な同調感、上から目線で他を見下し、内輪で盛り上がる、そんなものを動画越しにも関わらず強烈に感じた。見るに耐えず、数分で停止した。

保育園の闇を、彼女達から感じた。




ムリッ!!!!!!

ムリムリ!!!!!

本当無理。

反吐が出る。


そして、日本の保育園ではこういう事が結構あるのかもしれない、と感じたのであった。


耐えられない。


私自身、特別酷い経験がある訳ではないのだが、些細な事の重なりで、こんなにも女のグループやそれに属する女性達が超苦手になった。凄く嫌いだ。


移住して生きやすくなった一つに、ここではそんなネチネチと陰湿な人達との関わりが0になったことだ。

今の保育園は従業員が全員女性で、当初は不安もあったが、いざ働いてみたら何のこっちゃない。全員超オープンで、サッバサバで、ガッシガシで、ギャッハギャハで、超気楽。妙な気を遣うことがない。

みんな、強かなのだ。

まあ、この国(文化)独特の不満は時にあるが、それを差し引いても、日本特有のあの女グループ/女性達の陰湿さから解放された喜びはかなり大きい。

私は社会人になり、そういうものから幸いにもほぼ避けて生きてこられたのだが、なぜか日常的にネトネトと感じていたのである。職場でもたまにあったし、街中とか、ニュースとか、そういうものからも空気として感じいたのかも知れない。

この国では、人間関係の湿度がとても低く、カラッ!としている。なおかつ、ザハーッと風通しが良く、気温はぽっかりとあったかい。

ああ、そうだ。私の保育園で働いていると、ジブリ映画"もののけ姫"に登場する"タタラ場"の女達を何となく思い出すのである。


ここまでの可愛げはないが、女性達が和気藹々と、強かに、家族のように、あったかく働く環境に、この場面を思い出さずにはいられない。


仕事場でありつつ、母ちゃん、婆ちゃん、叔母ちゃん、姉ちゃん、嬢ちゃん。まるで家のような空間。


なぜ、こんなにも日本らしさを描いた世界的大ヒット作品の空気を、移住先の中東からじんわり身に沁みてんだ、って感じなのだが。日本じゃ"タタラ場の女達"なんて微塵も感じたことがなかった。日本の田舎だとまだこういうものを感じられるのかも知れない。こういうあったかさを感じられる日本であって欲しい。




同じ人間でも、国が変わればこんなにも傾向が違うのか、とつくづく興味深い。国民性の成り立ちというのは面白い。教育や文化、ありとあらゆるものが長い年月をかけ、国民性の形成を手伝っているのだろう。


そんな訳で、いつかは2週間〜1ヶ月の休みを取り、日本に遊びに帰る予定だ。

うむ。楽しみだ。
随分と、この国のこの保育園に慣れたつもりでいる私だが、それでもなお、毎日何かに驚いている。

只の仕事なのだが、国も文化も異なれば、"違い"と"驚き"が絶えず、面白い。


このブログで何度も書いている通り、ここの保育士達は休みながら働く。時々教室から消えては戻って来ないのは日常茶飯事だ。


彼女達がその間、どこで何をしているのか私は知らない。特に聞いたりもしない。

大体は、調理室か玄関サロンで食べているか、飲んでいるか、喋っているか、だ(※勤務中)。たまには、掃除や、ボス園長リリーと仕事と思わしき会話をしている事もある。


さて、調理室についてだ。

私は日本の保育園の調理室(給食室)事情を知らないので、これから書くことは、日本でも有り得ることなのかも知れない。し、有り得にくいことなのかも知れない。

最近、どんどん日本の感覚が薄れてきており、何だか日本での良し悪しが想像し難くなってきた。


私の保育園では、保育士達は自由に調理室に出入りする。調理師のミラも、家族か友達みたいな存在だ。


朝の出勤(7:20)後と言えば、まず各自調理室で朝カフェをする。遅刻しても、子供達が登園(7:30以降)してきても関係ない。まずは何がなんでも朝カフェなのだ。

自分の食べたいもの(パンや、挟む具材)を持って来ては、朝イチ調理室で自分用の朝ご飯を作って食べる保育士達もいる。

もちろん、出勤後、労働時間内での話だ。

ある保育士は珈琲を、ある保育士はカプチーノを、ある保育士はソイミルクを、ある保育士はサンドイッチを、ある保育士はコーンフレークを、ある保育士はクッキーを。

そんな感じで、みんな気儘に朝カフェ/朝ごはんを調理室で楽しむ。


もう一度言う。出勤後、労働時間内で、親子供達が来ていても、だ。


日本で有り得るのだろうか。


カフェ程度ならまだ可愛いものだが、出勤して、開園もして、親子供達も来てて、それでも調理室でわざわざ朝ご飯を作って食べる、とは。


面白い。


家で食べて来いよ、って話なんだが。

彼女達にすれば、"今!お腹空いてんだよ"、"働くにはエネルギーが必要でしょ"、"食べなくてどうすんの"、と言ったところだろうか。


いや、多分何も考えていない。


そして更に。大体9時〜9時半頃にまたブランチタイムがやって来るのだ。

"ジャパ子、アタシちょっとご飯作ってくるわ"

とかなんとか言って、教室からピューンと出て行っては、調理室でピザサンドを作って焼いて食べたりする。

"ジャパ子、アンタもいる?"

