日本で働いていた頃は、平日7時間寝たら良い方で、8時間なんてなかなかなかった。いや、まずなかった。


6時間が平均で、"5時間寝られればオッケー"が基準ライン。


時には4時間という時もあった。


夜は苦手なので、早く寝て早く起きる。


4時起きくらいまでなら何とか大丈夫。



残業は基本的にしないタイプだったが、仕事をきちんと終わらせたいタイプだったので、時に長時間残業する事があった。


それ以外は、自分の時間欲しさに睡眠時間を削って早起きをしていた。





で。今どうよ?



毎日8時間以上寝ている。大体9時間。

何なら10時間も、時間調整すれば可能だ。


平日の話である。



凄く幸せだ。


睡眠が十分すぎて、大体アラームが鳴る前に起きる。




日本での生活は何だったのだ、、と思う。



今では早く寝るのが楽しみの一つになっており、今日は9時間半だ♡とか、ワクワクしている。



大きな理由として、現在、


・残業ゼロ

・持ち帰り仕事ゼロ


だからだ。



いや〜ほんと気持ちいい。仕事は仕事時間で全てが終わる。それ以降は完全に自分時間なのだ。


週末にドコドコと溜まったメールを見て、週明け早々に溜息をついたり、電話対応に時間を取られたり、そういうのもゼロなのだ。



ここが日本の都会ほど便利じゃない、というのも理由だ。


日本にいた頃は、会社の前、会社の後にコンビニによっては何かを買ったりしていた。


仕事後、帰路につけば自宅まで沢山の誘惑があった。


デパ地下、モール、本屋、楽器屋、パン屋、スイーツ、カフェ、レストラン、鞄、靴、服、、、、、


何も見ずに、何も買わずに、自宅に到着するのが難しいと言える程、それは誘惑の往復だった。




そういう環境が、今はほぼない。



ああ、、日本のそんな誘惑が恋しい、、、




って、意外と思わないのだ。



面白い事に、"ああ、あれらは必要じゃなかったんだ"と気づく。


そう、"欲しかっただけ"なのだ。

全くもって"必要"じゃなかった。



そういうことに物凄く気付かせられた。


誘惑とは、そういうこと。



交通の便や、"今これが必要!"って時に、日本ほど便利に買えないのは、時に不便だと感じる。


だがまあ、結局、物を大切にしたり、時間やお金を大切にできることに繋がっていたりする。




日本の通販、そして配送システム、これは多分、凄すぎる。


何でも通販で買っていた私には、実店舗での買物が不慣れになってしまい、まだこの国でも実店舗の買物には面倒を感じる事がある。


しかし、人との距離が近い国故に、実店舗で買うと、人との温かさやユーモアに触れることも多く、何だか日本の便利さ故に失ってしまってたものを思い出させてくれている気がする。



小欲知足。



何もかもに恵まれていた日本からこの国に来て、私は足る事を学んでいる。




睡眠時間は足り過ぎている。



時間も、お金も、物も、

もっと足る事を知ってゆくだろう。


そうすれば、時間もお金も物も、使い方がもっと綺麗になってゆく。



さて、今夜も9時間寝る。



ふむ。面白い。


タニが突然 "ギャーッ!" と叫んだ。


何事かと思って、彼女を見た。



タニの涼しげな襟付き白シャツに、大きなシミができている。



あの叫びようからして、きっと熱湯がかかったのか?!と思った。


"大丈夫??" と尋ねた。



が、もうその頃にはタニはえらく不機嫌そうな顔をしていた。


そしてブツブツ何かを言っている。



その様子から、熱湯ではなく、水か?と考えた。



そしてタニの表情はみるみるうちにグジャグジャと崩れてゆき、


なんと、泣き始めたではないか。




"エェー"


内心びっくりの私。



で、その頃にわかったのが、タニが白シャツに溢したのは湯でも水でもなく、



母乳、だった。




スィフ(赤ちゃん)用に、温めて哺乳瓶に入れる際にどうやらぶちまかしたらしい。




白シャツに母乳を溢して泣いたタニ。




白シャツだからか?


母乳だからか?



