連日の「コロナウイルス関連ニュース」は収まる気配を見せていません。

ブログを読んでくださったいる皆さんの中には、不安な気持ちで日々を送っている方もおられるかもしれません。しかし、みんながみんなそのような気持ちかと言うとそうとも限らないようです。

私の知っている身近な数人は、「自分は絶対にかからないから大丈夫」と変な自信を持っている人もいます。まさに、根拠のない自信です(笑)。

同じような事象に接しながらも、恐怖心で外出することもままならない人もいれば、全然気にしていない人もいます。この違いはなんなのでしょうか。今日は、そのことについてみていきたいたいと思います。

「恐怖心」の奥にあるもの

私たちは、様々なことに不安感や恐怖心、あるいは嬉しい、悲しいといった「感情」を持ちます。そして、そういった感情の「原因」は「様々なこと」にあると思っています。つまり、今回の場合であれば「コロナウイルス」が「恐怖心」の原因だと思っていると言うことです。

しかし、本当にそうでしょうか?

もし、本当に「コロナウイルス」が「恐怖心」の原因であるならば、ニュースを見た全ての人が同じように「恐怖心」を持つはずです。ところが、最初にも触れたように、同じニュースを見て、恐怖心の渦に巻き込まれる人もいれば、全く平気な人もいます。前者の人から見れば、後者の人は「無神経」としか思えないでしょう。人によってこれほど、「反応」が変わってくるのです。人によって反応の仕方が変わってくるのであれば、「コロナウイルス」が「恐怖心」のきっかけではあっても、本当の原因ではありません。

「コロナウイルス」に限らず周りに起こる事象に対して、どのような感情が起こってくるのかは、じつは私たちの「心の状態」が決めているのです。そして、この「心の状態」は二重構造になっていて、正月のおせちの二段重をイメージしてもらうとわかりやすいと思います。

蓋を開けた時にすぐにわかる一段目の重には「顕在意識」があります。この一段目の重に入っているものは、自分自身でも意識できるものです。一段目の重の下に隠れている二段目の重には「潜在意識」が入っています。この二段目の重に何が入っているのかは、普段自分自身でもわからないことが多いのです。そして、周りに起こる事象に対して起こってくる「感情」は、二段目の重の「潜在意識」の影響をより強く受けるのです。

なぜなら、怖いとか不安だ、悲しい、腹がたつといった感情は、通常は私たちがあまり感じたくない感情だからです。

こういったネガティブな感情の元となる「記憶」は、普段できるだけ感じなくてもすむように下の段に隠されていると言うことです。しかし、これらの「記憶」はなくなったわけではないので、何かのきっかけで表面に吹き出してきます。

「コロナウイルス」で不安や恐怖を強く感じる人は、何か他のきっかけがあれば、同じように不安や恐怖を感じることが多いでしょう。

また、別の人はちょっとしたことがきっかけですぐに腹をたてるでしょう。何か特に原因があるわけでもないのにイライラしたり当たり散らしている人は、「潜在意識」に怒りの原因となる「記憶」が未解決のままで残されていることが多いのです。

何れにしても、テレビなどで「コロナウイルス」関連のニュースを見たときに、どのような感情が起こってくるのかを、じっと観察してみるといいと思います。それは、自分の「潜在意識」にどのような「記憶」がまだ未解決のままで残されているかを教えてくれるのです。