とか聞いてくれて、保育士全員分を作って教室に持って来てくれたりもする。優しい。


■マイが作ってくれたチーズホットサンド

ガッシと圧縮され、サクットロッでやけに美味しい


材料については、自身で持って来てるものもあれば、調理室にあるものも自由に使える。

大体、パン、チーズ、ツナ、野菜、果物、牛乳、調味料各種、等は標準装備で調理室にあるので、それらを勝手に使って食べてよい。



..........。

確か、私は最初驚いたと思う。ええっ?!調理室ってそんなボンボコ私的使用していいのか?!と。


しかし、今じゃもう結構それが普通に思えている。

慣れたもんだ。

もちろんこんな感じで、昼ご飯も自分で調理室で作る保育士達もいる。ツナ、コーン、アボカド、オリーブ、チーズ、トマトソース、なんかを使ったピザサンドが人気だ。バナナやリンゴ、洋梨を使ったフルーツスムージーを作ったりもしている。


時々、想像してみる。

もし私が日本に戻って、もし保育園で働くことがあれば、私は即クビになるんじゃないかと。
多分、ここの保育園のやり方で日本で働いたら、ヤヴェー奴だと思われるだろう。

因みに、ここの保育園では、私は真面目でよく働き、なかなか頼りにされている保育士なのである。


国が違えば、文化が違えば。

ああ。面白い。



という事で、保育士達が自由に調理室を使うものだから、園の食事(給食)以外にも何かと食べる事が多い保育園である。

よく食べるんだよな、保育士達みんな。

正直、私は園の食事(給食)で十分満足しており、保育士達が自分達の為に作る追加のホットサンド等はなくて大丈夫なのだが、それはそれで美味しかったり、作ってくれる優しさが嬉しかったり、みんなで食べる時間が楽しかったり。

そんな訳で毎回食べている。


■調理室に置かれる色んな持込食べ物

誰でも食べて、という感じだ。毎日の楽しみの1つ。


保育園というか、家っぽいんだよな、本当。

上下関係がなく楽しい関係ということは、友達や家族みたいなもんだからな。

毎日、自分の家から第二の家に行ってる感じだ。


うむうむ。面白い。


■上下関係シリーズ
先の記事でも書いたが、ここの人達の動き方は私には謎が多い。

常に"気分"で動くからだ。

効率を考えてパパパッと動くのが好きで、そうやって日本で働いてきた私には、


" ? ? ? ? ? ? "

な事が多々ある。

最近でこそ、ようやく彼女達の動きが少しわかるようになってきたが、"読み"はまだまだできず、謎は続く。


一つ紹介する。

■洗った後、1〜2時間放置されるスタイ
(これ以外にもまだシンクやテーブルにも残されいる)


スタイは洗った後、園庭に干す。私が洗う時は、洗浄後すぐに干しに行く。子供達に手がかかったとしても、せいぜい15-30分後には干す。理由は?と聞かれてもわからない。そういうものだと思うから、そう動くだけだ。



ああ。まあ、"仕事を中途半端に残したくない"から、だな。

いや。そんな堅苦しいこともいちいち考えていない。

只々、流れで、洗ったら→干す→終わり。
そういう一環だと脳が認識しているからだ。


教室から直接園庭に出られるし、ものの1,2分で終わる。

なぜ、それをこのように濡れたまま長時間放置するのか、私には謎である。

彼女達としては、

1. 忘れている
2. 干しに行くのが面倒くさい
3. 後でやればいいや
4. 何にも考えていない
5. 何となく今じゃない

というところだろうか。

多分、本当何も考えていない気がする。


全ては、"気分"なのだ。

その時に干したい気分であれば干す。そうでなければテキト〜に放っておく。忘れた頃に思い出して自分で干しに行くかもしれないし、気付いた誰かが干しに行ってくれるかもしれないし。

本人達は知ったこっちゃない。


そう。そしてここに出てくる "気付いた誰か" が、何かにつけて私になりがちだ、という話だ。

そりゃァそうだろ。普通、誰が濡れたスタイの塊を1〜2時間も理由なく放置するか。

しかも、この時間帯は子供達の昼寝時間(2時間半)だ。つまり、イコール全保育士達の休憩時間だ。保育士達もみんな寝たり、寝転んだり、カフェしたり、喋ったりしている。そのたっぷりの2時間半で、なぜ1,2分で終わるスタイ干しをしないのかが私にはわからない。