私は彼女の行動が興味深くて、一人しばらく頭で彼女が泣いた理由を考えていた。



私は保育園では絶対に白を着ない。だって、当たり前に汚れるからだ。



園児達のご飯、鼻水、涎、吐瀉物がつくこともあるし、色々ある。

保育士の仕事なんだからそんなのはあって当然だろう、と何も思わない。


腹が立ったりもしない。



母乳とて、まあ別に、何てこたぁない。



白シャツに母乳を溢して泣いたタニ。

ふむ。面白過ぎる。



そして今日の分の母乳がなくなったスィフは、粉ミルクの味を初めてヒッソリ知るのであった。


今、私の腕の中で。



私達の今日のヒミツだ。




面白いな、今日も。


毎日12:30-14:30は、園児達の昼寝時間。

イコール、保育士達の休憩時間になる。


保育士が仕事から完全に離れる休憩は各自30分。

残り時間は教室で過ごしながら、子供を見守る。


まあつまり、子供達が起き上がったり、泣き出したりしない限りはずっと休憩みたいなもんだ。



なんだが。私はもう知っている。


私とドン以外は、トコトン休憩する。

子供達が起き上がったり、泣き出したりしても、マイやタニ、ディル、リン、タリア達は無視してトコトン休憩し続ける。


てか、彼女らは本気の昼寝をしている。


・子供達のマットの上で

・たまには子供達の布団も被って

・たまにいびきをかきながら


ドドーン!と寝ている



だから、起きない。


彼女達が起きないから、寝ているから、起きてる人が動くしかない。



それが大体、私だ。



多分、狸寝入りの場合もある。

彼女達は気付いている。起き出した子供達、泣き始めた子供達に。


彼女達は気付いている。しかし、気付かぬふりをし続け、寝ているふりをし続け、動いてくれる誰かが(私)が、事を宥めるのを分かって何もしない。


確信犯、ってやつだ。



ある日、友人からこう言われた。


"この国の人達は、貴方の"優しさ"を"弱さ"と捉える。そして貴方のその"優しさ(弱さ)を利用"する。"



正にそうだと思う。


中東のニュースを見ていてもそれがよくわかる。

何が何でも"自分は絶対的に強い"姿勢を崩さない。どんなに状況がおかしくても、バレバレでも、彼らは弱さを見せない。弱さを見せるとは、彼らにとって終わりを意味するのだろう。


そんな文化を持つエリアだ。


個々人にまでそれが潜んでいる。




だが、私はそういうのが性に合わない。

相手の優しを利用するなんて、したくない。

強がりも、見栄を張るのも好きじゃない。


相手の優しさに漬け込んで、ヤツは大人しいから自分はラクして利用しよう、なんて、

本当ムリだ。


それをラッキーだと思える精神が私にはない。




そう。だから、利用される側に私はおり、それがとても悲しかった。


私達はチームとして動いている。仲が悪いわけでもない。寧ろフツーに仲はいい。


しかしそれでも、彼女達は文化故にズルズルとサボれる隙があらばそれに都度引きずられてゆくのだ。




私も長い間これには不満を抱き、ドンやボス、本人達にも言ったことがあった。しかし、彼女達は変わらないのだ。文化とは、そういうものなのだ。



だから、自分が変わる方法を試みている。


色即是空、諸行無常。


周りがどうであれ、私は私が正しいと思う事を、淡々と行う。


それでいいのだ。


それが答えなのだ。



いい修行の場をありがとう。

精神の成長は面白い。









私は保育園まで歩いて通っている。

ある程度近いし、運動になるしと思って。


ある朝、保育園まであと5分、というところで、


"パッ!パパーッ!"


と、クラクション音が聞こえた。


"んん?!"


と反射的に車道を見たら、"ウィーン"と車の窓が開いた。




"ジャパ子、乗りなっ!"



エルのお母さんじゃん。笑


親指を立てた手をクィッと動かし、ウインクをして(いや、してなかったか)、車に乗れ、と。笑




映画?


男前過ぎる。



もう2,3分歩けば保育園が視界に入る程の距離なんだが、そんな事はお構いなしに、ヒョイッと私を乗っけてくれる。



"おはよう、ジャパ子!調子どう?"


