有名な石舞台古墳です。蘇我馬子の墓とも伝えられ近辺一帯蘇我一族の勢力圏内である事が理解できます。伝飛鳥板蓋宮跡から車で約10分。
法起寺です。聖徳太子が亡くなる時山背大兄王に宮を寺にするよう遺言されたと伝えられています。仏教に深く帰依していた聖徳太子ですが、元々我がroyal familyは神道。このへんの事情も太子の謎を呼ぶ一因。
法起寺を歩くながら本当に太子は実在したのか、、、。色々な事が想像させます。
法起寺から車で約5分。法輪寺です。別名三井寺、御井寺。聖徳太子が三つの井戸を移したと伝えられています。
聖徳太子が掘ったと伝わる井戸の跡です。六道珍皇寺の井戸とともに有名な井戸です。
法輪寺の門から見た山背大兄王の墓跡と伝わる前方後円墳です。山背大兄王は太子の息子とされている人物ですが、亡くなりかたが又謎をよぶ。色々調べてみましたが、あんなにメジャーな人物なのに正確な墓の確認がとれない。不思議です。
法隆寺です。中央が丸く膨らんだ円柱。ブラタモリでも紹介されていました。
奈良の大三輪神社・大神神社は一帯に勢力を持った出雲ノ神の一族が崇敬し、
祭祀が営まれたとされる日本でも古い神社の一つで、神奈備信仰様式をとった
神聖な信仰の場であったと考えられています。大穴持命が国譲りの時に、
己の和魂を八咫鏡に取り付けて、倭ノ大物主櫛甕玉命と名を称えて大御和の神奈備に鎮座しました。
これが三輪神社の創始です(これは息子のコメント)。我がRoyal Familyは代替わりの度に此処にお参りに来られるとの事。国譲りとは何か、、。その歴史的な背景とは何か疑問に思います。
今回約45年ぶりに飛鳥を訪れました。黒岩重吾の小説や飛鳥に関する歴史エッセイを読む度にその地理的関係を理解するのに苦労していましたが、体感として自分のものになりました。写真の掲載は出来ませんでしたが、談山神社にも行く事ができました。山道を車で約20分くらい当時としては本当の山奥で中大兄皇子と中臣鎌足がこんな所で密談していたんだとよく分かりました。