だから、私が動いてしまう。


いや。フツー動いちまうだろ。笑


彼女達は本当に自由気儘だ。私が、"気付くから動く"という事を繰り返している内に、いつしか、私ばかりが動くようになってしまっていた。

彼女達からすれば、"何でジャパ子はそんな動きまくっているんだろう" という感じだろう。


これは文化の違いなのだ。

日本人の感覚が、働き蟻だとして、
ここの人達の感覚は、パーティーカタツムリだ。

💨💨🐜💨💨
 🎈☕️💖🐌🐌🐌🐌🐌🐌💋🎂🎉

どちらも生きる為に活動をしているが、そのスピードは実に違い過ぎる。しかしそれは、蟻には蟻の、カタツムリにはカタツムリの、それぞれに合ったスピードがあるだけのことなのだ。

そう。だから私は、トロ〜ンヌヨ〜ンと動く沢山のカタツムリの中、一人チャキチャキ動き続ける蟻なのである。

そりゃ働き過ぎることになる訳だ。

おまけに彼女達は、"楽しい事好き"のパーティーカタツムリだ。

仕事中でも、お喋りや、食べたり飲んだり、サボるのも大好きだ。


そんな訳で、一人の働き蟻は今、パーティーカタツムリの生態研究を続け、自身もまたパーティー亀か、パーティーナマケモノくらいになることを目指している。

だから、今はもう濡れたスタイの塊を見ても、私は放置している。

凄く待てば彼女達はいつかやるのだ。
それが彼女達の動きなのだ。と今は知っている。

ラクに真面目に楽しく働こう。

ふむ。面白い。



仕事は楽しくやりたい。
楽しくやるには、いいチームワークが必要だ。
いいチームワークを築くには、互いに敬い、支え合うことが必要だ。

と思う。


私の場合、基本的に仕事が楽しい。余り仕事だと意識しないほど、なかなか楽しい。

日本の"保育士あるある"の動画を見たら、

"いいよね〜、子供と遊んでるだけでお金貰えて〜"

みたいな嫌味が、あるあるらしい。

しかし私の場合、私の保育園の場合、実際それに近い状態である。

精神も体力も使う毎日だが、基本的には子供達と遊んで過ごしていることでお金を貰えている。

前職と違い過ぎるというのと、国も変わったこともあり、"あれ?これ本当に仕事なんだよな??"と思うほどだ。


だが、慣れとは怖いもので、仕事じゃない様な楽しい仕事も月日が経過すると、何だか "仕事" だと脳が認識してくる。まあ、だからと言って今も仕事は好きだし楽しい。

"え、これでお金貰えるの?"
と、今の仕事を始めた頃は本気で思っていた。

最近は、"まあ仕事してんだから、当然お金は貰わないとね" という感じだ。楽しいにも関わらず、そして以前に比べれば仕事にも随分慣れ、休みながら働く事も少しずつ身につけ、よりラクになっている、にも関わらずだ。

■休みながら働く人達
人間の環境適応能力は良くも悪くも凄い。今の私は "結構ラクな環境" に慣れてしまってきており、そのラクさが普通になりつつあり、その中で不平不満を見出す様になってきてしまったのだ。

なんてこった。

大きな理由は、日本人の感覚のまま働いていると、明らかに周りの保育士達よりも2,3倍働いてしまうからだ。

先読みしてテキパキ速く仕事を終わらすのが好きな私は、そのままの自分でここで働くと、他の保育士達の仕事を随分と減らしてしまい、彼女達によりラクをさせる事になるのだ。

それに気付いてからは、なるべく"逆の先読み"をして動くようにしている。

何だ、逆の先読みって。

つまり、他の保育士達に"ある程度仕事を残す"為の先読みだ。

変な先読みだ。

ここの保育士達の動き方は私には想像もつかず、謎の動き方をする。

彼女達の動きは、"やるべき事はやる"上で、

・テキパキしていない
・今やれる事は後でやる
・物事を中途半端に残す
・仕事より私事を優先する
・気が向いた時に動く
・突如ルーティンが変わる(本人無意識)

という感じだ。

効率を求める私とは逆で、動きが読めない。

"枠に囚われない自由型"、とも言える。

ま。結局、気分で動いているんだよな。


彼女達同士はそれで互いに仕事が回っているので、彼女達なりの空気の読みがあるのだろう。



1日の中で1番疲れる仕事は、"昼食後の掃除"だ。とにかく机も椅子も床もカオスになる。
皿を引っくり返すのが好きな子供達もおり、大体4,5人はそれをやってしまう。そしたらもう机が巨大な皿代わりになり、食べ物は机に直に置かれる。例え、汁気のある煮物でも、だ。また、子供達は食べ物を手掴みで食べる。

もう。本当に。これは。グッチャグチャなのだ。


▼この30倍、汁付きで机も椅子も床も毎日汚れる


子供達の顔、手、服上下もスンゲー汚れる。本当に。


日本の保育園だったらこんな事は起こらないだろう。


昼食後の掃除には5種ある。★難易度

1. 皿洗い係(水洗い)       ★★☆☆☆

2. スタイ洗い&干し係    ★★☆☆☆

3. 机&椅子拭き係          ★★★★☆

4. 床掃き係                  ★★★☆☆

5. 床拭き係                  ★★☆☆☆


1.2.は一人ずつがやり、何故か3.4.5.は全て一人がやるようになっている。難易度が高い上に一人でやるのだ。またこの時、同時に子供達の寝かしつけが平行して始まる。