"エルはまだ寝てるよ"



そうやって3人で、1分程の車の時間を楽しむ。




こういうところ、この国の好きなところ。


面白い。




色々あり過ぎて、そして時は経っていた。



とりあえず、ブッダの教えを頭に入れて、心に浸して、それを繰り返して、自分を変えて、生きることを実践している。



宗教色の濃すぎる国に来たもんで、


"宗教とは何なのか?"


を、よく考えさせられる。



私は何教でもないつもりだったが、やはり仏教、というか、ブッダの教えが好きだ、と改めて思わされるのである。



宗教とは、良くも悪くもなかなか面白い。



自分の宗教を愛し、体現し、生きている人々を毎日見る中、思うのは、


結局、人間はその人次第、と言う事だ。


宗教は、教えの中で基本的によい事をいっている。


そして、信者はどうだ?


ハッキリ言って、熱心な信者でも心無い人は沢山いる。


神だの、神だの、神だの、

祈りだの、良い行いをだの、と言うが、


心無い人々を見てきた。


結局は、その人なりの解釈であったり、人間性によって、宗教は何とでもなり得る。



まあ熱心な信者達のお陰様で、文化が引き継がれ、それ特有の魅力を生み続けているのも事実だ。



ま、人様のことはよくて。


私は、色即是空とか、諸行無常とか、そういうのが自分に響くってことだ。



さて、ZOOMの話。


30人くらいの保育士達が集まって、研修だった。


なんかもう色々面白過ぎた。



■開始1時間、出席確認にかかる

   (名前やID確認)


・途中から文句言い出す人達続出

   "何なの?! 1時間、名前だけ聞いてんだけど?!"  


その通り。この効率の悪さ、異常。

各々が自由に喋るからだ。



■研修中、みんな自由過ぎる


・食べている


・料理している


・ベッドで寝転んでいる


・途中で消える


・車乗ってる


・タバコ吸ってる


・電話してる


・家族と話してる




カメラオンでもマイクオンでも、知ったこっちゃない。とにかく自由。


研修だろうが何だろうが、好きな場所で好きな事をしながら研修を受けている。


参加者には園長達も含まれるが、誰にとってもこれらがフツーなので、何も気にしない。



そして、参加者同士でよく喋る。



講師はたまに注意する。


・発言する時以外はマイクオフにして

・参加者同士で自由に話さないで

・何かある時は私と話して


だが、ほぼ守られない。

何度も注意しても守られない 笑。


注意された側も何も思っていない。

注意は無効だ。


何なら、たまにユニークな事を言って、講師や他の参加者達もみんなで笑ってしまう。



本当、ユーモアがあるんだよなぁ。


ユーモアって大事だ。



シリアスな状況でも、たった一言のそのユーモアが、場を和ませたり笑わせたりする。



料理しながら研修受けてるのが面白くて、


カメラの前で何かをこねてる。


丸い団子みたいなのが作られている。


テーブルに団子が置かれてゆく。


時間と共に、映る団子の数が増えてゆく。


暫くしたら、今度は鍋が用意される。



ああ、あの団子達は今から茹でられるのだ。




別の人は、葉っぱで何かを巻いている。


これまた、画面の中で、何かを巻いた葉っぱがどんどん増えてテーブルに置かれてゆく。




そいでもって、講師の口からフワッと何かが出た。



あ、


講師も電子タバコ吸いながら研修してる。



その後、フワァァ、プワァァ。


吸いまくり。




あー面白。



正午の研修前に、"流石にカメラ前でガツガツ食べるのは微妙だよな"と、あえてお昼ご飯を済ませたのは、私くらいだろう。


*研修中、全員終始カメラONが条件だった



あー面白い。



日本でのZOOM研修とは、大違い。



"間違ってはいけない"

"迷惑をかけてはいけない"

"失礼な事をしてはいけない"



そんな鎖が心の中にあるかないかの違いなのだろう。




あ〜 面白。



色々あるけど、まあ面白いわ。



ここ数週間、目まぐるしく色々起こってて、心身がついていかなかった。


一体何なんだ、この保育園は。本当に。。



ある夜、シフトを確認すると、翌日に私の名前がなかった。


シフト通りそのまま休んでもよかったのだが、その日に私が休みというのは若干不思議で、ボス園長リリーの間違いかも?と思って、一応連絡をした。


すると、


"ジャパ子は明日働いて" と、リリーからの返事だった。



やはり。


うん。構わない。


なぜ確認したのかと言うと、大体毎日みんな遅刻して、私が(自分の教室の)園児の迎え入れをしているからだ。


もし、翌朝、


"何でジャパ子来てないのよ?!" と騒ぎになることを防ぎたかった。


"え、だってシフトに名前ないから、休みでしょ"


