無庵日録(1289) 山本周五郎「虚空遍歴」 | 無庵日録

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 会津八一先生の「学規」を規範としたい。▲ふかくこの生を愛すべし▲かへりみて己を知るべし▲学芸を以って性を養うべし▲日々新面目あるべし

2024/09/01 (日)

 山本周五郎の小説を読むと、そこに文学とも娯楽と受けとめられない特異な中間領域を覚える。自己流にそれを人間関係の妙と受けとめている。面白くなければならないが何か心惹かれるものと受けとめている。

 

 山も知周五郎の三大小説の一つである「虚空遍歴」はその典型とも思える。小説は言葉では伝えられないものを、言葉を用いた物語という虚構を以って伝えている。読者はそれを読む事で如何に受けとめるかであろう。

 

 作者はこの小説を完成させるまで40年の歳月を要したと伝えている。何故それほどの時間を要したのか、おそらく作者が自身に伝えたいもの、面白いだけではない彼ならではの人間の妙を探し求めていた気がする。

 

 「虚空遍歴」という小説は、作者自身にも読者にも人間関係の妙を伝えている。妙とは一言で云えば人生の必然性を表すものに他ならない。作者の三大小説の一つ「ながい坂」で主人公にこういう科白を語らせている。

 

「何事もこうなるように成っていて、こう成ることを経験することが出来る」これは人生の必然性を前向きに素直に受けとめていると思った。この時期に抜き差しならない仕事に出会っていたがストレスが弱まり無意識の力を触発させられた気がする。