更に何故か、いつの頃からか、3-5の役割が私に固定してきたのである。

大体、マイ、タニと3人で役割分担をするのだが、恐らく、私のテキパキさが彼女達にラクを覚えさせてしまったように思う。

彼女達が今どう思って3-5をしないのかは分からない。
(以前は何となくバラけてやっていたのだが)

・しんどいからなるべくやりたくない
・ジャパ子がやるからいっか、ラッキー
・ジャパ子の役割だね
・完全無意識


全く分からない。

私なら、誰か一人に負担のかかる仕事が偏っていたら、"今日は私がやるよ"とか、代わったりする。

マイ、タニにそれはない。


"今日はマイがしてよ"
"今日はタニがしてよ"
"私ばっかり毎日掃除してるじゃん"
"不公平じゃん"


と言える私でもない。日本人らしくな、本当。


だから、私は最近何となく損得勘定をもって働くようになってきてしまった。本来そういうのは好きじゃない。だからモヤンとしている。


真面目に働く事は"損"なのだろうか?

より休みながら働く事は"得"なのだろうか?

特にここでは、本当にみんな休みながら働くので、日本人の普通の感覚で働いていると、損すると言える。

だから、私もなるべく"休みながら働く"を導入している。それがここでのデフォルトだからだ。

勤務中に教室内で、

・私語をしたり
・ご飯を食べたり
・菓子を食べたり
・珈琲を飲んだり
・スマホを触ったり
・電話に出たり
・寝転んだり

私的にはこれで結構十分なのだ。十分、リラックスしながら働かせて貰っている。

だが、他の保育士達はこれを遥かに上回り、もっと休みながら働く。もーっと好きに、自由に、気儘に、教室から消えたりしながら休みながら働いている。ここが家なんじゃねーか、ってほど。

そうすると、何だか自分が損している気分になる。私は少なくとも、休憩でもなく用事もなければ、教室から何十分も離れたりしない。

だからこそ、他の保育士達は教室にいる私をアテにして、教室から消えられる訳なんだが。


フム。私は何を求めているのだろうか。



平等や、公平さだ。


これがまた、日本的思考なのかも知れない。


昼掃除の3-5に加えて、夕方のゴミ捨て。これも私に固定しつつある。(昼/夕 計2回ある。昼は別の保育士が捨てる傾向にある)

私はどこかで、"何で私の固定当番みたいになってんだ"と思っている。昼掃除3-5も、夕方のゴミ捨ても、はっきり言って大した事じゃない。しかし、誰がやるとも決まっていない作業に、何故か私が固定されつつある事に不満があるのだ。


私とは、まだまだ小さな人間なもんだ。

本当は、どんな作業であれ損得勘定などせず、感謝して取り組みたい。



あ。今書きながら気付いた。

不満がある理由の一つに、私の昼掃除3-5の間、他の保育士達は子供達の寝かしつけをしており、それは構わない。そして寝かしつけが終わり次第、教室で例のゴロゴロをし始めるのだ。ほぼ休憩だ。そして、私一人がまだ拭いたり掃いたりをし続ける。"ちったぁ手伝ってくれよ"という気持ちが芽生える。だからだ。

■子供達の昼寝時間は、保育士達の休憩時間

以前、ドンが言ってくれた。

"何か不満があれば、待たないで、躊躇しないですぐ私に言って。ここではみんな家族みたいなもんだから、誰かが不満を抱えているのは嫌なの"

と。

■ドンは最高の保育士
今のところ、ドンに相談するつもりはなく、様子見予定だ。もう少し、物事を引いて見られる自分になろうと思う。

自分の角度が変わる事で、この件は不満から解放される気がする。

だってな。この記事を書きながら、なんて小さい事に不満を抱いてるのだ、と我ながら思う。人間というのは、ラクな環境になれば、そのラクさえいつの間にか"普通の環境"になってしまうのだ。


このまま落ちるでない、ジャパ子。

仕事は損得ではないぞ。

"当たり前のことを当たり前にやる"

これでいいんじゃなかろうか。

自分や他人の損得など勘定せず、人間として何が正しいか、何が子供達の為なのか。

その判断基準で動けばよいのではなかろうか。


これも学びだ。
異文化労働は面白い。
おむつ交換は基本的に1日2回、子供達の昼ご飯前と、昼寝後にする。

ディルと私で、子供達の半数ずつを互いにおむつ交換することになった。

そして午前の回、ディルが先におむつ交換を始めた。運良く、ウンチ園児達に沢山あたったのだ。

おめでとう、ディル。



ディル "またウンチだ"

          "ゲ、またウンチ"
             
          "ガァ〜!またウンチだよ!"
             
