私の仕事人生に感謝 | 楽々改善コーチ から 伝えたいこと

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楽に楽しく仕事や人生を過ごして欲しいと願っています。私の歩みや失敗が、少しでもヒントになれば幸いです。

長い間、ブログが滞っていました。
特に、体調を崩した訳でもなく、何故か書けなくなっていました。

そんな中、新型コロナ・ウイルスが出現し、この2か月間、全ての私の活動が凍りつきました。
ほとんど外出しないでいたのですが、これが実に快適で、だんだん調子が出てきました。
そこで、ちょっと書いてみようと思ったのです。

私は1981年に仕事をはじめました。もうすぐ40年になります。
その間に、色々とお世話になったこと、嬉しかったこと、感動したことなどを綴っていきます。
気楽に読んで下されば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

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◇第1話 私の仕事人生のスタート

私は、1977年に同志社大学工学部電子工学科に入学しました。
当時は、電子工学が華やかな時代でした。
電子工学と言っても、パソコンなどが無い時代なので、システムではなく電子回路や電子材料が中心の学科でした。

たまたま、ゼミの教授が大型コンピューターの担当だったので、ウン億円の日立製のコンピューターを自由に使うことができました。
当時の入力方法はパンチカードでした。
タイプライターのような機械でパンチカードに穴をあけてプログラムします。
パンチカード1枚が、1命令です。1000ステップのプログラムだと1000枚のパンチカードが必要になります。
たぶん想像できないですね。

4回生の6月頃だったと思いますが、就職の希望調査がありました。
やはり電気メーカーが良いなと思い、地元の松下電器を希望しました。
成績上位から学校推薦がもらえるのですが、幸いにも松下電器は採用枠が多く、ギリギリのところで学校推薦をいただきました。

7月に松下電器の採用の3名が同志社にお越しになり、1時間程度、面接をされました。
そして、1週間後には内々定との電話が教授にありました。
私は、会社を訪問することも、工場を見ることもなく、就職先を決めたのです。
今では信じられないことですね。

こうして、就職の心配をせずに、残りの大学生活を楽しむことができました。
本当に感謝でした。

◇写真は、比叡山延暦寺の鐘です。一日も早く、新型コロナが収束することを祈ります。