つづき~2 | 双極性障害とシングルマザー

双極性障害とシングルマザー

2016年6/27(月)シングルマザーになり必死な毎日!!!双極性障害との毎日の中でを書いていこうと思います。
よろしくお願いしますm(_ _)m

私はその場でこらえきれず涙。
あたふたするケースワーカー相田さん。
とにかく、その後の事はよく覚えてないが、終わらせて個室の部屋からでて、自転車置き場でまた泣いた気がする。

もうここではやっていけない。

それだけは思った事として覚えてる。


そして、私はいつものように、家族会議を開いた。
このまま足立区で生活保護を受けながら暮らすのか、元居た我孫子に戻るのか。

全員一致で我孫子に帰るだった。
帰りたいと喜ぶ息子。
泣きながら本当に戻れるの?と伺いながら…泣く息子。嬉しそうに、やる気に満ち溢れた娘。

ここで問題が起きた。
そう、私だ。
もうこの時点で、家族会議を開いているのに...私には生きる気力がなくなっていた。
どうしたら、子供達がバラバラにならず、旦那の元へ戻り暮らせるのか。
たくさん調べて、遺書じゃダメなんだと。
その代わりのものは用意した。
みんなには手紙も書いていた。
「死」を選んだ私は、何故か穏やかで、笑っていた。

最後に旦那に話をしてみて、元に戻ることが無理だと、自分勝手ではあるが…突き放されたら…終わりだと。いざ覚悟を決めて話に行った。

旦那は、戻りたくないわけじゃないと、むしろ戻れるのなら今すぐ戻りたいと言った。でも、金銭的に無理だと旦那は言った。
細かな説明とかもしてくれた。

私が想像つかなかった提案をしてきた。
1ヶ月に1回食事会をしていたのを、週1のお泊まりにしたらどうだろ?
考えていなかった…。予想外の事に私も...。
でも気持ちはまだ受け入れてなく...もう混乱していた。
旦那が言った。
今日はもう、わかんなくなっちゃったかな?と優しく言ってくれた。一旦この話はやめにして、みんなで大量のピザを食べた。

そして、その日帰るはずか、泊まっていくことになり...家族5人が同じ部屋で寝た。私は旦那にくっついて、今後先の事を考え怖く涙か溢れてくる度に旦那にしがみついて泣いてはあやされ泣いてはあやされの繰り返し。こんなに1番わかってくれてる旦那さんを、傷つけてしまった事。本当に申し訳なく思ってる。
誤っても謝りきれない。

だから私は、これからの自分のあり方生き方で、返していこうと、少し前向きになれた。
なので「死」は保留となった。

週1で来てくれるだけで、私の気持ちはだいぶ違った。
病的ハイになる時も、落ち込んだ時も、イライラした時も、ぜーんぶ旦那が聞いてくれ、一緒にいれる1週間に1度は、心が微調整され、また1週間が頑張れた。
無理な日もあるが、電話やLINEで頑張った。

家族みんなの協力で、私は前に進もうと思えるようになった。死ななくて本当によかった。

今現在は、子供達の事、私のメンタルの病院の事を全部含め、我孫子に帰ろうとしています。
久々に、北柏アットハートクリニックに行った時、この半年間にない、安心感がどっときて、なんだか楽になった。やはり、病院は大切。

一緒にまたやっていきましょう!

その言葉が私は嬉しかった。
あの先生の話し方、私がなかなか話せなくても待ってくれて、最後まで聞いてくれる所、そういうのがいい。決して押さえつけた言い方をしない。
一緒に進んでいこうってしてくれてる感が嬉しい。


私がなんでもできるーーーっと面接だ、物件だってなった時も、旦那はきつくも、ゆるくも、アメとムチないい感じで言ってくれる。
本当に1番の良き理解者だと思います。
これはのろけです(笑)

子供達に、いい夫婦だよ、あんたらゎって呆れられるくらいです(笑)

自分の人生において、必要な人、必要ではない人がいると言います。

私は、何故だかそこに縛られていて、何も出来なかった。そんな仲間?友達がいる。


この友達の話はまた後日...。


つづく。