          "何?!またウンチ??!"


そんな感じで、おむつ交換部屋から出てくる度にディルは顔をしかめながら私に報告してくれた。

私は笑っていた。そんな日もあるさ。



そして夕方、午後のおむつ交換の時間がやってきた。何となく私が先行になった。

私が、ラフのおむつ交換をしようと、ラフの手を引こうとした時だった。


ディル "ジャパ子!
           エルがウンチしてるから!はい!"

(エルを渡された)

私 "あ、そうなんだ。オッケー"


うむ。黄土色のねっとりウンチだった。


さて、次はエリにするか。と、エリの手を取った時だった。


ディル "ジャパ子!キキがウンチしてる!
           多分、下痢!ニオイでわかる!"

(キキを渡された)

私 "エッ?下痢?あ、そう。オッケー"


うむ。下痢ではなかったが、黒灰色のね〜っとり軟ウンチだった。


さて、次はヴィドに、、、

ディル "ジャパ子!ミルがウンチしてるから!"




えーっと。うん。

この後、アンタ(ディル)もおむつ交換するよな?

なぜウンチ園児達を選別して、私に運んで来てくれるのだ?


そんなに午前の回で当たりを引きまくったのが嫌だったのだろうか。

間違いなく、それが嫌だったのだろう。そして、何やら勝手に不公平感を抱いたのだろう。



ディル。

そんなんだから、ウンチに当たるんだよ。

因果応報ってやつさ!


私は子供達が大好きなので、彼、彼女達のウンチに当たったところで嫌とは思わない。
たまに強烈なのもあるが、それも可愛いの内だと感じている。



そういえば、朝にディルがサラッと言っていた。

"あたし、子供達が大好きなんだけど、この仕事は好きじゃないの"

私 "エッ?そうなの?"

ディル "うん。ンフフ♪"



おお。そうだろうな。

夕方、確信したよ。


ディルもウンチも面白い。


■ディルネタ

私はこの国に来てから、そして、この保育園で働き出してから、"休みながら働く"、ということを初めて知り、学んでいる。

例えば、

・喋り(私語)ながら働く
・スマホを触りながら働く
・電話しながら働く
・ビデオ通話しながら働く
・歌いながら働く
・踊りながら働く
・食べながら働く
・飲みながら働く
・ムダ毛処理しながら働く           等だ。

これは保育園に限った話ではなく、スーパーやショッピングモール、色んなお店に行っても見る光景だ(※ムダ毛処理除)。お客が来ても関係ない。なぜなら彼らは"休みながら働いて"いるのだ。そう、"働いて"いるのだ。

日本には、"お客様は神様"文化が根強く残る。個人的にはおもてなし精神や、相手を敬う文化は好きだ。しかし、感謝の気持ちすら芽生えず、客だから!金を払ってやってんだから!とつけ上がる勘違い人間がウンと増えたようだ。

情けない人達だ、本当。

そう言えば、給食費を払ってるんだから、子供に"いただきます"、"ご馳走様"を言わせるな!!と言う親もいるのだとか。

心の貧しい人達だ、本当。


どんな事にでも感謝する事が潜んでいる。それに気付けるか気付けないか、だ。今この瞬間だって、限りない人達の仕事や自然に助けられて私達は生きている。

今着ている服一つにしてもそうだ。この布を作った人、デザインした人、裁縫した人、パッケージした人、輸送した人、販売した人、梱包した人、配達した人..、限りない人達の仕事でこの服一つにしても成り立っている。

更に先を考えると、布の材料、染料、パッケージの袋、輸送用の車、販売するシステム....。それらもまた、限りない人達の仕事で成り立っている。

例え、自分でお金を払って買った物だからと言って、しかし、お金があっても物がなければ意味がない。誰かの働きのお陰様で、私達には欲しい物があり、買う場所があり、届けてくれる人達がおり、お金を払い、やっと手に入れられているのだ。

誰かの仕事、働き、行動によって、誰かが生かされているのは確実だ。だから、感謝しないなんて事は有り得ないのだ。


さて、働き方について。ここの国の人達は、日本人に比べ労働に於けるストレスが圧倒的に低いだろう。(しかし、日常的な忍耐は日本人程なく、瞬間的爆発は頻発している。ストレスを長期的に溜め込まない性質と言える)。"丁寧、迅速、笑顔、お客様満足"、等は基本的にないように思う。仕事の優先順位が低く、家族やプライベートの優先順位が高い。仕事というのは、いかにラクに、テキト〜に、楽しくやるか、という印象だ。


労働者の立場としては日本より随分ラクだ。おまけに上下関係もないときた。

■上下関係シリーズ
しかし、客の立場としてはどうだろうか?

