近所のきちんとした、セブンイレブンで親子丼を買って食べました。外に海苔が付いていました。上皿の蓋には七味唐辛子が内包されています。海苔をテーブルに置いて、パッケージのラップを外し、うわ皿の具を下のご飯にかけて、七味をかけます。問題はありません。次に海苔をかけなくてはなりません。
しかし、さっきまであった海苔が見つかりません。「テーブルに置いたのに.......」。

車の運転はもう何十年も続けていれば、体に馴染むでしょう。運転中には何か別の事を考えるかもしれません。当たり前の事には意識が向いていなくても体が自然に反応するかもしれません。
「意識が向いている対象」と「軽い意識対象の動作」では、意識の集中度が異なります。
後回しにした海苔よりも、パッケージから出たこぼれ落ちるかもしれない親子丼の具とは、雲泥の差が生じます。

意識の集中度の差が、殺人に繋がってしまいかねない。それが「老いる」という事だと思います。

必死になって探した海苔はコーヒーボトルの狭間に落ちていました。充分な視力があれば、何も問題はないでしょう。
日常生活で支障のない範囲での視力の低下も特に問題にされる事はない。親子丼にかけられるかどうか?の味の差程度ですから。

ある程度の年齢の人は男も女も実体験として経験している筈です。但し、意識の集中度の大小差が何を産むか?それが何時起きるか?は
人を殺してからでないと良く考える事はないのでしょう。

僕ははなから、殺しの可能性のある車の免許は取りませんでした。殺しの可能性がゼロ、ではなくなるからです。