そう回答すれば全く問題ない。


だって、当たり前だ。シフトに名前がないんだから、普通は休みだ。



しかし、それを差し引いても、そのドタバタが目に浮かび過ぎて、500%私が悪くなくても、容易に想像でき過ぎる混乱に招かれたくなかった。


だから、わざわざ確認した。



確認しなけりゃ、休みだったけれども。




そして、翌日、大事件が起きた。






7:20、保育園に到着。朝の準備をする。


相変わらず、みんな遅刻だから誰もいない。

いつも通りだ。


ボス園長リリーは、今日は別の保育園におり、いない。



ボス園長リリーからグループチャットに連絡がきた。



"アルが体調不良で休む。他のみんなは絶対に遅れないで。特にディル、必ず時間通りに来て"




アルは別の教室のリーダーだ。ディルはその補佐的存在。




はい。で、ディル遅刻。他の保育士達も。いつも通り遅刻。



という事で、遂にこの日がやって来た。


保育園に、この新人ジャパ子・日本人、たった一人しかいない。という状態。



ワラワラと登園してくる。


数ヶ月の赤ちゃんから、幼児まで。ワラワラと。



まあ、どの子供達とも親達とも面識はあるから構わないのだが、流石に普段入ってない教室の子達は、この異様さに泣き出すのだ。


とりあえず自分の教室にみんなを誘導するが、上記の子供達は、いつもと違う人(私)と、いつもと違う教室に、更に混乱して固まり、泣くわけだ。



いやもう、カオス。



沢山の親達が心配してくれた。


"ジャパ子、あんた一人?! どうなってんの?!"


"これヤバいでしょ?!"


"えっ?あっちの教室だれもいないけど、今日こっちの教室なの? ジャパ子一人??"


"ジャパ子、ドンや園長に電話しな!!

 これ良くないよ!!"


"他の保育士達はどこなの?? いつ来るの??"


"何で遅刻してるの???"




この起こり得てはならない状況に、子供達は泣き続け、私は乳児を抱きかかえながら、泣く子達と手を繋ぎ、あやす為の歌を歌い続け、迎え入れを続け、、



オイヨ。対応しきれない。



ある母が、


"私、園長リリーに電話するよ"


と言ってくれた。



そして、ある母が、


"何てラッキーなの!今日あたし仕事休みなのよ!

 ここでジャパ子を手伝うよ!"


と言ってくれた。




あ、あ、有り得ないだろ。。


保育士全員の遅刻を、母がカバーしてくれるって。。


いや、しかも遅刻って、唯の怠惰だからな。

毎日の怠惰。


ついでに言うと、ここの人達の遅刻は、無断遅刻だからな。


それが常態化している。



親達は誰が何時に出勤しなければならない、なんて事は知らない。だからこの遅刻保育園の闇に気付かない。

最低、朝一人いれば、それで子を預けるのに問題がなければ、誰もこの遅刻常態化について知る由もない。


日本ならとうの昔にクビだ。こんな保育士達はいらないだろ。


ボス園長リリーも何度も注意してるが、全く直らないのがここの人達だ。何なら悪いとも思っていない。謝る?ないない。なぜなら、本人達は悪いと思っていないからだ。悪いという自覚がないのだ。見事に欠陥、欠落している。



例えば、貴方が朝起きて深呼吸をする。


それを家族に謝るだろうか?