これは嫌がる日本人もいる。実際、不満を垂らす日本人はこの国から離れてゆく、と長年この国に住む人が言っていた。

まあそうだろう。真逆並みに違うからな。

私は結構平気で、逆に面白いと感じる。客相手に"客"と思ってなさそうな彼らの態度は興味深い。ここでもやはり、"只の人間"が、"只の人間(客)"に関わっている、に過ぎないのだろう。

印象的なエピソードをいくつか書く。


スーパーのレジで、最初から最後まで不機嫌そうな顔、無言でピッピッ。"袋頂戴"とお願いすると、面倒臭そうに無言でバサッとくれる。

スーパーのレジで、スマホ触りながら対応してくれる。

スーパーのレジで、お菓子食べながら対応してくれる。

※この国のレジスタッフは椅子に座る

持ち帰りでサンドウィッチ的フードを頼んだら、出来上がったものは、ブサッと投げられて目の前に出てくる。

バスのドアが閉まった直後、乗りたい人が外からバンバン扉を叩いても、運転手は客を見捨てて走り出す。

バスのドアが閉まった直後、降り過ごした人がバス内から大きな声で"降ろしてくれ〜!"と言っても、運転手は無視して走り出す。

オンライン注文した物を届けに来てくれたと思ったら、車の窓から道にボロリと落として配達してくれる。

置き配をお願いしたら、明らかに階段の上から投げた"バゴーン"と言う音がドアの向こう側から聞こえる。

市役所的な所で身分証明書を渡したら、内容確認後、ペッと投げて返却してくれる。

モールでスマホケースを買おうとレジに行ったら、ショーケースの上には昼飯が置かれており、食べながらレジ対応してくれる。


まだまだあるが、大体こんな感じ。
※優しいバス運転手もいる
※差別じゃない

もう随分慣れてしまった。



"失礼だが、あったかい"。
これがここの人達を絶妙に言い表している。

日本人がしないような失礼を平気でして(失礼だと思っていない)、日本人が持っていないようなあったかさを自然に持っている。

何だか、より人間臭くて、私は好きなのだ。



ということで、"休みながら働き"、"失礼だが、あったかい人達"、という事を書いてきた。


私の保育園では、時々、気付いたら他の保育士が消えていて、戻って来なくなる。


アレ? そう言えば、マイがいねぇ......。


ンー??!

てな感じで、長い時は30分程消えて、
私は、ハァァッ、、?!となる。

彼女達の手には、決まって少し洒落たケースに入ったピンクのクリームみたいなものがある。
何だありゃ。



マイ "ジャパ子、ジャパ子。これ知ってる? "

私 "いや、知らない"

マイ "これ、こうして、こうするの"

私 "ハァ?!笑"


彼女達はそのピンクのクリームを顔、特に口周りにヌリヌリ塗るのだ。

マイ "で、こうして、こう剥がすの。
        何かわかった? 笑"

私 "笑笑笑笑。わかった。
     ムダ毛処理してるんだね"

(何で保育園でわざわざやってんだよ 笑笑笑笑)

マイ "このクリーム何用か知ってる?"

私 "いや、知らない"

マイ "陰毛用よ😉❤️アッハハハ〜!"

私 "笑笑笑笑笑笑笑"

マイ "私達はオンナだからね。こうなのよっ!!
        アァァッハハハ〜!!"


ということで、どういう訳かサッパリわからないが、こうやって勤務中に突然消えては、顔に、口周りにピンクのクリームを塗り、30分程顔のムダ毛処理をする保育士達なのである。

たまに、教室でしだす保育士達もいる。親が入って来たら流石に笑いながら隠れていた。別の保育士は、親に呼ばれて、"今除毛してて 笑" と笑いながら、口周りにピンククリームのカスをポロポロ残しながら別部屋から出てきた。親も笑う。


何なんだよ、もう。

何でこんなに面白いんだよ。

ヘルプで、別の保育園の初のクラスで働いた。


そろそろ仕事が終わるという頃、トイレに行こうと思って教室のドアを開けた。


ナットが私に声をかけた。


"ジャパ子、もう帰るの?"


私 "ううん。トイレに行こうと思って"


ナット "ああ、それなら教室にあるよ。あそこ"


私 "オッケー。ありがとう"



園児用トイレがあるのは知っていたが、そうか、保育士用トイレもあるんだな、と思って入った。




エッ。ねーじゃん。笑


5%くらいこの展開を予想していたが、余りにフツーに"トイレあるよ"と言われたので、大人用トイレがあるのだと期待した。


なるほど。ということは、ナットやフィン達はここの園児用トイレを日常的に使っているのだろう。


低いし、何もかもがちっちぇ〜ょ。笑



落ち着かね〜 笑、と思いながら用を足した。



大人用トイレは教室を出て、歩いて10秒だ。なぜ、わざわざ園児用トイレをすすめてくれたのだろう。(園児はもう数人しか残っておらず、暇な時だった)


