「灯」という字に学ぶ | おもいつくまま

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今日は、久々に午前様。

と言っても、当然飲みに行ったりしているわけではない。

新年度へ向けた英語講座の概要について、マニュアルを作っていて一本遅い電車になっただけのこと。

 

とはいえ、決して時間の目算を誤ったわけではなく、この時期特有の生徒対応が増えたがゆえである。受験が近くなると、要求も多くなるものだが、実のところ、欲張ったところで期待したほど変化は大きくなってくれない。(現実とはそう甘いものではない)

 

こういうときは何事も周到な準備の上に成り立っていることを自覚させて帰らせるようにしている。

 

それにしても、今日の大津は霧の多い一日だった。

京都は午後から大変あたたかな小春日和であったのに、電車まで遅れる事態。

ちょっと遠くの視界になると一面真っ白で、まさに五里霧中といった状態だった。

 

生徒の不穏な動きもそんな天候に呼応したものかもしれない、とさえ思う。

 

そんな中、今日も夕方から先週メッセージを録画しに来た生徒が来校した。

今回は同じ境遇の男の子を伴って(と言っても、彼は遅れてきたが(笑))の来校。

先週同様、未来へ向けた話題を中心にいろいろと話した。

 

未来への強い希望を抱く人ほど、現実とのギャップにいろいろと思い悩むものだ。

今の自分が正しいのか、周りの人はあんな状態でいいのか。

 

つまらない正論かもしれないが、「正義は立ち位置でも、時間の経過でも変わる」である。

 

幕末、田中久重が無尽灯を作った時に、知人にこう話したという。

 

「時代の渦というものは本当に恐ろしいものだ。

昨日の味方は、今日の敵。渦の中をぐるぐる回っていると自分の立ち位置を見失う。

ゆえに、自らが灯となって、時代を明るく照らしていくしかない。」

 

自分の子と孫を、幕末の混乱の中で惨殺された久重の悔しさと虚しさは計り知れないものがあったはずだ。それでも、未来のために発明に明け暮れたのは、少しでも明るい未来を創造し、子や孫が生まれ変わりたいと願う国にしたかったからだろう。

「灯」とは「火」と「登」の形声文字である。

暗闇を照らす光は、まさに人を温かく包む希望の道しるべである。

 

人もまた同じ。

疑心暗鬼になるからこそ、対話という灯を掲げ合って、お互いを照らしていくからこそ、創造への希望が生まれる。言うまでもなく、その灯は「自分の情熱の炎」というものだ。

 

他者と同じことへと挑む光は、重なりあい、お互いを見つめる灯に。

他者と己を分かつ「自分」が放つ対話の光は、新しい色となって未来へ向かう灯に。

 

今日の生徒にもまた、「自分」という情熱を感じた。

どうか、全ての生徒が自らを鍛えぬき、その情熱の炎で他者の灯となるように。

そう祈りつつ、私も明日という未来を照らすべく情熱をたぎらせていこうと思う。


追記:

高い志を持ち、創造のためには自らに妥協を許さなかった久重は、「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」との言葉を残している。