意味不明だろう。


謝る筈がない。



そのくらい、彼女達にとっては至極普通のことで、遅刻に対する責任感も罪悪感も微塵もないのだ。


なぜなら、悪い事だと一滴たりとも思っておらず、謝るに全く相当しないと本気で思っているからだ。


息を吐くかのように遅刻する、ってなもんだ。



言い訳を始めたら止まらない。それも、自分は被害者のごとく感情的(怒)にだ。





さて結局、いつも通りみんな30-40分遅刻して出勤してきた。



私は、私を手伝ってくれた母と抱き合い、感謝を伝えた。





しかし、この話はこれで終わらなかった。


夕方、ボス園長リリーから、グループチャットにメッセージが送られてきた。



私を手伝ってくれた母(オルママ)は、普段より長く車を停めていたため、なんと、駐車違反で4万円の罰金を科されたのだ。







私は、一瞬言葉を失い、腹が立って涙が出た。





それでも誰も、彼女達は自分の遅刻を1ミリたりとも反省しない。


オルママの優しい行動に、誰も自分を顧みない。


恩を仇で返すような人達だ。


そして、翌日にでもなれば、過去に何もなかったかのように、全て忘れたかのように、何事もなく、何事も変わらず、また平然と過ごしている。



そういう文化/教育の元に生まれ育った人達は世界中にいるだろう。

大半の日本人には信じられないだろうが、私はそれを目の当たりにしている。



だから、私は日本の移民政策に反対だ。


移民政策は国をアッという間に滅ぼしてゆく。





本当に、怒りも悲しみも、色んな意味を込めて面白い日々だ。と言おう。


そして私は、永遠に変わる事のない彼女達を受け入れつつ、理解しようと努め、自分を変えてゆくことで、自分の精神を保ってゆくのだ。


郷に入れば郷に従え。


それが、移民した側の姿勢だと、私は思うからだ。





■まずは知ってほしい。今ならまだ間に合う。

飯山 陽 / イスラム移民




大分、今の保育園にも慣れて来た。


そこで驚くのが、時間、月日の経つ早さである。


特に1ヶ月。これが恐ろしく早い。


理由はいくつかあるように思うが、こんなに1ヶ月が経過するのを早く感じるのは生まれて初めてだ。


ハッキリ言って信じられないくらい早い、と感じている。



え。ウソ。もう3月?


ウソッ?!もう4月?!


ウッソ?!!もう5月?!



とか、毎月真剣に言っている。



これは別に悪い意味ではない。

理由によるだろう。


私が考えるに、一番の理由は仕事だ。


時には不満もあるが、それは当然の事であり、それより全体的に考えた時に、やはりここの保育園での仕事は私にとって、概ね仕事ではないのだ。


仕事なのだが、仕事じゃない感がある。


毎週末は嬉しい。

休日も嬉しい。

連休も嬉しい。

仕事が終われば嬉しい。



しかし。


週末夕方〜夜に、"明日からまた仕事か..."、


ない。


家で、仕事について考えること、


基本ない。


家で仕事について考える事があるとすれば、余程の不満がある時か、もしくは子供達を思い浮かべて、ああ可愛いなぁ..とか、それにしても変な保育園だよなぁ.....ワハハ、とかそんな程度だ。


その余程の不満は、滅多にない。



週明けの朝、清々しい気分で仕事に向かう。


何なら、保育園のみんなや、子供達、親達に会えるのを嬉しく思いながら保育園に向かう自分がいる。



という事で、日本で、学生バイトから会社員まで色々働いてきた経験から思うことは、今の仕事はあんまり仕事感がない、ということだ。


では、何なのか?