多分、答えは、彼女達がごく日常的に園児用トイレを使っているからだろう。


きっと今や、教室外のトイレに10秒かけて歩くのは、彼女たちにとって面倒くさいのかも知れない。



ある程度体が大きいナット、私よりは少し体が大きくやや筋肉質なフィン。二人が、あの園児用トイレで用を足しているのかと思うと、笑ってしまう。笑



ああ。やっぱり今日も面白い。


日本の"保育士1日密着動画"を見まくっている私が気付く、異国保育園との違い。

第2弾は、朝の決まり事についてだ。

まず、私の保育園では、園長や保育士達との朝礼はない。
毎朝することは、挨拶のみ。


私が日本で働いていた頃は、毎日朝礼があった。だから朝礼がどのようなものかは知っている。

確かにリマインドになるから助かる部分もあるのだが、一部"報告したがりマン"もいて、"それ今不要だろっ"とか、"自慢したいだけだろっ"とか、"情報細か過ぎだろっ"、と心の中でツッコむ情報共有も少なくなく、それは面倒臭かったな。

まあ、ここの保育園では、わざわざ皆が毎朝集まって共有する程の情報がないということだろう。

ああ、そうそう。そもそも"必要最小限の人達が知っていればそれでよい"、が私の感じるここの人達の感覚だ。一から十まで細かく皆で情報共有をしない。

だから、エッ?そうなの?!エェッ?!そうだったの?!ってなることの方が多かったりする 笑。それが結構面白い。

情報過多にならなくて済むというのは、現代に有難いことだ。

■情報共有は最低限
そして、"朝の会"だ。動画を見始めた頃は、朝の会=(保育士達の)朝礼だと思っていた。そしたら、どうもそうではなく、朝の会とは、園児達とする毎朝の始まりのスイッチみたいなものなのだと知った。

そういや、小学校の頃に、朝の会/帰りの会があったような気がする。

要は、みんなで朝の挨拶をしたり、朝の歌、今月の/季節の歌を歌ったりと。そういうものだと認識している。


で、私は気付いたのだ。これぞ日本文化だ!と。

"毎日決まった時間に、みんなで同じことをする"

これだ!!と。


"せんせい、おはようございます
  みなさん、おはようございます"


スゴい。スゴすぎる。

もうここから教育は始まっているのである。


私は挨拶が好きである。特にこの国に来てからは、道ですれ違う人にも挨拶をしたりする。

挨拶をすると、互いに笑顔になったり、あたたかい気持ちになったり、元気を貰えたりする。
だから挨拶が好きだ。


私の保育園では、"みんなで一緒に"挨拶をすることがない。個人同士でおはよ〜おはよ〜と挨拶をするのみである。

"子供達同士の挨拶を促す"のは私だけだ。


私 "べリ(園児)、おっはよ〜!!☀️

       みんなー!誰が来た?べリが来たよ
       
       ラフィ!べリに、おはよ〜☀️
       キキ、アミ!べリに、おはよ〜☀️"

私は、"挨拶はみんながするもの"という意識があり、多分、これこそ私が無意識に学んだ日本文化(教育)の一つなのかもしれない。

他の保育士が誰もしないのが不思議だったが、これは文化の違いなのだ、とある日気付いた。他の保育士達もテンション高くピカピカ挨拶をするのだが、"園児みんなが"とか、"園児同士の挨拶を促す"とか、という意識はないのである。


朝の会がないので、朝の歌、朝の絵本、出欠確認、等々もない。

朝の話(フリートーク)、もあるところはあるんだとか。


働く側としては、面倒な事は極力少ない方が有難い。子供達は色々吸収できてよいのかも知れないが。

まあ、バランスだよな。決まり事が多くて保育士達が疲弊したら、本末転倒だしな。


私の保育園は日本の保育園程 "きちんと" はしていない。しかし、園長も保育士達も、のんびり楽しく、賑やかに、愛情深く働いていることに自信がある。

家族のように、友達のように、笑いながらあったかく、且つ、(日本人からすると)ある程度テキト〜に休みながら働く保育士達の中で過ごす子供達は、きっとラフで楽しいエネルギーを吸収していると思う。



以前、知人に日本の教育や子供達のことを話したら、

"この国の子供達と真逆だね" と言われたことがあった。


うむ。間違いなくそうだろう。

と、今保育園で働くようになり、心からそう思う。



ということで、朝礼/朝の会、終礼/帰りの会はない。

それらの有無による園児達への影響は知らないが、まあ、なくても大して問題のないことというのは、世の中に多いように思う。

子達の育成とは、面白い。


■未だに色々不思議








日本の上下関係は、なぜあるのだろう。

・年功序列制度
・年寄、年上を敬う文化
・敬語/丁寧語とタメ口の存在
・敬称の存在

そんなところだろうか。

上下関係をはっきり意識しだすのは、中学生くらいからじゃないだろうか。
特に部活の縦社会、不良グループの縦社会とか。

そういや怖い先輩達がいた。目立つ後輩をチェックしにきたり、同学年の不良が先輩不良にチクったり。縦で群れたり、横で群れたり。


ふむ。

でも何気に一番、空気のように無意識に、広く深く浸透しているのは、"敬語/丁寧語、タメ口" の存在なのかも知れない。

最近、日本の"保育士1日密着"動画をよく見る。そこで気づいたんだが、登園時、保育士が親には"おはようございます"と言う。その直後、その子供には"おはよう"と言う。

