ご存知の方も多いかと思いますが、本日は愛弟子の命日。
10年前の朝も、少し雪のちらつく一日でした。
彼女の最後の手紙は、すでに3年前にお母さまへ託し、墓前に供養してもらっていたのですが、今日、改めて教え子にメッセージとして届けたいとお願いし、了承を得てきたのでここに記します。
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私は「自分になることを大切に」、今まで生きてきました。
この言葉を先生にもらってから、まず自分の名前にふさわしい生き方とは何かを常に考えながら、多くのことを学び、自分自身と闘ってきました。
先生は、中学受験前の最後の授業の後、
「大切とは、本当の自分になるために、『大きく思い切る』ことだ」
と教えてくれました。
私が
「思いを切るなんて、変だ」
と言うと、
「志」のために「思い(迷い)」を断ってこそ、自分になる力を「教わる」ことが出来る。」
と答えてくれました。
「教わる」ということは、自分になって人に尽くす「孝」のために、自分を切ることです。
力というものは、自分に備わっているものと、見つけ出して身につけていくものとがあります。
どうか、先生自身の迷いを断つ「大切な子どもたち」として、
これからも、「自分になる」ために、迷いを断って、多くのことを教わり続けてください。
私の教わることのできなかったことを、一つでも多く身に付けて、未来を生きてください。
先輩として、最後に切る大切な想いとして
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あれから10年。
「未来を創造する」と全力で挑んできました。
病とも戦い、完治しないケガとも戦ってきました。
満身創痍になっても、必ず約束は果たす。
そう自分を奮い立たせてきました。
それでも昨年、もうダメかなと思う日々の中で、私は過去に引きずられている自分を破れずにいることに気づくことができました。
「未来を」という約束をしておきながら、子どもたちを始め多くの人に守られていた過去にとらわれていたんだ、と。
そして、それでもまだ私は厳然と守られて生きている、ということもまた実感した一年となりました。
だからこそ、新しい草鞋も含めて、未来へと歩みだそうと思います。
「教育は共育であり、競育である」
それが私の生きる道。
文化・芸術の振興を通して、また再び学問の道も含めて、
人間が命あるかぎり、価値創造へと向かえることを届けていきます。
それが、託された想いへ応える報恩だと信じて。
追伸:当ブログは、本日をもって更新を修了します。
今後は、新たな活動のホームページやSNSで発信を続けます。