ふむ。


確か前にも書いた気がするが、第二の家みたいなものなのだ。だから、楽しい。色々あるが、文化や民族の違いからのストレスもたまにはあるが。やっぱり総合的には、楽しい。


好きな人々と、好きな場所、なのである。



日本の仕事も好きだった。いい会社だったし、ユニークな人が多く、楽しかった。バリバリ働いたし、今の保育園の仕事とは真逆に近い内容だった。


だけど、今よりもずっと、プライベートの時間まで仕事脳が入り込んでいた。


明日はアレしてコレして〜、とか、仕事を終えてからも単純に仕事のことを考えたりしていた。


今の保育園の仕事と圧倒的に違うのは、


■会社員: 次から次へと新たにやる事が降り注ぎ、永遠に仕事が終わらない

              超長編ドラマ


■保育園: 1日毎に仕事が始まり、終わる

              1話完結型ドラマ


という事だ。


驚くほど、オン/オフが切り替えられる。


仕事とは、本来こういうものであるべきだ、と教えらえた。


精神上、物凄くいい。



朝型の私には、7:30-16:00勤務も凄く有難い。帰宅してもまだ外は充分に明るく、鳥達もピッピと囀り、エネルギッシュな時間帯だ。


そして、家では体を休め、趣味の時間を過ごし、早目に寝て、また明日に備える。


毎日8,9時間、ぐっすり寝ている。

十分寝過ぎて、大体アラームよりも先にパヤッと目が覚める。


こんな事も社会人になって以降初めてだ。



まあ、会社員時代はそれはそれで好きだった。楽しかった。その経験をしてからの今、だからこそ、私は今をこんな風に楽しめるのだろう。


そうそう。そういう事。



この国は、日本ほど物に溢れていない国なので、時に寂しい(不便)だが、この事からも多くを学んでいる。人生で必要なものは意外にウンと少ないのだ。物が沢山あれば、欲しい物は山の様に出てくる。


だから、お金の遣い方も大きく変わった。


時間も、お金も、それらに対する考え方、遣い方が凄く変わった。


無駄がとても減り、より価値のある、きれいな遣い方ができるようになってきた。


いや〜だから、日本の絶え間なく出続ける新商品は凄いのである。"進化し続ける"のだ。ペンにしても、パンにしても。もう遥かに十分過ぎる便利さや美味しさに到達しているにも関わらず、その進化は数多くある会社、アイテム毎に止まらない。


ここの国の人達は、レベル5,6で満足し、10で大大大満足し、11,12..,15、もうそれ以上は要らない、と思う傾向があるように思う。


日本は、20,30,....100、どこまででも進化する。開発側がまず凄い。日本人ならではの気質だろう。素晴らしいと思う。ワクワクを止めない、追求を止めない。そして、それを求めて購入する消費者が大勢いる。


いやぁ〜、日本って凄いな。改めて。



ま、残念ながら、移民問題で色々危ぶまれてきているが。


私は、日本人や、日本を大切に想う人々が愛せる日本であり続けて欲しいと本当に願っている。



本当、自分が中東に移民して、移民問題の恐ろしさが身に染みてきているのだ。



■まずは知ってほしい。今ならまだ間に合う。

飯山 陽 / イスラム移民



はい。


という事で、"郷に入れば郷に従え"という、日本ならではの素晴らしい姿勢を当たり前だと思っている私は、この、とある中東の国に少しずつ馴染み、そして、恐ろしく時間が経つのが早いと感じる程、どうやら心良い日々を送れているのだ。



感謝して生きよう。



色々あるけど、色々あるから、やっぱり面白い。


日本保育園との違いシリーズ、第5段。



保育士1日密着動画を見ていると、大体、子供達の昼寝時間中や、ある時間で、保育士達がパソコンやタブレットを使って仕事をする姿を見る。

・連絡帳作成
・日誌、報告資料作成
・週案、月案??作成
・お便り作成
・職員間での情報共有

などの作業をしているようである。

私の保育園では、パソコンを使うのはボス園長リリーだけだ。こじんまりとした園長室にだけ、パソコンが1台ある。タブレットは完全にない。

私はそのパソコンに触れる必要すらなく、保育士でせいぜい触ったことがあるのは、ドンかアルくらいだろう。

触ると言っても事務仕事の為ではなく、楽しそうに子供達の顔写真を装飾してプリントするとか、そういう時だ。


私が日本で働いていた頃は、パソコンありきの仕事だったので、毎日10時間近くパソコンを使っていた。それに加え、会社用タブレットに会社用スマホ。色々支給してくれて有り難い会社だな〜と当時は思っていたが、その様な生活は心身に害悪でしかない、と今は思える。

特に、私はSNSで知人友人と繋がるのが嫌いなタイプなので、そんな人間には"仕事"と割り切っているとは言え、毎日の(仕事上の)他人との繋がりは心身を疲弊させるものだと、今は改めて分かるのである。

毎日ドコドコドコドコとメールを受信し、読むのが追いつかない。未読件数は常に200-300だ。(同僚は2000件以上未読になっていた)。


いやぁ。本当、おかしいよな。


まあ勿論、業種による。


まあしかしだ。今や仕事で全くデジタルデバイスを使わなくなった事で、何だか大きなデトックスができた気分だ。いや、あながちこれは気分なのではなく、本当に心身によいのだと思う。