日本に住んでた頃はこれが当たり前で、何も感じなかっただろう。しかし、今の私は違う。

ヘ〜、ほ〜、おお〜、とか思う。

違和感からだ。

つまり、子供達は保育園に通う頃から、自然と"敬語/丁寧語、タメ口"の社会に属するんだよな。




私が住む国での"年功序列"についてはよく知らない。年寄は労わる、敬語/タメ口は存在しない。敬称もない。

上司、先輩、園児の親、医者、先生、店員、誰でも下の名前で呼び合う。

"やあ、ジャパ子!元気か?"
"やあ、アヴ!(ボスのボス) 元気だよ"

とな。日本なら友達レベルの呼名だ。


これによる "みんな対等感" は大きい。

言葉・文字は人間の基本コミュニケーションだ。その中で、ある人達にはそれらを通じて敬いを表し、ある人達には敬いを表さない。又は同等と見る。

それは、どうしても区別になる。そして、その区切り基準は大体、自分を軸にして年上か年下か、勤続期間が長いか短いか、だ。

年齢と勤続期間によって、(表面上とはいえ)敬われるか敬われないか、ってのも変な話である。

また、例えば、年上や先輩に対して敢えてタメ口を使うことで、"非尊敬の意"や、見下しのサインを与えることも可能だ。



ああ。日本語って面白い。

これらは良い悪いの話じゃない。何事にも両面があるから、それが自分に合うか合わないかだ。



さて。本題だ。

私は保育園で、先輩も後輩もいる立場だ。
※そもそも先輩/後輩という意識はないのだが。便宜上そう表現する。

最初の頃は、"彼女達が先輩だし"、"私が後輩だし"、と意識して動くことが多かった。

自分ができることは率先してやってみたり、私がゴロゴロしてる時に先輩が寝かしつけをし始めたら "交代するよ" と声をかけてみたり。

子供の鼻水が出てて、ティッシュが離れた場所にあったら先輩に "取ってきて" とは頼まず、自分で取りに行ったり。

ま、そんな感じで色々。


しかし、最近はもうほぼしなくなった。というのも、そういうことを誰にも頼まれず、自ら率先してやり続けていると、自分の負担が増え、ついでに先輩達には "ジャパ子はやりたいんだな"、"ジャパ子がやるから私はやらなくていっか"、と思われ兼ねないからである。

ここでは "妙な気遣い" というものがない。だから、何でもかんでも相手が誰であろうと正直に言う。手伝って欲しいなら、助けて欲しいなら、何かしたい事があるなら、それを上司、先輩、後輩にスパッと頼む、言う。

だから、その人その人の言動は、そのままその人達の本音なのである。

上下関係の中で "気を遣う" というのはそれとは違う。本音と建前、みたいなものなのだろうか。とにかく、身分を考えた上での言動になる。

この時点で、もうその言動は真っ直ぐじゃなくなる。

"先輩にそんなことをやらせてはイカン"、とか。
"そういうのは新人/後輩のやることでしょ"、とか。
"正直やりたくないけど、やった方がいいよな.."、とか。

面倒臭いよな。


特に私は、保育園で後輩ができ、自分が先輩という立場になってから、より理解したのである。


後輩達から私への気遣い、ゼロ。
私の先輩達への気遣いも、ゼロ。


私達は只の人間同士で、同じ職場で働く、家族のような、友達のような、チームメイトなのである。

だから、後輩(新人)達も私にどんどんものを頼む。


"ジャパ子、ティッシュ取って来て"

"ジャパ子、これして貰える?"

"ジャパ子、あの子ちょっと見てて"

"ジャパ子、私眠いから寝るね(園児昼寝中)"  等々


これが日本ならきっと私は   ハッ?!  となる。なぜなら日本だからだ。

でもここでは、これがとても楽しい。


ああ、そうか。新人でも後輩でも、こんな風に何も気遣わずに先輩に接したらいいんだ。と、とても学ぶ。

それ以降、私は先輩達に対してもっと気を遣わなくなった。そもそも上下関係がないから何とも言えないが、日本式気遣いを彼女達は望まないだろうし、合わないだろう。

本音と建前とか、彼女達には理解不能、意味不明なのだと思う。


上下関係がない社会というのは、ラクだ。まだ私自身捨て切れてないところもあるが、とりあえず、何だかラクなのである。


ま。何でもバランスだよな。日本は日本で、それが日本文化であり、上下関係、敬語/丁寧語、タメ口、敬称などがあるからこそ、生まれる美しさや面白さがある筈だ。

私は、自分が日本人でよかったと思っている。日本人の感覚をもった上で、真逆の異文化体験をしてるからこそ、とても貴重で、とても興味深いのだ。

もしこの国で生まれ育ったならば、今気づけていることには同じ角度では気づけないのだ。



いやはや。面白い。


■園長との上下関係もない