広瀬哲哉さん(ハーモニカ奏者) | ロボダッチ研究所

ロボダッチ研究所

よいこのみんなロボダッチ研究所にようこそダッチ。プラモデルはロボダッチ、カーダッチ、ロボットそん59、ブイコン、ビックリダッチも網羅しているよ。タカラダイカスト、アマダやトーホーの玩具やカードなども充実しているだっち。ロボダッチフォーエバー!(所長タマゴロー)

「ぼくとロボダッチ」


来年、ロボダッチが50周年を迎えると聞き、感慨深さが込み上げて来る。今のぼくはプラモやグッズなどはひとつも持っていないけれど、ロボダッチについてはそれなりに考えて来たひとりだという自負はある。それは、今のぼく自身が、ロボダッチのようなものだからだ。


ぼくの中のロボダッチは「タマゴロー」や「ロボZ」のような主要キャラクターではなく、「釣りロボ」や「サイクルロボ」、「ガキ大将ロボ」や「ガリ勉ロボ」といった、何かの専門家ロボ達の方だった。自分が育った、貧乏な職人街の影響なのかもしれない。

彼らは自分が得意な仕事を続けるための身体で誕生し、それを一心不乱に続けるだけの人生を送る。なのに、それが本当に利益をもたらすのか、我々人間より遥かに効率的なものなのかというと、実のところはそうでも無さそうだったりする。そんな滑稽なところも、当時のぼくにはたまらない魅力だった。

もちろん子供相手のキャラクターに「人間の役に立つのか」なんて理屈なんかいらない。いっぱい食べられる「クイシンボーロボ」や重いバーベルを持ち上げられる「バーベルロボ」だって、おそらくは回り回ってそれが誰かの役に立つ仕事なのだろうし、誰かしらには感謝され、不思議とどこからか給料をもらえているはずなのだ。


ぼくはそんな独特なロボダッチの商品展開に夢中になり、4点プラモなどを買い集めたものの、興味は箱絵ばかりで、肝心のプラモ自体には夢中にならなかった。箱絵に似ても似つかないプラモの低いクオリティーに、落胆の連続だったからだ。

あの小沢さとる先生の極彩色の水彩画が非常に力強い説得力を持っていたので、ロボダッチ達の自己主張のぶつかり合いのパワーで、物語上の矛盾や、設定やネーミングなどの様々な詰めの甘さにまでは疑問を持たず、いつだって純粋に想像の世界の中に、連れて行かれたものだった。


それが幼いぼくの中に、「ロボとは何かの専門職」という思い込みを作り上げて行ったのだけれど、やがて訪れるガンダムを始めとする戦闘ロボの席巻により、「ロボの仕事は戦うだけ」という価値観に変わり果て、急激にユーモラスな部分は全て捨て去られてしまうのだ。

まぁ、生きて行く上では別段大きな問題でもないので、その発想のまま時は過ぎて行った。


大人になったぼくは絵を描く仕事を軸に、玩具メーカーのTOMYに合併吸収される遥か前のTAKARAに入社し、6年ほど商品開発の仕事に就き、キャラクターグッズを中心に担当した。

一度、商品サンプル棚でダイカストの「ラグビーロボ」を見かけた事があったけれど、バブル崩壊時の社員としては、こんなピンポイントなものを勢いだけで発売した会社の異常さをいぶかしく思うだけで、かつてのロボダッチへの想いなどは微塵も沸いては来なかった。


それがある日、予期しない角度から蘇る事になる。

HONDAのロボ「ASIMO」やSoftBankのロボ「Pepper」の登場によって、急に何かが、自分の中から勢い良く吹き出して来たのだ。

(これってさ、何ロボよ?無個性ロボか?こんなのロボじゃない!絶対に、長い間思い描いて来た、未来のロボなんかじゃないよ!)

そう、ぼくが待っていたロボは、何かの専門家ロボだったのだ。それをするためだけの手、いわば職人の手。そして作業用の姿勢、効率からくる身体のフォルム。その作業だけを無我夢中で続けようとする、愛らしいつぶらな瞳。

現代なら「ねぇ君、他には何かできるの?えっ?君って、そのためだけにいるの?ぶっちゃけ、コスパ悪過ぎじゃねぇ?」なんてネットに書き込まれそうないびつな存在。それがぼくの中の「あるべきロボの姿」なのだ。


そんなぼくは、ロボダッチより4つも年上のおっさんだ。仕事を二転三転して、趣味がこうじてハーモニカ奏者となり、現在は教える事を生業としている。いわば、「ハーモニカ教えロボ」のようなものだ。「ハーモニカライブ演奏ロボ」でも「ハーモニカ手作りロボ」でも無く、教えロボというところが、なんともロボダッチっぽい。(それってみんなの役に立つの?仕事として今の世の中に必要なの?)という疑問を持たれそうなところも、またしかりだ。


時代に合わせ、YouTubeでハーモニカの情報番組を配信しているのだけれど、その中でハーモニカのロボットをテーマに配信した回があった。昔とったきねづかでハーモニカロボットのオリジナルキャラクターを提案し「ハモダッチ」としてみたのだ。もちろんロボダッチのパロディとして。

びっくりするほど、まるで反応が無かったのだけれど、配信したぼくの方は少しも後悔は無かった。だって僕は、ユーチューバーロボではないのだ。何も疑問に思う事なく、ハーモニカを教えるためだけの存在、「ハーモニカ教えロボ」なのだから。口は変な角度に曲がり、背筋は妙にズレ、のけぞるようにして喋る。それは、今までの演奏フォームから来た身体なのだろう。


ぼくの友ダッチ達の方は、全体的にその数を減らしてしまったけれど、聴く側などお構い無しにアンプの改造を重ね、音量の限界に挑み続ける「爆音エレキギターロボ」や、自分の楽器演奏そっちのけで日夜ヘッドフォンを付けPCとにらめっこを続ける「録音レベル見張りロボ」といった数名は、ずぶとくコロナ禍を生き抜いてくれた。

ぼくと友ダッチの、全く社会とはリンクしていないてんやわんやの日々は、これからも細々と続いて行く事だろう。


ロボダッチ業界は昨今、才能豊かなモデラー達による箱絵から飛び出したような作品などが次々に誕生し、当時では考えられない進化を遂げている。箱絵に夢中になった頃の想いを蘇らせ、胸を熱くさせてくれる。ありがとう、「フィギュア作りロボ」諸君。

そして来年に迫る、ロボダッチ50周年、心からおめでとう!


ハーモニカ教えロボ 広瀬哲哉