私がSNSで友人知人と繋がるのが嫌な理由は、現実世界の繋がりで十分だと思っているからだ。だから、私の場合、趣味やニュースなどの情報収集の為だけにSNSを使っている。

つまり、逆の立場をいうならば、何らかの宣伝活動が必要な人にとっては、SNSを利用する意味がよくわかる。

今日が誰の誕生日だとか、誰が昨日どこに行って何をしたとか、そんなのは、現実世界で自然に知る範囲で私には十分なのである。

SNSを通じて懐かしい人と連絡を取れたり、素敵な偶然や奇跡みたいな出来事もあるだろう。それもいいと思う。と同時に、私自身においては特になくていいかな、と思うのである。その分、現実世界で色々起こるからだ。


離れていれば、離れているなりの、見えなければ、見えないなりの、美しさがそこにはあるのだ。本当に縁がある人ならば、現実世界でどうにかこうにか巡り合うのである。


私はそういうものに価値をおいて生きてゆく。


仕事場での、脱デジタルデバイス。
この環境逆転、面白い。







随分日が空いてしまった。


最後の記事から二週間程か...。


いやもうこの間、毎日目まぐるしく色んなことが起こり、何個も下書きを保存しつつ、しかし日に日に、"エェッ?"、"ハァァ?!"、という出来事が起こり、下書きを書いては、翌日にはその内容を上回る出来事が起きる、というそんな連続であった。


そして、現在進行形だ。


なぜこうも良くも悪くも私の想像を超える事ばかり毎日起こるんだ、この保育園は。


どこまでが"異文化"で片付けられる話なのか、いよいよ分からなくなってきた。


私はこの国で3つの保育園で働いた経験があるのだが、最近は、今の保育園が他よりも強烈なのじゃないか、という気がしてきた。


保育士達がヤベェ、ってこと。



とりあえず、今日のネタとしては。



ある日、4人の保育士で働いていた。


私以外の3人は、朝からスマホを見ては、大凡2時間程そのままだった。



子供?


放ったらかし。



子供?


"ジャパ子がせかせか一人で見てるから大丈夫でしょ。"という感じ。



子供達が泣いてたり、友達を叩いてても、


"ダメよ〜"、と遠くからせいぜい一人が言うくらいで、体は動かさない。


私が駆けつける。



子供達は素直だ。だから、誰に寄ってくるか?


私だ。


誰が、スマホを見続け子供を相手にしない大人に寄っていくか?



だから、教室の状態は2グループ化しており、


■3人の大人


■1人の大人(私)+子供達


となっていた。



私は子供達が大好きだ。

だけど、1人で見るには限界がある。



とにかく、これまでで最悪の日だった。



なぜ、平気で子供達を放っておけるのか?


私達はチームとして長らく楽しくやってきた。


なぜ、お互いを助け合わないのか?



悲しかったし、腹が立った。



多分、この国の人ならバッサバサに本人達に直接文句を言う。だが、私の性格的にそれはとても不向きなのである。


だから、私は彼女達を堕落させてしまうのだ。


私はもうよく知っている。彼女達は"ラク"に物凄く引っ張られる人達なのである。多分、性格というより文化な気がする。


"ラク"のチャンスがあろうものならば、ドンドコドンドコとそちらに転落してゆくのである。


悪気は、無い。


そういう生き方なのだ。





しかし、私には運が味方してくれているのであった。



人生から学んできた。


正しく生きていれば、必ず、然るべき時に然るべき救いが訪れるのだ。


日本保育園との違いシリーズ、第4段。



日本保育士1日密着動画を見続けている。加えて最近は、元保育士や現役保育士のトーク動画も見ている。


以前、保育士の困り事について、

"そうそう、膝が黒くなっちゃうんだよね"

とか、

"膝が痛くなっちゃうよね"

