海外生活の中で気がついたこと | smooth foundation代表 Motoki Mike Sagawaのblog

海外生活の中で気がついたこと

アメリカの田舎に住んでいたとき、街に何件か空手の道場があって、どこも空手とテコンドーを同じものとして教えてたり、なんだか訳のわからない看板掲げて教えてたりするのを見て無償に腹が立っていた10代の私。

興味本意で見学しにいって、無茶苦茶教えててやっぱり納得いかずに一番強いやつとスパーリングさせろって回りました。

こちらは糸東流の伝統空手。相手は極真ぽいのだったりキックだったりテコンドーだったり少林寺たっり、Karateとあるのにムエイタイも取り入れてやってたりしたところもありました。
田舎のまちだったのもあって片っ端から飛び込んで、しばらく見学させてもらったあとに、一番強いやつとやらせろと言ってた。

近所にも道場があったのだがあまりにもボロボロで行く意味ないかなぁと思っていたけど、他にもう行くとこもなくなってきたのである日飛び込んだわけです。
そしていつも通り強いやつとスパーリングやらせろと言うと、だいたいそれまでは先生と呼ばれるそこの師範が相手をしてくれたのですがそこは師範が『やだ』っていう。いやいや、あんた師範なんだらやらせろよといってもやだという。その代わり次々に弟子たちを貸してくれる。そして弟子と俺のスパーリングをじっと見ている。

一ヶ月くらい通うと、いい蹴りだとかコンビネーションが素晴らしいとか褒めてきて、それ教えてくれって言ってくる(笑)。

エーッてこっちはなりまして、教えに来たんじゃなくてあんたとスパーリングをやりに来たんだけどというと、『ごめん、正直体かもう動かないから満足の行くような相手できない』って言われてしまった。

帰ろうとするともう一回、『お前の空手を教えてくれ。その代わりこちらの技術も教えるから。』と言って来た。

結局そこで2時間のレッスンのうち1時間俺の空手の技術を伝えて、1時間は彼らの技術やハプキドーを組み合わせたコンビネーションを教えてもらうことになる。


なんかすげー合理的というか臨機応変なんだなーと思ったわけです。それに比べて俺はなんて型にはまってたんだろうかと。自分の回りの世界にたいして自分で勝手に扉を閉じて、外の世界を知らずに嫌い、自分の世界と外の世界を比べてた。ちっさーいことろで自分の作ったバリアで窮屈になってイライラして生きていたような気がして、なんかよくわかんないけどそれだけでアメリカ来てよかったなと思ってた。


あれから15年経って大分おっさんになりましたがあのときの経験が未だにいろんなところで生きてるような気がします。
まあ、あのおっちゃんほどボーダーレスにはなれないかもしれないけど。