と言うのを聞いて "?" となった。


そういや、私達は基本あぐらをかいて子供達と接しているのだった。

そうだよな、日本の仕事場であぐらをかくなんて、普通は下品なんだよな。

確かに。保育士密着動画で皆があぐらをかいていたら、きっと私も違和感を抱くだろう。


え。

で。日本の保育士達はどうやって座っているのだろうか。

調べてみたところ、"正座"や"膝立ち"、らしい。

ええ。そりゃ痛いだろうに。


あぐらは子供を乗せやすいし、2,3人寄ってきて抱っこを求めてきても対応できる座り方だ。ミルクもあげやすい。何かにつけてラクである。

これを禁じられているというだけでも、私は日本の保育園で働ける気がしない。足、痛いじゃないか。


日本の保育士達に、あぐらをかいて仕事をしたいかと尋ねたら、どれくらいの割合でYESの回答が返ってくるのだろうか。

うーむ。あぐらは下品なのだろうか。

瞑想やヨガでもあぐら的座り方をするのだし、何より、そんな体に負担のかかる座り方を強いるより、ラクな座り方でいいんじゃなかろうか。

それで保育士達が少しでも働きやすくなり、子供達と接し易くなるのならば、それでよいのではなかろうか、と思う。

まあ、これも文化、という訳か。


・客>>従業員

・見た目>>ラクさ、効率

・我慢の美徳?


また、検索をしていると自動検索候補から、

"保育士 膝に子供を乗せるとダメ"

と、出てきた。


う、うそだろ?

これは流石に極々限られた一部の話だと信じたい。


もしこれが一般的な話ならば、信じがたい。

もちろん長時間はよくないが、子供達は保育士達とのスキンシップを求めてくるのがごく普通であり、それに応えられる時は応えてあげるのがよいのではないだろうか。数分の事である。


理由として、"不公平になる"などを見たが。


出た。"みんな平等"。


いやぁ〜、どうなんだろうか。

求めてくる子達に応えればそれでよい気がする。
なぜなら、求めているからだ。

求めてこない子達には、わざわざこちらからする必要もないだろうと思う。
なぜなら、求めていないからだ。

求めてこない上で様子が変だったりするのならば、それはすればよいと思う。


私はどの子ともスキンシップを取るよう意識している。そうすると、恥ずかしがり屋の子でも、なかなか懐かない子でも、泣き虫の子でも、数ヶ月経つと心をパカーン!と開いてくれるようになる。

私はその点に於いて、結構自信がある。

私よりずっと長く働く保育士達の中には、懐いている子達と、そこまで懐いていない子達がいるのがよくわかる。その"懐いていない子達"の理由は明白だ。

その保育士にとって、"やや難しい"と感じる部分がある子達だからだ。

私は逆に、そういう子達の心を如何に開けるか、が楽しみでもある。と言うか、単純にどの子供達も可愛いのだ。いたずらっ子、叫ぶ子、言うことを聞かない子、泣きまくる子、色々いるが、色々いて当然だし、スムースにいかない時こそ自分の技量試しであり、チャンスである。


そんな私は、幼少時代、よく泣く子だった。かなりの恥ずかしがり屋でもあり、みんなの前で発言できなかったり、トイレに行きたくても言えず我慢しまくり、膀胱炎を繰り返す子だった。周囲から可愛がられても、その笑みを嘲笑だと感じてしまい、不快な余り泣く子であった。


あれ。

現在の私は、時に社交不安障害の傾向があるのだが、今上記を書きながら、"ああ、そう言えば、元々そうだったわ"、と納得した。


集団とか、苦手。

パーティとか、苦手。


しかしながら、長年、プライベートでも仕事でも、人前に立ってきたのである。嫌な時もあったが。色々と鍛えられたし、感謝している。

不思議なものだ。



好きな言葉に、"環境が人を作る"、というのがある。

私は、正しくそれを体感してきており、私自らでは選ばない機会も、環境によってその機会が自分に降り注いできた。

それが、私に必要だったのだろう。


まあだから、人生とはそういうものなのだと感じている。

誠実に真っ直ぐ生きていれば、それ相応の道を自ずと歩む。

"相応"の中身を作っているのは、今この瞬間瞬間の自分自身だ。



さて、明日からもあぐらをかいて働く。

この国で、あぐら禁止なんてことがあれば、保育士達は即日その保育園を辞めるだろう。


想像してみると、面白い。


■日本人の私には全てが新鮮